(5)子育ての時代
私は、男の子ばかりでしたが、性別を言々する前に、誰もが人間として生活の自立が出来るように、洗濯も掃除も料理も、子どもに見せながら、教えながら一緒にやりました。
大工道具も与えました。
「男の子に、あんなことをさせて」と近所の奥さん達に笑われましたが、私はこれを理解してもらうのに努めました。
後日、おばあちゃんが「先生をした人は、気の長いことよ」と叔母に述懐したそうですがまさにその通りです。
しかし、子ども達は目を輝かせ、楽しんで生活する方法を覚えてくれました、
近所の子ども達もよく集まりました。
そして次のような会話が聞こえてきました。
「徹っちゃん(次男徹二)はいいなぁ おばさんは何でもさせてくれる」
「うちの母さんは怒ってばかりだ」
「僕も徹っちゃんの家に生まれてくればよかったなぁ」
と友達に言われると、息子は得意になって連れてきたものです。
男の子も女の子も集まりました。
そして長男が4年生の時の通知簿に、担任から、こんな便りをいただきました。
「お宅のお子さんは、勉強もさることながら、毎日掃除担当をしてくれます。これには頭が下がります」と。
初めて知った私は、長男にそのことを尋ねますと、「教室を使った後は掃除をすると気持ちいいのに、どうしてみんな逃げて帰るんだろう」
だから僕はただ手伝って帰るだけ」と何気なく答えるのです。
それは私を満足させました。
日常生活の自立が出来た子ども達、長じて次々と東京へ出ましたが、兄弟での自炊生活に私は、お金の心配をするだけで済みました。
帰省するときにも1枚の汚れ物も持たず、幼稚園の手伝いを時間表に組んでありました。
それから数年後、モンテッソーリ教育に出合った時、私の子育ては間違っていなかった事に感動し、自信と確信をもって直に取り組むことが出来ました。