子どものしゃぼん玉が飛ぶキャンプ場を歩きながら、考えるともなく考えていた。
しゃぼん玉の舞う景色の中にあり、それをこころの表面に映す「自分」こそがしゃぼん玉のようだと。
「私」が動いているのではなく
「私」の表面を景色が動く。
「道」を歩いているわけではなく
「道を歩く景色」が映っている。
しゃぼん玉の舞う景色の中にあり、それをこころの表面に映す「自分」こそがしゃぼん玉のようだと。
「私」が動いているのではなく
「私」の表面を景色が動く。
「道」を歩いているわけではなく
「道を歩く景色」が映っている。
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