死の瞑想っていうのがあるんですよ。
自分が死ぬ瞬間をリアルにイメージできるように、今あなたは病室のベッドに横たわっています、みたいな指示に従って想像し体感する。
死の教育(というのもあるんです)では棺桶まで用意するそうです。生まれ変わったような新鮮な気持ちになる人もいるんですって。
私はもう角を曲がったところに死はあると思ってます。だってついこの前のように思うことが何年も前だったりするんだから、逆から見たらそのくらいの計算です。ちょっと前の母のように、私は死の床にある(かもしれない)そしてちょっと前を懐かしく思い返している。その「ちょっと前」は、今かもしれない。病院の白いシーツの上ではっきりしない頭で、自由に動けた時を思い出しているかもしれない。
そんなこと思い返す余裕はないかな。
ベッドの上とも限らないしね。
死の瞑想、先日機会があったのでやってみました。わざわざやらなくてもと思ったけれど、やったらやったで発見がありました。
最後にすべてを手放す時に私がちょっとほっとしたことです。
できうる限りを尽くして、生き尽くして、最後は心おきなくお別れしたい。
おそらくみんな、元々いた場へ還っていくのだから。
今日も元気に、行ってきます!
自分が死ぬ瞬間をリアルにイメージできるように、今あなたは病室のベッドに横たわっています、みたいな指示に従って想像し体感する。
死の教育(というのもあるんです)では棺桶まで用意するそうです。生まれ変わったような新鮮な気持ちになる人もいるんですって。
私はもう角を曲がったところに死はあると思ってます。だってついこの前のように思うことが何年も前だったりするんだから、逆から見たらそのくらいの計算です。ちょっと前の母のように、私は死の床にある(かもしれない)そしてちょっと前を懐かしく思い返している。その「ちょっと前」は、今かもしれない。病院の白いシーツの上ではっきりしない頭で、自由に動けた時を思い出しているかもしれない。
そんなこと思い返す余裕はないかな。
ベッドの上とも限らないしね。
死の瞑想、先日機会があったのでやってみました。わざわざやらなくてもと思ったけれど、やったらやったで発見がありました。
最後にすべてを手放す時に私がちょっとほっとしたことです。
できうる限りを尽くして、生き尽くして、最後は心おきなくお別れしたい。
おそらくみんな、元々いた場へ還っていくのだから。
今日も元気に、行ってきます!
ちゃんとイメージしてこれを叶えたいな。で、そこまで日々バタバタあがくことにしたの。
そこまでお友だちでいてね(^-^)
できればあと20年は元気でいたいけど。
まあ先がわからないのもお楽しみだね。
そしたら、あと○年だな。Tは45歳で、Hは40歳だな。ああ、もう充分だろうな。とか。
自分のセカンドライフは、やらないと死ねないことは、何かな?とか。考えてみる気になる。
お金の工面だけつかない(爆)
やっぱり子どもの年から計算しちゃうよね。
私もそうやって、せめてあと20年は控えていたいと思ったんだ。