あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

梅干の産地どこかでお茶を呑む  あきオジ

2011-06-30 18:36:40 | 日記
神代植物公園の紫陽花ですね。

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子規の句集も開くのですが私の好きな不器用さも緩みもないので、アップする気がおきません。
これほどの俳人なのに不思議ですね。

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昼顔やどちらの露の情けやら  良寛

徹鉢に明日の米あり夕涼  良寛

(良寛には生来的な楽天性があったのでしょうね。どの句も、まあ、一日すごせればくよくよしなくてもすむ。そんな思いがあったのでしょう。ほどよい教養に包まれてコントロールできるのが良寛であり、突き抜ける情念に慌てるのが山頭火なのでしょうね。面白いですね。)

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金目鯛窓から抜け出す臭い追い  あきオジ

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周波数あわぬ会話の猛暑なり  あきオジ

2011-06-30 18:25:22 | 日記
神代植物公園です。

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朝の山路で何やら咲いてゐる  山頭火

梅干、病めば長い長い旅  山頭火

(つまらぬ俳句もあれば、偶然であってもおもしろい句がある。山頭火には驚かすような技法もなくても、あれっと思わせる句があるので面白いのかもしれません。)

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ごまかしもきかない微妙な夕涼み  あきオジ

朝顔を見に行くほどの暇もなく  あきオジ

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蓮開くおとが気になる朝になり  あきオジ

2011-06-30 18:16:00 | 日記
深大寺の蓮です。
これからがシーズンですね。

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麦の芽に日当るごとく父欲し  寺山修司

車輪の下はすぐに郷里や溝清水  寺山修司

(現代の俳人といえるかどうかわかりませんが、寺山修司の俳句も短歌も好きです。外に時代を掬うちからのある俳人に出あわないからでしょうかね。形式を抜けだしてほしいですね。)

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御無沙汰もお互い様で泰山木  あきオジ

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あきがたい顔にならぬ夏仏   あきオジ

2011-06-30 17:59:23 | 日記
神代植物公園の紫陽花です。

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最近、ありがたい比較のある仏像に出会いませんね。
仏像を敬愛し、尊敬する時代ではないのですね。

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日の暮れの背中淋しき紅葉哉  一茶

青天の真昼にひとり出る哉  一茶

(一茶の正統的な俳句ですね。堂々とした句ですが一茶の臭いや屈折がありませんね。だから、「なるほど」ではありますが「あれっ、それもありか」という驚きはありませんね。)

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善意なる苦言を怨む猛暑なり  あきオジ

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「挨拶俳句」なども面白いかもしれません。
絵手紙があるのですからあってもおかしくありませんね。
それともどこかで流行っているのでしょうか。

元気ですか紫陽花咲いたいらしゃい  あきオジ

筍はおすそわけです夕ご飯 あきオジ

  

あじさいの庭狭くなる雨になり  あきオジ

2011-06-30 06:11:13 | 日記
神代植物公園の白い紫陽花です。

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分け入つても分け入っても青い山  山頭火

炎天をいただいて乞ひ歩く  山頭火

(「これが俳句?」「こんなことでいいの」で始まり、「どうなの?」になりながらぐるっと回ると、言葉の並べ方で山頭火だと分かってしまっている。それが山頭火の面白いところですね。きっと、時代を抜けでる人は形式を抜けだした人なのです。形式を守っている人では新しい世界を作れません。時代は当たり前に上手な人をどんどん捨てていきます。今の大家もあっという間にそれなりの人になってしまうのでしょうね。時代の中でぶれないのではなく、ぶち壊すことでなければ、新しい俳句世界は維持されないのでしょうね。)

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私には私のスタイルうどん食う  あきオジ

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白蓮と南無阿弥陀仏がおわす池  あきオジ

2011-06-30 05:58:40 | 日記
深大寺です。
不忍池の蓮が待ち遠しいですね。
桜、なんじゃもんじゃ、夏椿、白蓮、そして彼岸花
それが終わるとコスモスの丘で一年が締めくくられます。

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端居して妻子を避くる暑さかな  蕪村

浴(ゆあみ)して蚊やりに遠きあるじ哉  蕪村

(いかにも江戸時代の庶民生活という気分ですね。いいですね。蕪村のしゃれた絵を連想させます。発想法が絵か言葉かの差なのでしょうかね。面白いし、このような俳句を創り出した時代の雰囲気が楽しいですね。庶民の生活のテンポ、時代の変化の緩やかさ、「昨日と同じが当たり前」が俳句の世界を生み出したのですね。今とは違った言葉の豊かさと生活の臭いがしますね。時代の感覚と形式がマッチしない現状では、それらしい俳人が生まれないのは当然ですね。)

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美しき朝になりて布団干し  あきオジ

草むしり完全武装で薬缶もち   あきオジ

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おかあさんノウゼンカズラが見えますか  あきオジ

2011-06-30 05:48:48 | 日記
神代植物公園のノウゼンカズラです。

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動く葉もなくておそろし夏木立  蕪村

(蕪村は芭蕉と違って、歴史的思い入れには距離をおいていますね。そこが好きです。観察にすることについても、形容詞の意外性が楽しいですね。)

麦秋や狐のかからぬ小百姓  蕪村

麦の秋きびしき顔の狂女かな  蕪村

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言葉を磨くという表現もありますし、推敲するということもあります。芭蕉は何度も何度も言葉を磨いたということです。
ですから、同じような句がいくつも残されているのですし
私のばあい、命がけでもなければ、芸術を目指しているだけでもない
結社での批評に堪える句をつくっているわけでもなし
そのつもりもなければ才能もない
俳句の形式をかりて、その日を楽しんでいるだけ
気楽だけれど、ちょっと真面目に作っている人に申し訳ない気もしますが
真面目な人だけのものではないでしょう。

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朝顔は人なき窓で今日も咲き  あきオジ

2011-06-30 05:32:38 | 日記
神代植物公園の朝顔です。

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ブログの内容も減らさないと体力も気力ももたない年齢になりましたね。
まあ、すこしずつ。

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いづこより礫打ちけむ夏木立  蕪村

古井戸や蚊に飛ぶ魚の音くらし  蕪村


(先日、とりあげた句を再度アップしました。同じものは繰り返しアップしないなど、専門家じゃあるまいし、こだわる理由などどこにもありはしない。そんな当たり前のことに気づきました。楽しく、気に入ったものは繰り返しアップしましょう。それでいいのだ。)

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昨日新宿に出ました。
それだけで疲れてしまい午後9時に帰宅し
そのまま寝てしまいました。
そんなことで午後の更新はしませんでした。

自分だけがこだわっていたのですね。

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朝顔と挨拶かわす恥ずかしさ   あきオジ

2011-06-29 05:56:52 | 日記
神代植物公園です。

このブログも順調に更新できるようになりました。
週に一回ぐらいは、何も出てこないし
感動もないので「あれれ」と思いますが
そんなこともありますね。
寝不足がなく
時間の余裕があればけっこうやっていけそうです。
老後の楽しみとして
どうにか間に合いそうです。
「写真」+「短歌日記」もそこそこ頑張っています。

後は絵を描くことを続ければ
何とか老後の優雅な生活はできそうです。
よくばらず、この程度のもので満足しなくてはいけませんね。

でも、体が動けることが大切なのです。
ぼちぼちやりましょう。

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何まよふ彼岸の入日人だかり  鬼貫

永き日を遊び暮たり大津馬  鬼貫

(技巧的なことを評論する悪い癖をもちたくありませんし、そのような関心もありません。素材と視点、それだけが響いて来れば、それで十分です。気付かなかった素材を掘り起こし、思いついたような視点で言い切ってしまう。そんな句がいいですね。そのような句を見つめるのが最近の楽しみです。)

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汗を拭く指の細きも傘のうち  あきオジ

2011-06-29 05:35:00 | 日記
神代植物公園です。

大震災から3月以上経ちました。
庶民の力で復興が進んでいるようですが
政府の力はいつの時代も期待できないものですね。
救国の人を求めない時代なのですね。

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日ぐらしや我影法師のあみだ笠  一茶

小便の身ぶるい笑へきりぎりす  一茶

ばらばらと脛に飛びつく蝗かな  一茶

(芭蕉、蕪村とともに有名な一茶、どこでどのようなことから人気がでたのか分かりませんが、ちょっと違うのではないかと言い出す人もいるかもしれませんね。まったくの素人が詠んでも「何これ」という句が大部分を占めているような気がします。究極は「品格」なのですね。でも、俳句は一つ一つの句が独立して評価される性質のものではなく、信州暮らし、弱い立場のものへの目の向け方ばかりではなく、全体を通して評価されるようにできているような気がします。その意味では親子の確執、子に恵まれない不運などとの境涯を句にしたことの意味が重いと思います。あれこれ評論する人はいっぱいいるのしょうね。でも、一茶を評価する現代の俳人は少ないような気がします。)

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紫陽花に包まれ濡れてありがたき  あきオジ

紫陽花の散華うけし聖観音  あきオジ

(高幡不動の紫陽花です。観音様も紫陽花に包まれていました。)

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