日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

小学校 その3

2017年10月14日 | ホームスクール・ホームエデュケーション・不登校
そこは、とってもいい学校でした。

校長先生が本当にいい方で。
教員を熱心に育てているから先生方のモチベーションも高く、学校全体に活気がある。

小さい学校なんですが、地域とも社会ともしっかりとつながっていて、みんなでこどもたちを育てている感じがある。

社会科見学を兼ねた遠足までバスに乗って一緒に行かせてもらいました。

やっぱりスケールメリットってある。
こどもたちを一ヶ所にまとめて一緒に教育するのは、効率的だよね。

ただそのためには秩序が必要で、ルールが必要で。

こんなに素敵な学校なら、私のこどもたちは喜んで行くかしら?
通えるかしら?

答えはノー、です。

学校の良し悪しは関係ない。

学校というシステム自体が、成り立ちが、考え方が、合わないのだから。

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ジタバタする

2017年10月13日 | 命について
狭いところが苦手なんです。

昔から、なんで試着室に入ると地面が揺れるんだろうと不思議に思っていました。
今、地震なかった?ない?
どうも試着室入るとくらくらするみたい?

どこかで読んだ記事に高所恐怖症の人の反応が、「怖い」という感情というより身体的な反応だと読んで初めて自分の症状もそういうものかもしれないと思い至ったわけです。

今日は初体験のMRI検査でした(病気じゃないのでご心配なく)。
狭いとこに入らないといけないから、できれば避けたかったけど。
でももういい大人だし、やりましょう、やってみましょう。
緊張がばればれで(もう一回トイレ行っていいですか!!)検査室のみなさまにお手数をおかけしました。
念のためにと処方された薬を飲んで下さいと言われ、順番を後回しにされ、「私もブザー鳴らして途中でやめたことあるわ」と看護師さんに慰められ、薬で少しぼんやりとしつつ結局検査は無事に終わりました。

脆く壊れやすい体を持つ人間の、ジタバタを味わってきた半日でした。

久しぶりの病院で、ついこの間の母のようにストレッチャー上の老人たちが通っていく。
ついこの前の母、それは少し先の私でもあるのでしょう。

みんながなるべく元気でありますように。

てきれば回復してゆきますように。

例え元気でなくても

その場所で安らぎを見つけられますように。

ジタバタしても。

ジタバタしても。





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道を抱きしめる

2017年10月12日 | 覚えておくために
目を覚ますあわいの中で

そうだ

そうだったと

思い出す

苦しみや困難は乗りこえるのではなく

踏みしめる

そうすれば道の状態にとらわれず

一歩ごとに

地続きになる

軽くなる

うまくなる

自分になる

道になる

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小学校 その2

2017年10月07日 | ホームスクール・ホームエデュケーション・不登校
小学校に入って気がついたのは、なんて恐ろしく私(たち)が目立つかということです。

いかに異分子か。

お母さんでもない、先生でもない、部外者がどんなに目立つ場所であることか。

どんなに子どもたちも先生方も私たちを意識していることか。

実はこれは相互に作用する二つのことなんですが。
すごく意識している、と
外の人間がすごく目立つ、ということ。

外の社会から隔絶した一つの世界。

距離が近く緊密に意識的な場。

この中では

「どのドアを誰がどのタイミングで使っていいかすら厳密に決まっている」

そんな場所って社会の中にあんまりない。


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小学校 その1

2017年10月07日 | ホームスクール・ホームエデュケーション・不登校
久しぶりに小学校にいきました。

遠い町の小学校に仕事で8:00出勤、起床は夜明け前です。

でも、面白かったなあ。

少し時間を置いて印象がまとまったら書こうと思ったのですが作戦変更。
まとめようとしないでバラバラと思いつくことを書くことにします。

ひとつめの疑問は、なんで授業を見学する人は教室の後ろに立ってるってことになってるんだろう、ってことです。
例え欠席のこどもの席が空いていても、椅子が余っていても。ちょっとじゃなくてずっとでも。

多分授業参観の形式に慣れすぎて、誰でも部外者は後ろに立ってるってことが「自然に」なってるんでしょうね。

あ、でも勝手に余った椅子を引いて座っちゃえばよかったのかも?

思いこみは自分の中にあったのかもしれません。


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