今日は建国記念の日。気温7℃、風は無く雨の心配も無さそうなので元気を出して伊勢本街道を前回の続きから枚岡神社迄歩いてきた。私にはこの街道「歩き」の締めくくりである。
マフラーとマスクを確り身に付けた。この季節マスクをすると吸い込む空気の冷たさが緩和されるので私には歩き易い。中国から飛んで来る大気汚染PM2.5とか言う目に見えない有害物質は普通のマスクでは何の防御にもならないらしいが是にて気休め。
2月11日(月)
10時5分近鉄線河内小坂駅に降り、長瀬川沿いを歩いて前回ストップした地点に着いた。こちらの地名は御厨(みくりや)というらしい。
最初に立ち寄ったのは天神社(てんじんしゃ)で、鳥居の向こうに日の丸旗が見えた。特別な愛国心があるわけではないが白地に赤はやっぱり心が反応する。
境内手水所の前に有る案内板に以前伊勢神宮の案内人さんから聞いた事のある「延喜式神名帳」(えんぎしきじんみょうちょう)という言葉があった。
なにやら難しい大切な書物なんだと解釈していたが、これは平安時代の第60代天皇・醍醐天皇の時代延喜5年から22年かけて延長5年(927年)に編纂された、社格の高い当時の官社一覧だそうだ。2861社と祀られている神様3132座が記載されているという。
その神名帳に記載されている意岐部(おきべ)神社がこの神社であると伝えられていて、古くは御厨神社と呼ばれていた時期もあったとか。
案内板の写真にある高さ3m八角形大型石燈籠と元禄十年(1697年)銘の石燈籠と東大阪市で最も樹齢の古い幹周6mの天然記念物指定「くすの木」の画像を投稿しておこう。
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(画像はクリックすると拡大する)
“おみくじ”が沢山結ばれている木を見た。その瞬間蘇った先月の私の「大吉」みくじ。あれはおかき屋さんの近くの神社で引いたおみくじ、「ついで参り」初詣をした罰が当たったようだった。「大吉」を引いた2日後、シートベルト未装着で捕まった。国道を外れ、駐車場を目の前にベルトを外した3・4分間の出来事であった。そしてその2日後大変急いでいたので見通しの効く交差点故一旦停止を省略し、又同じ白バイのお兄さんに捕まってしまった。その若い新人お巡りさんは気の毒そうに言った。「同じ方だと思ったんですが、僕も仕事なので見逃すわけにはいかなかったんです」と。
あの“おみくじ”は喜んで持ち帰らずに木の幹に結んでおけば良かったのかも・・・(笑)
さてさて気分を変えて歩き出すことにした。
市指定文化財・植田家住宅の前に来た。江戸時代の本陣で「松平甲斐守様本陣」と「片桐石見守様本陣」と書かれた木札が2つ残されているそうだ。今は瓦ぶき屋根になっているが、お偉い大名が足を留めた家ということで、ご家族は住み乍ら保存されているそうである。
第二寝屋川に架かる新御厨北大橋を渡ってから間もなく府道に出た。大阪中央環状線を渡り工場ビルの続くアスファルト道に退屈しかけた頃、道路を越えて細い道に入った。石の道標を見た。「すぐ 石切瓢箪山奈良 左 住道四条畷」と刻まれているのでここが暗越奈良街道と河内街道が交わる所になるらしい。河内街道についてはよく解からないが、八尾から枚方まで続いているそうだ。
住道は「すみのどう」と読むのだと彼が教えてくれたが、今日は読みにくい地名が次々に出てきた。ややこしいので(よみがな)をつけておこう。
暗越奈良街道の方向すぐ目の前に八剣(やつるぎ)神社が在った。
歩きはじめて1時間半、手持ちの温かいお茶を取り出して境内で休憩させてもらった。ホッとした。ありがたや!二人歩きの気ままな休憩タイムである。
境内には数基の道標が有って、その1つに「右瓢箪山」の瓢箪をひょうたんの絵を彫って表現しているのにユーモアを感じた。
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御厨から意岐部そして菱江へ来たらしい。菱江交差点の角に「もちの木地蔵」の祠と「おかげ燈籠」とが並んでいた。
祠の後ろに有る大木はモチノキなのだろうか?伊勢神宮外宮に到達するまで沢山見てきた「おかげ燈籠」、これが見納めかと「けかお」の文字に今一度注目した。
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河内警察署を過ぎ、イトーヨーカドーの前を通り過ぎる頃、テレビ塔が並ぶ生駒山頂が見えてきた。そのまま直進していくと「花園ラグビー場前」の標識があって、右前方に建物が見えた。歩道橋の上からはラグビー場の全景と生駒山の広範囲が見えたよ。
そうだ! ココならではのマンホールの蓋を投稿しておこう。
次は松原宿跡である。入り組んだ狭い道に入って行くと英田(あかた)北小学校に隣接する角に宿跡の案内板があった。
ここ松原という所は道の左右どこの家にも日の丸旗が掲げられていて、紀元節の日の日本風景があった。
癌封じ延命地蔵尊が祀られて幸いにも扉が開けられていて拝顔できた。地域の人達に信仰が厚そうで、こぎれいな祠からは温かい人情味が伝わってくる。
四つ角に建つ「右ならいせ道」道標に、迷うことなく右折したよ。
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やがて恩智川に架かる水走(みずはい)橋を渡り、外環状線の歩道橋を渡り宝箱(ほうそう)太鼓台収納庫を確認して進んで行くと、箱殿交差点に来た。本当に懇切丁寧な「てくてくマップ」に感謝である。
旧国道170号線を越えて、箱殿東交差点五差路に建つビルの看板にいよいよ枚岡神社も近くなってきたのを知る。
国道308号線豊浦公民分館前を通り、子安地蔵の祠を過ぎ近鉄奈良線のガードをくぐった。昨年の2月26日、暗峠に向かって歩き始めたあの懐かしい見覚えのある道の入り口に来た。
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枚岡神社の本殿に手を合わせながら伊勢本街道完歩の感激をかみしめた。自分一人では到底歩けるはずもなく同行した沢山の人達を思い出すと自ずと感謝の気持ちが湧いてきた。
ありがとう!ありがとうございました。
幾つかの峠も越えた170km。私的にはずいぶん体力がつき、歩く事への自信もできた。我ながら実によく頑張ったと思う。
「伊勢本街道ー2」から始まったこの日記、この日を「伊勢本街道ー1その2」とし、前回を「その1」として書き残しておこう。
本当にお疲れさま。春まだ遠い梅林の梅の花一枝が優しい微笑みをくれた。
追記
枚岡神社から石切神社まで徒歩30分くらい。石切神社に行ったことが無い彼の為に付録歩きをした。よって本日の歩行距離は12(8+4)キロ位かな。
西大寺で途中下車をして、伊勢本街道満願『感激の乾杯』に酔って午後7時帰途についた。
伊勢神宮外宮から内宮までは遷宮の今年中に時期をみて改めて歩こうと思う。
マフラーとマスクを確り身に付けた。この季節マスクをすると吸い込む空気の冷たさが緩和されるので私には歩き易い。中国から飛んで来る大気汚染PM2.5とか言う目に見えない有害物質は普通のマスクでは何の防御にもならないらしいが是にて気休め。
2月11日(月)
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最初に立ち寄ったのは天神社(てんじんしゃ)で、鳥居の向こうに日の丸旗が見えた。特別な愛国心があるわけではないが白地に赤はやっぱり心が反応する。
境内手水所の前に有る案内板に以前伊勢神宮の案内人さんから聞いた事のある「延喜式神名帳」(えんぎしきじんみょうちょう)という言葉があった。
なにやら難しい大切な書物なんだと解釈していたが、これは平安時代の第60代天皇・醍醐天皇の時代延喜5年から22年かけて延長5年(927年)に編纂された、社格の高い当時の官社一覧だそうだ。2861社と祀られている神様3132座が記載されているという。
その神名帳に記載されている意岐部(おきべ)神社がこの神社であると伝えられていて、古くは御厨神社と呼ばれていた時期もあったとか。
案内板の写真にある高さ3m八角形大型石燈籠と元禄十年(1697年)銘の石燈籠と東大阪市で最も樹齢の古い幹周6mの天然記念物指定「くすの木」の画像を投稿しておこう。
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(画像はクリックすると拡大する)
“おみくじ”が沢山結ばれている木を見た。その瞬間蘇った先月の私の「大吉」みくじ。あれはおかき屋さんの近くの神社で引いたおみくじ、「ついで参り」初詣をした罰が当たったようだった。「大吉」を引いた2日後、シートベルト未装着で捕まった。国道を外れ、駐車場を目の前にベルトを外した3・4分間の出来事であった。そしてその2日後大変急いでいたので見通しの効く交差点故一旦停止を省略し、又同じ白バイのお兄さんに捕まってしまった。その若い新人お巡りさんは気の毒そうに言った。「同じ方だと思ったんですが、僕も仕事なので見逃すわけにはいかなかったんです」と。
あの“おみくじ”は喜んで持ち帰らずに木の幹に結んでおけば良かったのかも・・・(笑)
さてさて気分を変えて歩き出すことにした。
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住道は「すみのどう」と読むのだと彼が教えてくれたが、今日は読みにくい地名が次々に出てきた。ややこしいので(よみがな)をつけておこう。
暗越奈良街道の方向すぐ目の前に八剣(やつるぎ)神社が在った。
歩きはじめて1時間半、手持ちの温かいお茶を取り出して境内で休憩させてもらった。ホッとした。ありがたや!二人歩きの気ままな休憩タイムである。
境内には数基の道標が有って、その1つに「右瓢箪山」の瓢箪をひょうたんの絵を彫って表現しているのにユーモアを感じた。
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御厨から意岐部そして菱江へ来たらしい。菱江交差点の角に「もちの木地蔵」の祠と「おかげ燈籠」とが並んでいた。
祠の後ろに有る大木はモチノキなのだろうか?伊勢神宮外宮に到達するまで沢山見てきた「おかげ燈籠」、これが見納めかと「けかお」の文字に今一度注目した。
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そうだ! ココならではのマンホールの蓋を投稿しておこう。
次は松原宿跡である。入り組んだ狭い道に入って行くと英田(あかた)北小学校に隣接する角に宿跡の案内板があった。
ここ松原という所は道の左右どこの家にも日の丸旗が掲げられていて、紀元節の日の日本風景があった。
癌封じ延命地蔵尊が祀られて幸いにも扉が開けられていて拝顔できた。地域の人達に信仰が厚そうで、こぎれいな祠からは温かい人情味が伝わってくる。
四つ角に建つ「右ならいせ道」道標に、迷うことなく右折したよ。
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やがて恩智川に架かる水走(みずはい)橋を渡り、外環状線の歩道橋を渡り宝箱(ほうそう)太鼓台収納庫を確認して進んで行くと、箱殿交差点に来た。本当に懇切丁寧な「てくてくマップ」に感謝である。
旧国道170号線を越えて、箱殿東交差点五差路に建つビルの看板にいよいよ枚岡神社も近くなってきたのを知る。
国道308号線豊浦公民分館前を通り、子安地蔵の祠を過ぎ近鉄奈良線のガードをくぐった。昨年の2月26日、暗峠に向かって歩き始めたあの懐かしい見覚えのある道の入り口に来た。
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枚岡神社の本殿に手を合わせながら伊勢本街道完歩の感激をかみしめた。自分一人では到底歩けるはずもなく同行した沢山の人達を思い出すと自ずと感謝の気持ちが湧いてきた。
ありがとう!ありがとうございました。
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「伊勢本街道ー2」から始まったこの日記、この日を「伊勢本街道ー1その2」とし、前回を「その1」として書き残しておこう。
本当にお疲れさま。春まだ遠い梅林の梅の花一枝が優しい微笑みをくれた。
追記
枚岡神社から石切神社まで徒歩30分くらい。石切神社に行ったことが無い彼の為に付録歩きをした。よって本日の歩行距離は12(8+4)キロ位かな。
西大寺で途中下車をして、伊勢本街道満願『感激の乾杯』に酔って午後7時帰途についた。
伊勢神宮外宮から内宮までは遷宮の今年中に時期をみて改めて歩こうと思う。