あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

バスが着く深大寺門の牡丹かな  あきオジ

2011-04-30 21:07:40 | 日記
神代植物公園
深大寺の山門前はひきりなしにバスが到着します。
けっこうの人がのっています。

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墓地の上は星ばかり  放哉

友の絵を壁に張りて師走  放哉

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神代植物公園に行って牡丹の写真を撮り
帰りにスポーツクラブで泳いで
それで一日が終わりました。

言われるまでもなく
それでいいのだ。

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櫻草なめらいもなく畔に咲き  あきオジ

2011-04-30 21:01:00 | 日記
神代植物公園の櫻草です。

このような可憐な花を育てる趣味のグループがあるのですね。
驚きました。

日本にはあるかもしれないと思うものはあるのです。

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ちか道や水ふみ渡るさつき雨  蕪村

(水たまりで遊んだ記憶があります。戦後、親は食べるのに忙しくて、子をほったらかしにして、働いていたので、一人遊びが上手な子が多かったですね。)

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学生が学生になる五月風  あきオジ

2011-04-30 06:35:12 | 日記
富士霊園です。

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この旅、果てもない旅のつくつくぼうし  山頭火

だまって今日の草鞋穿く  山頭火

(山頭火と放哉との句の識別になるかどうか分かりませんが、山頭火は動いており、放哉は部屋の中から外をみており、行動半径が小さい。そんな気がしますが、だから何がわかるかと聞かれても、こたえられません。)

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表情も薄き地蔵に五月風  あきオジ  

2011-04-30 06:03:44 | 日記
富士霊園の地蔵さん

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雨の傘たてかけておみくぢをひく  放哉

(放哉の句の中でも、繰り返し取りあげる句もあれば敬遠してしまう句もあります。生活感覚に馴染むのがお気に入りで違和感があるのが、苦手なのでしょうね。私は放哉ではありませんから、馴染めないのがあってあたりまえです。まあ、ぼちぼち、いつどこでどのようにぶつかり合うかわかりませんからね。)

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蕎麦を食う藍染め指の頼もしき  あきオジ

2011-04-30 05:52:04 | 日記
富士霊園

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青嵐吸物は白牡丹  良寛

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今のままでいい。そのままの針路でいい。
そんな感じで進んでいます。
いつ息切れしても
挫折しても
歩いてきた道が自分で確認できればそれでいい。

そんな感じですかね。

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欲張らなかったことが
いちばんよかったのでしょうかね。

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望みは小さく
希望も小さく
そして慎ましく

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新緑はときの足跡残すごと  あきオジ

2011-04-29 21:19:59 | 日記
富士霊園

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真昼中ほろりほろりと芥子の花   良寛

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富士霊園の桜は終わりました。
けっこう弁当持参で桜見物に来る人がいるのだそうです。

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墓参りは電車の中と
食事の時間が一番盛り上がりますね。

今年は地震と津波の話題で終始しました。
忘れられない年になりました。

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秩序説く薄毛頭に櫻散る  あきオジ

2011-04-29 21:11:27 | 日記
富士霊園です。

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わかれて遠い人を、佃煮を煮る   山頭火

(この句を作った人だけが物語を知っている。このような句は、論外なのでしょうが、山頭火なら許してもらえる。それが俳句の世界なのでしょう。情に厚いというか、「実は・・・」の世界なのか知りませんが、「裸の王様」にものを言えばいいのにそうはいかないのがいやらしいですね。)

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明日は神代植物公園に出かけましょうか。
それとも新しい発見を得るために、神田の古本屋に出かけましょうか。

それは明日考えます。

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落下して濡れた椿の血の匂い  あきオジ

2011-04-29 21:00:28 | 日記
富士霊園

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仏の花をもらう朝の熱あり  放哉

(よい句かどうか、いや、それ以前に落とされるであろうと思われる句ばかりなのですが、素人の私に、ときどき響いてくるのでは何でしょうか。それが面白くて放哉を追っています。知的で技巧的な句は、手法や発想法が読めると飽きるのですが、放哉は「実は・・・」ととんでもないことが飛び出すような不思議さがありますね。)

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「枯れる」とは退屈な説教のようなもので、色がないのですね。
やはり血を見たいのです。

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