大きな変化がするすると何気ない感じで起きていく。
ずっと見てるけど私の中に動揺はなく、空っぽな明るさが変化と同期している。
猫が引っ越していって、お皿があった場所が空いている。
ほんの少し寂しさがあるだろうか。
でも私はお皿が別の場所にあり猫がちゃんと食べていることを知っている。
場所と関係性は変わったけれど、失われたのではなく、変化しただけだとわかっている。
必ず変化が訪れることも(起こりつつあることを)ずっとわかっていて小さな頭を撫でていた。
だから「今」私の中に殊更起きる波はない。
変化は常にそこにあって、今それがくるりと表に現れただけだ。
これは多分、人が生きること、死ぬことも同じ。
ていうか、なにもかも、同じ。
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