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寒いか?

2017-02-18 12:45:37 | 物語
⛄️❄️寒いか?❄️⛄️


「アキラ、寒いか」

和尚が声をかける。

「寒いじゃろ、お父ちゃんにもっとしっかり抱いてもらえ」

寝起きのアキラにどこまで言葉が伝わったかわからないが、

ヤスさんは両手でしっかりとアキラを抱きしめた。

背中が少しでも温(ぬく)もるように、と両手を広げて覆ったが、すべてを隠せるわけではなかった。

「お父さん…寒い… 」

ヤスさんの胸に頬を押しつけられたアキラが、くぐもった声で言う。

ヤスさん、あわてて、

「おう、わかっとる、わかっとる」

と、さらに強く抱き寄せたものの、

かえってパジャマとカーディガンの背中がめくれてしまい、

お尻のすぐ上の方が、剥(む)き出しになって風にさらされた。

「どこ、ここ…お父さん…寒いよ、ぼく」

困り果てたヤスさんが振り向くと、和尚は満足げに笑っていた。

おろおろする照雲が横からなにか言いかけるの、

顔の向きすら変えずにパシッと頭をはたいて、

着流しの袂(たもと)から大きな数珠を取り出した。

和尚は数珠を手のひらにかけた右手を、

「ふんっ!」

と気合を込めた声とともにアキラのほうに突出して、言った。

「アキラ、これが、お父ちゃんの温もりじゃ。

お父ちゃんが抱いてくれたら、体の前のほうは温なる。

ほいでも、背中は寒い。そうじゃろう?」

アキラは、うん、うん、とヤスさんの胸に頬をこすりつけるようにうなずいた。

「お母ちゃんがおったら、背中のほうから抱いてくれる。

そしたら、背中も寒うない。

お父ちゃんもお母ちゃんもおる子は、そげんして体も心も温めてももろうとる。

ほいでも、アキラ、お前にはお母ちゃんはおらん。

背中は、ずっと寒いままじゃ。

お父ちゃんが、どげん一生懸命抱いてくれても、背中までは抱ききれん。

その寒さを背負ういうことが、アキラにとっての生きるいうことなんじゃ」


小学校入学前のアキラに言葉の意味がきちんとわかっているとは思えない。

だが、アキラは黙って聞いていた。

「背中が寒いままで生きるいうんは、つらいことよ。

寂しいことよ、悲しくて、悔しいことよ」

和尚の言葉のテンポに合わせるように、アキラの肩が小さく震えた。

ヤスさんの胸に、涙が染みた。


和尚の右手が動く。

数珠をかけたままの手のひらが、アキラの背中に添えられた。

「アキラ、温いか」

和尚が訊(き)いた。

アキラの背中に当てた手は、すべて覆い尽くしているわけではない。

それでも、アキラは「少し…」と答えた。

「まだ、ちいと寒いか」

「…うん」

「正直でええ」

和尚は満足そうに笑い、

かたわらの照雲に
「お前も当ててやれ」と声をかけた。

ヤスさんの手、和尚の手、照雲の手…、

3人の手が合わさると、アキラの背中も、すっぽりと覆うことができる。

「どうじゃあ、温いじゃろうが」

和尚が言う。

「これでも寒いときは、幸恵おばちゃんもおるし、順子ばあちゃんもおる。

まだ足りんかったら、たえ子おばちゃんを呼んできてもええんじゃ」

ゆっくりと、拍子をつけて、アキラの背中を叩く。

「アキラ、おまえはお母ちゃんがおらん。

ほいでも、背中が寒くてかなわんときは、こげんして、みんなで温めてやる。

おまえが風邪をひかんように、みんなで、背中を温めちゃう。

ずうっと、ずうっと、そうしちゃるよ。

ええか、『さびしい』いう言葉はじゃの、『寒しい』から来た言葉じゃ。

『さむしい』が『さびしい』『さみしい』に変わっていったんじゃ。

じゃけん、背中が寒うないおまえは、さびしゅうない。

のう、おまえには母ちゃんがおらん代わりに、

背中を温めてくれる者が、ぎょうさんおるんじゃ。

それを忘れるなや、

のう、アキラ…」


洟(はな)をすすった。

ひっく、ひっく、としゃくりあげた。

アキラではなく、ヤスさんが。


(「とんび」重松清さんより)

監督の心⑤

2017-02-17 22:21:44 | お話
監督の心⑤


(これまでにたくさんの選手を見てこられた中で、伸びる選手と伸びない選手の違いはどこにあるとお考えでしょうか)

🔹まずは、野球が本当に好きかどうか、ということです。

本当に野球が好きであれば、誰よりも野球がうまくなりたいと思うわけで、

ゲームだって本当に好きだったら1番になりたいと思うじゃないですか。

きっと好きなもののためだったら、誰よりも努力できると思うんですよ。

ところが、この世界って自分の好きなことを仕事としてやれる数少ないものの1つなのに、

僕に言わせたら、本当に野球が好きなんだろうか、と思うような選手もいるんです。

それほど好きでなくても才能溢れるゆえに活躍できる選手もいますけど、

最後はやっぱり野球を好きという思いが、

その選手を大きく押し上げる力になるんではないかと思います。


(野球に対する純粋な思いが大切であると)

🔹あとは素直さですね。人間というものは、少し結果は出てくると、

自分のやっていることを正しいと思うようになります。

でも本当に正しいかどうかなんて分かりませんよね。

だから、自分がやっていることは正しいんだと凝り固まってしまうのではなく、

常に、もっといい方法があるかもしれないって思えること。

そのスポンジのような吸収力や適応性といったものを持っている選手が、やっはり一気に伸びていきますね。


(では、勝つ組織をくつるためにリーダーとして必要なことは何でしょうか)

🔹皆が手伝ってくれるような人です。

絶対的なオーラとか指導力というものも大事なのかもしれませんが、

それよりも、あの人があんなに一所懸命やっているんだから手伝ってあげよう、

と下の人間に思ってもらえるような人じゃないと組織はうまくいかないと僕は思いっています。

やはりリーダーが孤立してしまったら、

その人に、どんな力があったとしても絶対に成功できませんので、

リーダーの条件というのは下の人間に手伝ってもらえる人だと思いますね。


(それは率先垂範という言葉にも通ずるでしょうか)

🔹必ずしもそうではないと思います。

むしろ逆に、全然うまくできなくてもいいんですよ。

とにかく一所懸命やっているけど、どうもうまくいかないという状況に陥った時でも、

あの人の人柄だったら手伝おうと思ってもらえるかどうか。

人間にはいろんなタイプがいますけど、

どこかに、皆が手伝ってあげようと思ってもらえるものをリーダーが持っていなければ、組織は生きないんじゃないかと思います。


(栗山監督にとって最も一所懸命な部分というのはどこですか)

🔹僕は誰よりも野球のことを考えているつもりですけど、

これは、あくまで "つもり" ですから、
わからないですけどね。

ただ、今回のテーマにある「艱難汝を玉にす」に関して言えば、

この言葉は、まさに僕の人生そのままですよ。

先ほどお話ししましたように、テスト生としてプロに入ってからは怪我や病気に見舞われましたが、

それでも何とか試合に出たくて必死に頑張ってきました。

だからこそ、こんな僕でもゴールデングラブ賞をいただくことができました。

去年のペナントレースにしても、あれだけ最初の段階から苦しみましたけど、

苦しいからこそ知恵が生まれ、苦しい時だからこそ、それを打開するための手を打つことができた。


(苦しい時こそ、何か新しいものが生まれるチャンスだと)

🔹何の障害もないままに物事がうまくいって、
お互いに「よかったね」と言っているところには、

やはり、何も新しいもの生まれてきません。

できないからこそ知恵が生まれる、

できないからこそ頑張れる

っていうことは、いつも選手たちに言ってきましたし、

本当に追い込まれた時こそ人間の真価が問われるので、

「艱難汝を玉にす」という言葉は、常に意識しておくべきだと思います。

それと飛田穂洲(とびたすいしゅう)さんという、
日本の学生野球発展に多大な貢献をされた方がいましてね。

「一球入魂」

という言葉も、飛田さんが野球に取り組む姿勢を表したものとされているんですが、

特に印象深い言葉があってそれが、

それが

「野球とは "無私道" なり」

です。

(無私道(むしどう)ですか)

🔹これは一昨年のことですが、昔の甲子園の記事を引っ張り出してもらった中にあった言葉で、すごく心に響いたんです。

以前、政治家というのは自分の人生を捨てて、人のためだけにやれ、ということをある政治家が言っていて、

なるほどと思ったことがあって、

それなら監督だって同じように選手のためにやるべきだと思ったんですよ。


(監督と政治家は同じだと)

🔹ええ。どちらも人のために尽くし切る仕事なんです。

だから球団側に監督を打診された時に僕はこう言いました。

「僕に死ねって、言っているんですよね」

って。

そもそも、野球というスポーツ自体が自分を殺して人のために尽くすものなので、

飛田さんはすごくうまい表現をされているなと思いました。

ですから監督は、なおさら自分のこととかちょっとでも考えちゃいけない。

どんな艱難辛苦も、無私の心で乗り越えていかなければいけないと思います。

(それがご自身を磨くことにも繋がっていくわけですね)

🔹昨年日本シリーズを終えた後に、メジャーリーグのワールドシリーズをテレビで観戦してきました。

昔からワールドシリーズはよく観ていたのですが、

監督になってからは、なかなか時間が取れずにいたところ、

去年は第7戦については最初から最後まで観ることができました。

すると、以前は、ここでなぜここでベンチが動くのかといったことが分からないケースがたくさんあったのに、

去年は監督の意図が手に取るように分かったんです。

(あぁ、試合の見方が変わったわけですね)

🔹ええ。日本シリーズの戦いであれだけ苦しんだことで気づきが得られたとすれば、

やはり苦しむことには意味がある、そう実感しています。


(おしまい)

(「致知」3月号 栗山監督インタビューより)

監督の心④

2017-02-16 13:55:58 | お話
監督の心④


(栗山監督はプロ野球選手になってなりたいという夢は、いつ頃からお持ちでしたか)

🔹物心ついた時からそう思っていました。

というのも僕らの世代は野球しかなくて、

しかも王さん長嶋さんの時代だったので、プロ野球選手になりたくてたまらないという感じでしたね。

ただ、大学在学中には教員免許を取って1度は教員になろうと考えたのですが、

どうしてもプロ野球選手になることが諦めきれなかった。

それでプロチームの入団テストを受けて、

ヤクルト・スワローズにドラフト外で入団が決まりました。


(夢に見たプロの世界はいかがでしたか)

🔹失敗したな、と思いました。

(失敗した?)

🔹こんなすごい人たちが集まるようなところに入っちゃいけなかったというのが、正直な思いでした。

そう思ってしまうこと自体、問題でしたけど、

それくらい、プロの世界というのは才能の世界なんだ

っていうことを、まざまざと感じさせられましたね。

さらに2年目にはメニエール病といって、平衡感覚が狂う三半規管の難病に罹ってしまい、

現役時代はずっと苦しめられました。

ただ、それも含めて僕の才能なんだというふうに受け止めようとはしていましたね。

(特に影響を受けた人物はいらっしゃいますか?)

🔹それは当時2軍監督だったな内藤博文さんですね。

内藤さんは巨人にテスト生として入団した選手の中で、初めてレギュラーになった方でした。

当時結果を出せずに苦しんでいた僕に対して、

内藤さんは、

「人と比べるな」

って言ってくれたのが、僕にはすべてでした。

(人と比べるな、ですか)

🔹いまでこそ内藤さんのおっしゃるような考え方は珍しくなくなりましたけど、

当時の野球界でそういう考え方をお持ちの方は、ほとんどいなかっただけに、

僕は本当に、そのひと言に救われました。

当然、プロの世界ですから人と競争して生き残っていかなければいけません。

でも、他の選手と比べるよりも、

まずは今日よりも明日、

明日よりも明後日と、

少しずつでも自分自身の野球がうまくなっていけばいいと、

内藤さんは言ってくれました。

いま思い返しても、僕くらい落ちこぼれるというのは、珍しいくらいの落ちこぼれでしたけど、

そんな僕の可能性を内藤さんは信じてくれた。

僕はそれが嬉しかったです。

それに昨日の自分よりも少しでもうまくなれというのなら、できるはずだと思って、

内藤さんに喜んでもらおうとひたすら努力しました。


(いまの話は栗山監督の選手に対する姿勢にも通ずるものがあるように感じました)

🔹選手を成長させ、輝かせるのが監督の1番の仕事だと僕は思っていますからね。

徳川家康が愛読したとされている『貞観政要』に、こんなことが書かれています。

唐王朝の二代皇帝・太宗が治めた貞観の時代、

城の門には石段が二段しかなかったといいます。

それで守りは大丈夫だったかというと、

本当に愛情を持って民に尽くしている王であれば、民が守ってくれるから大丈夫だという話です。

物事を成すには、上に立つ者が人々に尽くさなければならないことを、歴史は証明しているわけで、

だからこそ、僕も監督として、どうすれば選手にとって一番いいことなのか、

ということだけを考え続けてきました。

よくチームのために勝つことと、選手を育てることとは時に相反すると考えられていますが、

相反しません。

むしろ、絶対イコールだと信じてやってきました。

その結果、選手たちがキラキラと輝いてプレーしてくれたことで、

チームが確実に前に進んでいくことができたのだと思います。


(監督の思いに、選手たちが応えてくれたわけですね)

🔹でも、そんな簡単には選手は成長しないですよ。

やはり我慢して待っていてあげなきゃいけない部分がすごく多いので、

信じて待ってあげるというのが非常に重要ですね。

だって僕なんか50代半ばになっても、全然成長が足りてませんから(笑)。

もちろん、プロに入って、2、3年で何とかなる選手もいますけど、

そうじゃない選手もたくさんいる。

なるべく回り道をさせないようにとは思いますけど、

回り道をしないと、その選手が気づけないこともあると思うので、

回り道の時間を持ってあげなきゃいけないこともありますね。


(監督から見て選手が変わったなと思う瞬間はどんな時ですか?)

🔹自分がどこに行きたいのかっていうことが、気持ちとしてはっきりしてきた時ですね。

つまりこちらがイメージしていた方向に、選手の意識がしっかりと向かっていく。

そのことは、その選手の動きや練習の仕方を見ていたらすぐに分かります。

でもそこに至るまでには、いくら説明しても、その選手が納得しなければ前に進みません。

監督は、気づかせ屋さんだから、いろいろなヒントは出し続けますけど、

最後はやはり本人が本気になるまで待つしかない。

監督の仕事は、我慢することですからね。


(「致知」3月号 栗山監督インタビューより)

監督の心③

2017-02-15 14:36:21 | お話
監督の心③


🔹もちろん監督に就任してからの5年間は、現場で学んだこともたくさんありました。

例えば就任1年目にリーグ優勝した翌年に最下位になったことも、

いま思えばすごく意味のあることでした。

負けた時だけでなく、勝つことで気づくこともありましたし、

とにかく僕にとっては、たとえようのないくらい本当に濃密な5年間であり、

すべての学びの場だったという感じですね。

それにこれは僕が監督としてチームの中に入って初めて分かったことですが、

「心の繋がり」とか「チーム魂」というものが、

いかに試合を左右するかということです。

そういった要素を左右するものは確かにあるのですが、

それが何なのかということはやはり現場でしか学べませんね。


(そういった現場に身を置きつつも、常にチームとして理想としていることはありますか)

🔹もちろんあります。

100%完璧であるということ、
そしてどんな小さなミスも許さない。

そういうことは、あり得ないんですけど、

そのことは常に思っていますし、そういう視点で日々の反省も必ずしてきました。

だから試合に負けた日なんていうのは、毎回頭に血が上って、すぐには普通の状態に戻れませんね。

「まぁ、仕方ないな。また明日がある」

なんて思う自分は絶対にイヤで、
負けて仕方がないなんて思うんだとしたら、

それは必死にやっていないからだと思うんですよ。

(必死であるからこそ、悔しい気持ちも生まれてくると)

🔹それに悔しがったり怒るようなことがなくなったら、なんだか悲しいじゃないですか。

確かに長いシーズンを戦っていると、

時には相手のピッチャーが素晴らしくて手も足も出なかったと感じることはあります。

でも、それでしょうがないと思って済ませてしまったら、

相手選手を認めて、自分のチームの選手たちを下に見ることになってしまうでしょう。

それでは選手たちに失礼だし、

反省材料を見つけなければチームとして少しも前に進みません。

だから僕は監督をやっている限りは、反省し続けなければいけないと思っています。


(「致知」3月号 栗山監督インタビューより)