和歌山城
2019-12-15 | 日記
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別名「医者いらず」とか言って、”やけど”に重宝しているだけに鈍な私には一本だけは持っておきたい植物である。(笑)
こんな寒い時期に蕾をつけて何時頃咲くのかなぁ~。
昨日和歌山城(1968年に復元)の見学会があって、参加した。
頂いた資料に依ると、戦国時代、雑賀衆(さいがしゅう)という共同体が紀の川下流一帯にいて、普段は海運や農業、漁業に携わっていたが火縄銃などの武器をよく使いこなしていたので傭兵として活躍していたそうだ。
織田信長と大阪本願寺の間で起きた「石山合戦」で本願寺側を支援した雑賀に、信長は天正5年(1577年)攻め入り雑賀方の城を攻め落とした。いったん信長に降伏した雑賀であるが、その後も本願寺の軍勢に加わり、信長を苦しめ続けたとか。
時代が移り1585年(天正13年)、豊臣秀吉が紀州を平定し虎伏山(とらふす山)への築城を弟の秀長に命じたのが和歌山城の始まりで、秀長は家老の桑山重晴を城代として置き大和郡山城に移った。(築城の担当者は藤堂高虎)
1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いで徳川家康に味方した浅野幸長(あさのよしなが)が紀州国を拝領し、城下町を整備したそうだ。
下の画像左から2番目は雑賀衆の城・大田城の瓦。右端は二の丸大奥跡で出土した鬼瓦で、「丸に三葉葵」は将軍家と御三家のみ使用できた紀州徳川家の家紋。
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1619年(元和5年)徳川家康の10男頼信が入国して紀州国と伊勢国の一部を含む55万5千石の紀州藩が成立した。2年後江戸幕府より銀2000貫を賜り、和歌山城の改修に取りかかり、掘を埋め二の丸を西に拡張、砂の丸・南の丸を造成して徳川一門にふさわしい城としたそうだ。
尾張・水戸と共に「御三家」と呼ばれ、8代吉宗と14代家茂(いえもち)は紀州徳川家の出身らしい。
秀長創建当初の和歌山城大手門であった「岡口門」(国重文)や浅野幸長の時代に場所が変更され徳川の元和7年(1622年)に拡張された「一の橋大手門」の石垣も見学。後者は大きな六角形切込み剥ぎの石垣で、ちょっとビックリした。
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護国神社前の松並木のある新裏坂の石垣には刻印の有る石が沢山(854 / 2110個)使われていて、見学に来た皆は見つけては童心にかえって喜んだ。(笑)
いったい誰が何の為にと思うが、学者さんの見解では浅野家が城主だった時代(1600~1619年)に修築された石垣にしか使われていないことから、浅野家の家臣が主家の城普請に協力した印として刻印したとされているとか。刻印のデザインは多種多様で40種以上(案内板に表示)も有り、材質は和泉砂岩に限られているそうだ。和歌山県友ケ島からの採石か?
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築城の石切り場となった御作事所(おさくじしょ)跡では岩肌に楔を打ち込む為の矢穴がくっきりと残っていた。
石材として「紀州の青石」と呼ばれる結晶片岩「緑色片岩(りょくしょくへんがん)」が切り出され、天守閣や本丸周辺の石垣に用いられていて今も見る事が出来た。私は今まで花崗岩しか分からなかったが、今日一つ新しく覚えたよ。(笑)
歴史ある広大な和歌山城では、時代を違えて色々な積み方の石垣を見ることが出来る。孕んできて崩壊するのを防ぐ修復も大変だなぁ~。
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楠門(くすのきもん)と呼ばれる天守二の門をくぐると小天守の入り口へ通じる白砂の道がある。和歌山城の天守閣は大天守と小天守が多門櫓(たもんやぐら)で繋がっていて、連立式天守と言うらしい。
風格ある白亜の3層大天守閣から眺めた紀の川の流れる市街の風景もなかなか良かった。
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それから、二の丸と西の丸を結ぶ廊下橋『御橋廊下』(おはしろうか)は江戸時代藩主と側近だけが渡れる、屋根付きの外からは見えない構造で二の丸側から11度の角度で架けられていて、珍しい。(平成18年に復元)滑り止めに床板が鋸歯状に段差がつけられているので靴を脱いで渡るには足裏がとても痛かった。渡り切って紅葉渓庭園に出ると真っ盛りの紅葉に感動!和歌山の紅葉は少し遅いようだ。
そうそう藩主の隠居所であり、能楽や茶道それに自然の風流を楽しむ場所であった西の丸には大奥が在ったんだよな。
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最後に「毬と殿様」の歌(作詞:西條八十、作曲:中山晋平)を思い出したい。
「わかやま歴史館」の化粧室にこの歌が流れていた。そしてマンホールカードの絵柄が手毬である。実際のマンホールにも出合ったので物好きな私、撮ったよ。(笑)
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