
絵のタイトルは、「どちらも咲いた」です。
毎年、池のそばに咲く桜を楽しみにされています。
今年も見られるかな。
今日のタイトルは、「文章を書く(Part2)」です。
文章を書くことを大事にしています。
2018年7月4日投稿記事「文章を書く」では、
私にとって、「文章を書く」ことは、
悩んでいることや気にかかることを、いったん整理する作業のようである。
今考えられる限りの文章を書く。
整理がついた(気が済んだ)ことは、脳の棚に自動保管されます。
またある時、その棚から引っ張り出されることもある。
忘れてしまいたことや、思い出せないことはそのままお蔵入りです。
それでよいと思っています。
(記事より抜粋)
文章を書くことが孤独から脱出する手段になると、
NHKの番組で見ました。
地縁・血縁は薄くなるばかりです。
仕事縁だけにすがるように生きています。
定年が65歳まで延長される。
40年以上、仕事縁に縛られることになります。
仕事は、どうしても上下関係がつきものです。
自分だって、偉くなるかもしれない。
地域で求められているボランティアには、年齢も肩書も関係ない。
仕事から解放されても、染みついた仕事根性からは抜けられない。
近所にも地域にも出かけない。
家にいる時間が多くなる。
家事一切を奥さんに任せてきた。
仕事をしているうちは良かった。
仕事がない今、どうして過ごすか悩んでしまう。
悩みを解決する糸口が見つからない。
そんな時に、文章を書く。
人と話せないなら、自分と話す。
過去の自分でもよいし、未来の自分でもよい。
自ら思うことを文章にする。
これが、孤独から脱出する第一歩です。
案外、書けぬものです。
定型の報告書を書くのは上手でも、心情を吐露する文章は恥ずかしくて書けないものです。
それでも毎日書く。
きっと、悩んだことは整理がついて、人と話すときの起爆剤になり、
自分の内面を豊かにする。
正直に書く。
己がどんなにちっぽけなものか、想像がつく。
家族に優しくなれるかもしれない。
自分でもできることがあるんじゃないかと、探すようになる。
ためらわずやることです。
仕事の時は役割があったけど、家庭では役割なぞ捨てた方がよい。
どちらかが先に病になったり、逝ったりするかもしれない。
共に倒れることもできない。
ある日気づくはずです。
一年前とは、意識が変わったな。
少しは、前向きになってるじゃないかと。
堂々巡りの孤独から抜け出るチャンスです。
陽だまりで 絵も文もかき 恥もかけ
2018年2月14日