(6)ひぶな幼稚園創設にあたって (2)
★生みの苦しみ(その2)園舎の建立
さて園舎を建てたくてもお金はもう残っていません。土地を抵当に銀行の融資を受けるとしても安価な土地と実績の無い私共には大金を貸してくれるわけがありません。
これまで幼稚園の設立と言えば、寺院・協会・大手会社の附設が多く、後ろには援助の柱が有りました。
私共のように後押しの無い全くの個人立は珍しく、巨額の建築資金の調達は苦悩の至りでした。
当時、夫は朝日小学校の教頭でしたので、PTA商店街の方々のお知恵を頂き、定年退職金を抵当に入れました。
大工さんに見積もってもらいますと、湿地帯のため、土台作りに倍を要すること、それに当時、周囲の家は井戸水を使用していましたので、遠距離の水道管を通すために思いのほか費用がかかることがわかりました。
未開の土地を切り開いて行くことは、野望と言うか無謀と言うか、大変な事業でありました。
ありがたいことに、この悩みを救ってくれたのが20年前の小学校教諭時代の教え子とその保護者の方々でした。
そして又、2年余りの僅かな勤務だったにもかかわらず、明照幼稚園の園長先生をはじめ、PTAの温かいご支援が有りました。
奉加帳を作って町内を廻って下さった篤志家の方もいられました。
幼馴染の友人たちは無尽をこしらえ、かわるがわる落札して応援してくださったのです。
知人の中のお一人は、早くにご主人を亡くされた後、裁縫一筋に貯えた大金を、そっくりお貸しくださったのです。感激で涙が止まりませんでした。
こうして、無期限無利子の貴重な基金を頂いて、昭和35年6月1日、約束の3分の一の建設資金を大工さんに確かと手渡すことが出来たのです。
翌日、大型トラックが往来し、砂、砂利等が次々と運搬され、シャラシャラ、ジャリジャリ、ガラガラと、荷台から勢いよく降ろされた時のあの感激、私はこの時、お金の力というものをしみじみ感じたのです。
と、同時に、何も持たない私共に、海のものとも山のものともつかないこの事業に、信頼だけで大金を投じてくださった方々にお礼の言葉が見つかりませんでした。
こうして昭和35年9月1日 園舎の誕生を見たのです。