春一番が吹き始めました。
聖フランチェスコが家を出て
教会を再建しようと決意し
一から始めた時
何を思い、何を祈り続けることで
自分を支えたのでしょうね。
あちこち楽しみながら歩く道
白い道を逸脱しないように
用心しながら歩きましょう。
・・・・・・・・
立松和平の追悼番組「こころの時代」を流していました。
法隆寺の「お籠り」行事に参加したことなどを語っていました。
思えば法隆寺で修行している人たちの中で
真の信仰者として生きる人は語らないのでしょうね。
語り尽くせないと知っているからなのかもしれません。
聖フランチェスコが家を出て
教会を再建しようと決意し
一から始めた時
何を思い、何を祈り続けることで
自分を支えたのでしょうね。
あちこち楽しみながら歩く道
白い道を逸脱しないように
用心しながら歩きましょう。
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立松和平の追悼番組「こころの時代」を流していました。
法隆寺の「お籠り」行事に参加したことなどを語っていました。
思えば法隆寺で修行している人たちの中で
真の信仰者として生きる人は語らないのでしょうね。
語り尽くせないと知っているからなのかもしれません。
聖フランチェスコ
きれいごとではない世界をもっていたのでしょうね。
でも、その実像は後世の関係者によって
大きく捏造されてしまったのですね。
それは日本の始祖についても同じなのですね。
同じようで同じでなない
肌で感じること
匂いを意識すること
それがなければ雪にならない。
本当の姿など分からない。
本当のことは見えていないと
覚悟しなければいけませんね。
見えたり
自分だけ分かっていると思い込んでいる人を
信じてはいけないことだけは分かりますね。
自分のこだわりなのです。
きれいごとではない世界をもっていたのでしょうね。
でも、その実像は後世の関係者によって
大きく捏造されてしまったのですね。
それは日本の始祖についても同じなのですね。
同じようで同じでなない
肌で感じること
匂いを意識すること
それがなければ雪にならない。
本当の姿など分からない。
本当のことは見えていないと
覚悟しなければいけませんね。
見えたり
自分だけ分かっていると思い込んでいる人を
信じてはいけないことだけは分かりますね。
自分のこだわりなのです。
芭蕉の句
意味不明
解説を読んでもよく分かりませんでした。
でも、芭蕉にしても蕪村にしても
絵柄を組み合わせて
新しい景色を生みだそうとする作為があり
それが、この時代の特徴だと思えば
景色がぼんやり浮かんできます。
鐘の雰囲気と暮れなずむ里の雰囲気
見えてきますね。
音までイメージできます。
意味不明
解説を読んでもよく分かりませんでした。
でも、芭蕉にしても蕪村にしても
絵柄を組み合わせて
新しい景色を生みだそうとする作為があり
それが、この時代の特徴だと思えば
景色がぼんやり浮かんできます。
鐘の雰囲気と暮れなずむ里の雰囲気
見えてきますね。
音までイメージできます。
やっと、ポカポカ陽気の日が続くようになりました。
バンクーバーオリンピック
まだ続いているのですね。
昔なくて今行われている種目けっこうあるのですね。
・・・・・・・
「警察日記」(久松静児監督)
懐かしい映画を観ました。
ボンネットバス
エンストした車をみんなで押したり
手押し車につんだポンプ
集団就職
馬車での花嫁道具の運搬
どれもこれも、私の日々と重なりますね。
貧しさが生活の中心だった時代を思い出します。
バンクーバーオリンピック
まだ続いているのですね。
昔なくて今行われている種目けっこうあるのですね。
・・・・・・・
「警察日記」(久松静児監督)
懐かしい映画を観ました。
ボンネットバス
エンストした車をみんなで押したり
手押し車につんだポンプ
集団就職
馬車での花嫁道具の運搬
どれもこれも、私の日々と重なりますね。
貧しさが生活の中心だった時代を思い出します。
この句がいい句かどうか
素人の私には判断する材料はありません。
全体の中の一部という理解のしかたもあるかもしれませんね。
芭蕉にしても予備知識
下準備がないと理解が難しいとのなると
俳句は形式性において不十分なのかもしれません。
とくに芭蕉は注釈を読まないと
内容を理解したことにならない。
ずいぶん、奇妙な思いになります。
もっとも和歌の世界でも同じようなことがありますね。
それはそれ。
素人の私には判断する材料はありません。
全体の中の一部という理解のしかたもあるかもしれませんね。
芭蕉にしても予備知識
下準備がないと理解が難しいとのなると
俳句は形式性において不十分なのかもしれません。
とくに芭蕉は注釈を読まないと
内容を理解したことにならない。
ずいぶん、奇妙な思いになります。
もっとも和歌の世界でも同じようなことがありますね。
それはそれ。