朝台所でカップを洗っていたら誰かのかすかな歌声が聞こえてきた(脳裏に)
これはそうレディガガではなくカバーして歌うキム・ゴウンちゃん。
たおやかで繊細なこころふるわせる歌声。
あんなにいろんな役を演じながらそんなふうにvulnerableであれるのが、演じる人に必要とされる能力なんだろうか。
風に吹かれるようなやわらかなありよう。
弱いところをさらせるつよさ、しなやかさ。
これはあれか、ハリファックス老師の言う
strong back, soft front
朝台所でカップを洗っていたら誰かのかすかな歌声が聞こえてきた(脳裏に)
これはそうレディガガではなくカバーして歌うキム・ゴウンちゃん。
たおやかで繊細なこころふるわせる歌声。
あんなにいろんな役を演じながらそんなふうにvulnerableであれるのが、演じる人に必要とされる能力なんだろうか。
風に吹かれるようなやわらかなありよう。
弱いところをさらせるつよさ、しなやかさ。
これはあれか、ハリファックス老師の言う
strong back, soft front
別にそんな大層なことでもない。
みんな「自分の生活」の中で生きている。
その生活は自分が作っている。
本当は今すぐにでも変えることはできる。
例えばパスポート作って蒸発したら。
大切にしてるものいやなものも全て捨てることもできる。
捨てていないから大切にしてると言うこともできる。
自分で選んで作っていると言うこともできる。
確固とした現実なんてない。
だけどあると思いたいのが人間だから
だから強固な現実を作るのかな。
自分のどの部分もけなすのをやめる。
自分は自分のもののように感じるけどほんとは自分のものじゃないから、好き勝手に粗末に扱うのは間違っている…気がしてきた。
世界が奇跡的にこのように私の前に立ち現れてあるならば、私もまた同じように奇跡的に表れたものであるはず。
どんなに至らなくつまらなく愚かで下らなく感じられても、それでも。
ひたすら生きるその動きは「(小さな)自分」のものではなく、その本性は自然の側にあるものなはず。
ありがたく丁寧に扱う。
その本性とは
仏性では。
だんだん
うすうす
はっきりしてきた
「ありきたりの日常」なんてないことが
一瞬ごとが真剣勝負で
私の一挙手一投足が世界を作っていることを
オン/オフ/ハレ/ケもなく
今いるここで私が宇宙が生まれていることを