人ってみんなそれぞれだけど、何に合わせて生きるかっていうのが、大きくふたつに分かれるんじゃないかな。
外から聞こえる音楽に合わせる人と
中から聞こえる音楽に合わせる人。
もちろんみんな、どちらの音楽も聞こえてて両方に合わせることもあるけれど、どちらかといえばこちらが主だな、っていうの、あるんじゃないか。
一人の中にも両方があって、その時次第で割合も変わるかもしれない。どちらがいいとか悪いとかじゃなくて、社会にとってもいろいろに混ざってることが必要なんだ。
外から聞こえる音楽に合わせる方が多数派みたいだからそれが普通って思われている。全員がばらばらでも成り立たないけれど、違う人もいないと。そうしないと、新しい音楽が生まれない。
だけどそういう人はまず自分が中から聞こえる音楽の人だってことさえ知らないから、混乱するよね。
他の人と同じようにしようとしてもできない。
みんなにちゃんと音楽を聞いて!合わせて!って言われれば言われるほど、踊れない、動けない。
だってそれはその人の音楽じゃないから。
違う、ということだけは、はっきりわかるんだ。
みんなの声が大きくて、自分の中の音楽は聞こえない。
自信を無くせば、もっと聞き取りにくくなる。
とっても静かで暖かくてしあわせな場所で、楽しい気持ちで耳をすませば。
それをにこにこ見ていてくれる人がいれば。
小さく小さく、聞こえてくるかもしれない。
それから初めて、それに合わせて、ステップをひとつ、ふたつ、試し始めることができるかもしれない。
音楽を見つけるところからやるんだから、もっとずっと時間はかかる。
でも時間なんていくらでもかければいい。
いつかすごくオリジナルで面白い踊りになるかもしれない。
外から聞こえる音楽に合わせる人と
中から聞こえる音楽に合わせる人。
もちろんみんな、どちらの音楽も聞こえてて両方に合わせることもあるけれど、どちらかといえばこちらが主だな、っていうの、あるんじゃないか。
一人の中にも両方があって、その時次第で割合も変わるかもしれない。どちらがいいとか悪いとかじゃなくて、社会にとってもいろいろに混ざってることが必要なんだ。
外から聞こえる音楽に合わせる方が多数派みたいだからそれが普通って思われている。全員がばらばらでも成り立たないけれど、違う人もいないと。そうしないと、新しい音楽が生まれない。
だけどそういう人はまず自分が中から聞こえる音楽の人だってことさえ知らないから、混乱するよね。
他の人と同じようにしようとしてもできない。
みんなにちゃんと音楽を聞いて!合わせて!って言われれば言われるほど、踊れない、動けない。
だってそれはその人の音楽じゃないから。
違う、ということだけは、はっきりわかるんだ。
みんなの声が大きくて、自分の中の音楽は聞こえない。
自信を無くせば、もっと聞き取りにくくなる。
とっても静かで暖かくてしあわせな場所で、楽しい気持ちで耳をすませば。
それをにこにこ見ていてくれる人がいれば。
小さく小さく、聞こえてくるかもしれない。
それから初めて、それに合わせて、ステップをひとつ、ふたつ、試し始めることができるかもしれない。
音楽を見つけるところからやるんだから、もっとずっと時間はかかる。
でも時間なんていくらでもかければいい。
いつかすごくオリジナルで面白い踊りになるかもしれない。
確かに音楽みたいなものだ。そして自分の中の音楽を聴くのは手間がかかる。
本人も、周りも。
でも聴こえたら、それで動けたら、そして踊れたら。
全く違う世界をみることができるね。
世界は全て美しく、命はみな愛おしい。
自らの踊りは、自分と周りを満たし、幸せにしてくれる。そして、見ていた周りにも「あなたもやってみていいんだよ」という許しを渡すことができる。
せすなは元気かなって思ってた。
日月火と家族で雪山に行ってきたよ。
Tは、2シーズンぶりに自分で決めてちょびっとスノボしたの。3級保持者だから筋力の問題だけだったらしい。それ確認して安心したみたい。
Hは、いよいよ3級に合格!ニヤニヤ喜んでた。
旦那も私ものほほんと楽しいスノボだったよ。