人がどうなんて関係ない
例えそれが家族やパートナーでも
自分は自分
立って
歩くんだ

明日もオンライン講義、という娘に
また学校?!
そんなに毎日学校やってどうすんの?
と
言ってしまった。
娘は(またか)と笑う。
お母さん私が働くようになったら
どうして毎日働くの?って言いそうだね。
そりゃ言うよ。
そんなに働いてどうすんの?
いつ暮らしたりぼうっとしたりすんの?
ってね。
毎日毎日の生活の時間割は
そうしなくては生きられないからということもあるけれど
実はぽっかりと空く余白を恐れて
(個々の人がというより社会全体で)
あえてぎゅうぎゅう詰め込んだ詰め物なこともあるんじゃないか。
オンライン講義に向かう娘に
それ、寝巻きじゃない?と聞いたら
上に羽織るし、バレなきゃいいんだよ
と返ってきた。
私に異論があるわけもなし。
この子はですね、嘘のひとつもつけないあまりご飯も食べられなくなった時期がありました。
彼女は自分で戦い這って進んでここまで来たんです。
いい加減、適当、うそ、ルール違反。
そういうものをようやく、ついに身につけた。
いい具合に育ちました。
また水が荒れてよのなかが安全に感じられないので
休日はなかなか起きられない
部屋に暖房を入れて安全地帯を作る
生まれてからずっとこの世は安全ではなくて
なんとか生き延びて成体になった
空を飛ぶひとたちや地上で栄えるひとたちを見てすばらしいなあと思うけれど
生きるのに慣れないところをあやしつつ生きるのも
またひとつの生きかた
いや
ひとつの生きかたとかそもそもことばが違う
自分が生きて歩いていくのを外から見てなんと言われようと
関係なくない?
自分はただ歩くだけだよ