日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

見送り 大桟橋にて

2019年07月06日 | 日記
見送りラッシュのその日、早朝に空港で留学生たちを見送った午後は埠頭で船旅に出る父(と叔父たちと叔母たち)を見送っていた。

たまに来るオフィスからも見える場所なのに、大桟橋に来たのは初めてだった。

3000人が乗り込むクルーズ船は、ぱっと見、建物。
ベットがあって、横になれて、ご飯も出るなんてありがたくて拝みたくなる。
(なのに安い)

バルコニーに出た父と手を振り合う。
少しするともう行けという仕草をするので歩き出すけれど、振り返るとまた手を振り、もう行け、のくりかえし。

楽しい旅になりますように。

おじいさん、おばあさんたちをどうかよろしく。

なんかいろいろ祈りすぎて頭がぐらぐらするなと思いながら、家路についた。










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子育てアドバイス

2019年07月05日 | ホームスクール・ホームエデュケーション・不登校
ホームスクールあるいはホームエデュケーションという育ち方がある。
学校やフリースクールに毎日通わずに、主に家で子どもが育つ、育ち方育て方だ。

私たちは毎分毎秒365日これをやっていて、全国の仲間たちとこの国でも最先端の専門家と常にやりとりしながら、励まし合い学びあいながら日々戦っている(本当は戦いたくはないんだけど、戦う場面は多いから)命がけで。

それは親にとっては地図のない未開の地に足を踏み入れること、自ら回復や成長について学び、実践する現場に立ち続けることだ。

自分の中にも子どもの中にもある、世間一般の汎用ものさしを棚卸しして作り直すところからのスタート。

私たちは痛みと共に学ぶ。

たとえば兄弟であっても子どもはそれぞれにニーズもたどるルートも違うこと。
兄弟姉妹ですら違うということはつまり、どんな一般化もできない。

その子という生々しく生きている現象をうまく世界とつなげるにはどうすればいいのか、それを何より考えながら行動しながら暮らしている。

人に話したら笑われるようなどんなにささやかな小さなステップも、決して偶然でも必然でもない親子の勝利だ。

かける言葉も、自分の在り方も。

子どもという命と向き合うことは、私たちのいわば、本業だ。

「そこは親が出て行くところではないんじゃないか」とか「その年齢なら自分で解決すべきじゃないか」というアドバイスをもらうことがあるのだけれど。

なんと返答すればいいのか、途方にくれる。

その人たちに見えるのはコップ一杯の水かもしれないが、私たちは、毎日、海に出るのだ。

苦難と愛と奇跡に満ちた海に。

その光景を、どうやって伝えよう。




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映画の帰りに

2019年07月04日 | 無心
細かな雨がけぶる中ふらふらと帰ってきた。
座って観ているだけだからそんなに体力使わないと思ったけど、自覚してる以上に病み上がりな状態なんだろう。

つらくって立ち止まって息を吐く。
もう一度、背中から鎧がすべり落ちていくように息を吐く。

そうだった。
歩くペースが脳のコントロールモードで早すぎる。
体のペースにギアを変更。
歩こうとしない。重心が変わる。
足が出るままに任せる。
半分の距離、倍の時間。
途端に立ち上がる世界。水を含んだ空気の密度が増して、色も匂いも、強く迫ってくる。

ちょうど映画の中のように。

「海獣の子供」は水と海と生きものの非言語イメージでできていて、ストーリーやドラマが苦手になっている私には好都合だった。

映画が見せたいだろうものは、今見える帰り道の木立の緑に、飛んで行くスズメに、落ちている花殻に、私たちのただの生活にすでにこんなにも溢れている。

傘を開きながら、そうか、と思った。
ギアを入れ替えるようなこの方法に、私が耳をすませるように浸る世界に、あまり馴染みがない人もいるんだ。

映画はその見方を教えようとしているのかも。





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見送り 国際線ターミナルにて

2019年07月03日 | 出会った人たち
二度と会わないだろう人たちの帰国を、早朝の空港で見送った。今日の仕事はこれでおしまい。

メッセージが入って向かいのターミナルから友人が飛び立つことを知った。昨晩倒れ、二度と話すことも叶わないかもしれない家族の元に向かうとのことだった。

反対側からせめて見送る。

今週は弟の手術があって、その前は叔母の手術があって、その前にもまた別の人の手術があって、不安定な橋を渡ろうとする人を祈りながら見送るようなことをずっとしている。

いってらっしゃい、気をつけて。
早くよくなりますように。

いつかご無事でとも、また会おうとも言えなくなる先に向かって私たちは旅している。

言葉にまとまらないであふれる気持ち。

心の中で手を振って見送る。

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と、あの人も言う

2019年07月02日 | 命について
足を乗せたところを踏み抜いた衝撃

また自分が中から組み替えられている

乗っている足場はどんどん薄くなる

全てが剥がされて剥けていく

血を流しながらすすり泣きながら

同時にそれを落ち着いて眺めながら

こちらが芯に近い景色と知っている

「私」にとって「安全」な場所はなく

そしてとてつもなく自由であることを

近くも遠くも家も異国も

世界はとても薄い一枚

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