あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

この道はいつか来た道・・・・・

2008-07-31 15:02:41 | 日記

ときおり、道を歩いていると
いつか通ったことがある。
そんな思いに包まれることがあります。

過去の思い出だけでなく
これから歩きたい道であったりもします。

御嶽から澤井までの川に沿った
遊歩道で見つけた道です。
とても嬉しく
足裏で確かめるように歩いていました。
何の意味もないのですが
そうしたかったのです。

人は不可解です。
ときおり、自分がどこを歩いているか
確認できなくなることがあります。
ここは栃木県なのだろうか
それとも青森県

もちろん、すぐに現実に引きも出されるのですが
そのまま、思い出せないままに歩き続けたいと
思うこともあります。

とにかく涼しいのがいい

2008-07-31 07:36:23 | 日記

見た目も涼しい景色がいい。
やはり、緑であり、水なのでしょうかね。

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揺れ動くから面白いと思ってきたのですが・・・
こんな文章にぶち当たると
「うーん」と言ってしまう。
だって、真面目さが流行らない時代でしょ・・・・

法句経

8 この世のものを不浄であると思いなして暮らし
  (眼などの)感官をよく抑制し、食事の節度を知り
  信念あり、勤めはげむ者は、悪魔にうちひしがれない。

  岩山が風にゆるがないように。

山のあなたの空遠く・・・・

2008-07-31 05:45:07 | 日記
御嶽の風景

隠遁生活
悠々自適

きっと、こんな風景もあるのでしょうね。

毎日、夕陽が沈む光景を意識する。

そんな人はきっと、生かされている自分を感じるのだろうな。

・・・・・・・・・・・・

「誰でもよかった」殺人事件
「あってはならないことが・・・・」と驚くのは現実を見ていないあかし。
今の時代「あって当然」の事件ですね。

ネットを見ていると
自分の意思とは関係なく
あれゆる猥褻なもの
過激なもの
お互い知らない同士の不気味な関係が溢れているのが
よく分かります。

現実を絵空事が区別つかない。
あるいは混在する人がいて当たり前ですね。

街を歩いていても
「どうしてこんなことができるの」と驚くような
横断をするおじさん
店員を罵倒するおばさん
そして、妊婦まで肌むき出しのかっこうをしている。

総てが当たり前になってしまい
区分がなくなっているのですね。
それでいいのか悪いのか
前に進むしかないのが時代です。

何か「見たくないこと」をいっぱい見てしまい
「知りたくないこと」が耳に入ってくる。

体力のない私は正面から見ることができず
どうしたらいいかなど考えられない。

ただただ、小さくなって通り過ぎるのを待っているのです。

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「親を困らせる」
その思いは満たされたでしょう。

親は一生自分の育て方を悔い
そして息子達の犯罪を自分でも背負っていくでしょう。
先行き短いものは、その覚悟もできるでしょう。

でも、

「親を困らせる」ことに成功したら
目的は失われ
結果として残されたものを背負って生きるしかない。

そんな覚悟がでてこないとしても周囲は執拗に求めるでしょう。
言い訳に人生のすべてを費やすにしても
周囲はそれを許さないし
自分を責め続けることだけを求めるでしょう。

口とは裏腹に反省すること、そして、再生する道筋は期待していないのです。
反省の日々など、決して求めていないのです。

それにしても、彼らの人生は、あまりに先が長い。

A君の事件の被害者の両親も人生も怒りと怨み
そして、安定と緩しのはざまを行き来し、修羅の日々です。

加害者の親は上をむいて歩くことを許されず
笑顔を見えることを許されず
言い訳もさせてもらえない日々を送っている
残り少ない日々は、自分のためのものではなくなっているのです。

当然、A君は「平然としている」ことで人としての業を生きなければなりません。
自分を責めることで、深い淵をさまよい続けるのです。

営業の仕事をしたり
笑顔や言葉巧みに説明する仕事は許されないでしょう。
よくて職人、できたら過酷な重労働であれば
世間の批判を多少は和らげるでしょう。

でも、大学に通ったり
結婚するとなると
被害者の深い悲しみとの対比によって
否定的な態度に押しつぶされるでしょう。

人とは不可解です。
分ることは計算できること
数値に示されることだけです。

闇そのものです。

阿弥陀堂だより

2008-07-30 18:42:35 | 日記

昨日、昼間から「阿弥陀堂だより」を放映されていました。
けっこう放映されているのですね。
そのたびに見てしまいます。
そして、涙しています。
最近は、その都度、泣く場面が違っていますね。

この映画には声の発せられない少女と並んで
癌に苦しむ幸田先生のエピソードが挟まれています。
この二人の病状と周囲の人との交流の在り方に含蓄があります。

とくに満州から引き上げてきた学校の先生とその奥様の
闘病生活が味わいがあります。

満州での語りきれない苦渋に満ちた生活
引き上げの途中で失った子どもへの思慕
そして、抑留生活ののち戻ってきた先生の
寡黙な生活

癌でありながら、自分で自分の生活を生きている先生
そして、その先生を支える奥様の慎ましく
献身的な姿に感動します。

そして、奥様に感謝の言葉を残して死んでいく先生の
超然とした態度に感動します。
「先生は自分から生きるのをやめた」というような言葉が出てきますが
いいですね。
自殺ではない、自死というニュアンス
似て非なるもの。

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アップした写真は御嶽の駅付近から見える景色です。
いい雰囲気だし
遠くの景色が見えて感動します。
でも、寒くて、不便
どちらをとるか・・・・
う・・・・ん
私は気楽さと便利さを選んだ。

きっと、後悔するぞ。

「山の郵便配達」
も、そうだけれど
山は憧れですね。


ちょっとだけ涼しい

2008-07-30 05:45:32 | 日記

多摩川を歩く

猛暑の中をてくてく歩くには
好奇心だけでなく
「よし!」
ちょっとした根性が必要です。
それくらい汗をかきました。

渓流は水量もたっぷりです。
カヌーの練習をしている人が数人
釣り人が数人
そんな朝でした。

写真を撮るのは難しいですね。
何かの対象物があって「水」が生きるのですね。
そんなことを思いました。

予定していた渓流を眺める料亭・・・
やっとたとりついたのに
開店時間まで一時間もあったので
やむなく
駅に向かいました。

その坂道が大変でした。
そして、駅のホームに座り込み
涼しい風を楽しむのもいいものです。

短い時間でしたが、楽しい気分でした。

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法句経

7 この世のものを浄らかだと思いなして暮らし
  (眼などの)感官を抑制せず
  食事の節度を知らず、怠けて勤めない者は
  悪魔にうちひしがれる。

  弱い樹木が風に倒されるように。

あまりに当たり前、
でも、惰性で生きている私には
鬱陶しく感じます。


御嶽駅前の渓流です

2008-07-30 05:37:47 | 日記

駅前の通りを渡ると
大きな橋があります。
その橋の上から撮った写真です。

こんな渓流で一日釣りを楽しむ。
羨ましいですね。

猛暑ですが
さほど暑さを感じませんでした。

・・・・・・・・・・・・・・・

考えても考えなくても結果は似たりよったり
だとすればどうする?

最近は考えないほうを選んでしまう。

自慢じゃないけど、根っからの怠け者。

青梅の駅前どおり

2008-07-29 15:23:01 | 日記

御嶽の帰りに
青梅に寄りました。

青梅には猫の看板があります。
また、映画の看板がべたべた貼っているのです。
それを見るのが楽しみなのです。

また、路地と言うか裏道の雰囲気を写真にするのを
愉しみにしているのです。
今日は、その一枚です。

そこには人の生活がそのまま残されているのです。
そんな景色がすきなのです。
素朴で野暮ったい。
それで十分なのです。

・・・・・・・・・・・・

「あきオジのひとりごと」に写真がアップしてありますので
関心のある方はご覧ください。

・・・・・・・・・・・

世の中、賢く複雑に考える人が増え
この素朴な言葉が伝わらなくなりました。

法句経

6 われらは、ここにあって死ぬはずのものである。
  と覚悟をしょう。

  このことわりを他の人々は知ってはいない。
  しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。



御嶽に出かけましたよ。

2008-07-29 15:07:10 | 日記

この時期、水の写真が欲しいですね。
そこで、御嶽に出かけました。
八王子から拝島に出て、そこで青梅線に乗り換え
終点青梅で奥多摩湖行の電車に乗り換え

御嶽で降りました。

御嶽に向かうバスが出てきます。
私は、川に沿った遊歩道を歩きますので
橋を渡って歩きました。

夏のこの時期
奥多摩湖のキャンプ場はにぎわっているのでしょうが
花もないので人もほとんどいませんでした。

釣り人を数人見かけました。
渓流はいつものように美しく
水はきらきらしていました

ただ歩いただけなのですが
体力的にすっかり衰え
隣駅まで歩いて終わりました。
暑さにも負けました。

猛暑の中の洪水

2008-07-29 05:16:01 | 日記

何か災害があると気づくことは
人はあらゆるところに入り込んでいるということです。

雪崩に巻き込まれてしまった人
中州に取り残された釣り人
激流に押し流される民家にしがみつく人
車の中

「どうしてそんなところに・・・・」という疑問は
むしろ、世間の常態を知らない人の言葉かもしれません。

スポーツも多様で、新しいスタイルのものが
いつくも登場しています。
釣りも先鋭化しています。

個人が個人であることは、することも
居場所も個別化し
特殊化しているのですね。

御苦労様
でも、災害には注意してください。
助けにいく人も大変なのですから・・・

それに相当に費用がかかるそうです。



人は思いをきり捨てながらどうやらやっている

2008-07-28 16:21:12 | 日記

年をとるとそんな思いは薄れてきますが
若い頃というかつい最近まで・・・・

自分の鬱屈した思いを切り捨てる
そんな何かを乗り切る方法を必要としてきました。

スポーツクラブで筋トレなどと
健康で単純な方法もあれが
仲間と愚痴を言い合ったり
酒に向かう人もいれば
危険を承知で、女性との関係に向かう人もいるし
逆に、仕事に入り込む人もいました。
みなさん、御苦労様。

でも、誰もがそんなことでは何の解決にもならない。
それを承知しながら、他にい、方法が見つからなかった。

いや、まっとうなことではどうにもならない。

それが分っているから大変だったのだ。

「わかっていながろうどうしてそんなことをしたのだ」
「他にも方法があっただろう」
「賢いお前がどうして、そんなことをした」

で物が進めば、世の中、退屈なくらいうまくいく。
若いときって不条理で
無分別で
体と物分りがすっかり分離している。

羨ましいような滅茶苦茶
すぎればすべて笑い話。