がんじがらめの束縛から
あの空のように軽いひとりの自由へ
重たい思い、諦め、怒り、フラストレーションから
明るく軽いよろこびへ
何も言い訳にせずに
自分を
愛
ひかり
joy
よろこびで満たしたい
がんじがらめの束縛から
あの空のように軽いひとりの自由へ
重たい思い、諦め、怒り、フラストレーションから
明るく軽いよろこびへ
何も言い訳にせずに
自分を
愛
ひかり
joy
よろこびで満たしたい
今そうあった方がいいかたち
それはこどものためにも
戦争のためにも
同じような気がしている
性急に結論を出して掴むようなやり方ではなく
自分の思う通りにコントロールしようとするやり方でもなく
(しかしただ放置したり見ないことではない)
非常に注意深く心を砕いて意識を寄せる
そして深く呼吸する
自分の中に浮かぶものを見ていた
「せっかくたくさんある時間をもっとうまく使いたい」
↑
「そんなに活動したら疲れてしまう」
(休ませないと)
(守らないと)
自分から自分を守らないといけないと感じていたから動けなかったんだ
搾取されないようにかばっていたんだ
いつだって自分は自分だけは頓着せずにこきつかったから
いつでも休める
守りながら活動できると思えなかったから
動けないのはだからだよ
だから必要なのは
動かそうとすることではなくて
動かなくてもいいと本気で伝えること
少しずつわかってきた
どうしても私たちは「なんで別れたの?」と思う。不当である、認められない、許したくないと思ってしまう。
20年も経ったら大概のことは忘れてるだろうし許せてもいるはずなのに。
何故?と意識は納得のいく理由を要求するけど、これがそれですというひとつの答えが存在するわけでもない。
ただそうなってしまった。お互いをとても愛してはいても、タイミングが合わずに別れてしまった。そんなことはよくあることだ。
だいたい別れるというのはそんなに悪いことだろうか。別れというのは出会いを全うしたということでもある。出会った結果起きることが全て起こり、縁が邂逅のスパークを終えてまたそれぞれの旅へと還っていく。
ああいう愛やこういう愛を、やってみなければ涙の別れもなかったかもしれないけど、それではヒドじゃない。
私たちがこんなに一生懸命に応援したのは、決して何かのせいにはせずに自分で引き受けて進んでいく彼女の覚悟と勇気を愛したからじゃないか。
そうしたら私たちは大きく拍手をして、少しだけ自分も彼女のように、と力をもらえばいいんだと思う。
きれいなところから
きれいなところを通り
きれいなところへ行ってきて
きれいなところを抜けて
きれいなところに帰りました