(2) 幼児教育を教えてくれたもの
昭和16年春、長男が生まれました。
授乳の時のひと時は、母と子の命をつなぐ不思議な感動、生命が通い合う喜びを感じる時でもありました。
両手をしっかり母の乳房に当て、ゴックンゴッン音をたてて飲みながら母親の顔を見上げ、何やら「ウ・ウ・ウ」と呼びかける。
そのかわいいこと、私も又しっかり抱きながら一方の手で、あたまのやわらかい毛を前に撫でながら、『いいこになるんだよ』と話しかけたものです。
やがて少しづつ成長するにつれて、この子をどのように育てたらよいかと迷う或る日、
それは11月のある日、上野幌炭鉱に住む両親の所へ行く途中の事でありました。
駅から降りて30分程、枯葉の舞い散る山道を歩いて、とある農家の近くに腰をおろしてのこと、その農家の庭先で5~6歳もの男のが、上手にノコギリで薪切りをしているのです。
傍で父親が、その息子が切った薪をマサカリで二つ割にしている場面に出合いました。
ゴッシゴッシとその音は山合の谷間に心地よく響いて、私を『ハッ』と驚かせ、何やら頭の中にひらめいたのです。
これまで私は、薪切りは大人のすることとばかり思っていたので、入学前の幼児が、上手にしかも父親と楽しげにノコギリを使っての作業を見るのは初めてのことでした。
すると向かいの小高い山から話が聞こえて、母親と妹らしい女の子が枯枝を背負って下りて来ました。
庭先背中のしばをおろすと、父親の割った薪を軒先に積み始めました。
寒い冬に向けての大仕事なのですが、大変明るい和やかなこの光景に、私は感動を受けたのです。
唯これだけことなのですが、この時、草原に腰を下ろして、お乳を飲ませている我が子の育て方を教えられたのです。
この二人の兄妹の、親の真似をして楽しんでいる様子を見て私は、自分の幼少の頃を思い出したのです。
誰もがゴザを敷いてままごと遊びを楽しみました。
そして誰もが母親役になることを望みました。
それは自立を求める自然の法則であったことに気が付きました。
そしてまた。この頃の生活技術は習得が早く、一生の基盤になることも感じたのです。
「三つ子の魂百までも」の教えが、強烈に印象付けられました。
私は、子どもの将来の栄達を夢見て、下を見ることを忘れていたことに気づきました。
「少年よ、大志を抱け」
そして
「母親よ、その少年の土台をつくれ」
と知らされたのです。
その土台とは、幼児期に、「自分の事は自分で出来るように」生活を通して体験自立させることであると考えました。
この考えが私の子育ての原点となって、4人の子育てのが始まりました。
次回は (3)戦争と長女の詩
(写真) 家族写真 写真左の網を持っている少年が、小学生の現理事長