あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

ふるさとは遠くして木の芽   種田山頭火

2009-04-30 06:54:02 | 日記
みなとみらいのオブジェ

みなとみらいは開港150周年のイベントでひとがいっぱいですね。
それもイベントの一つかもしれません。
それにしてもめげないで出かけますね。
初夏の風は気持ちよく
海風もいいですね。
犬の散歩
そしてジョギングする人が目立ちました。
私はカメラを首から吊るしてぶらぶら
そろそろ何とかいっているうちに
すっかりおじいちゃんになってしまいました。

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昨日は、みなとみらいで写真を撮り
時間があったので阿修羅展を見ようと思ったのですが
待ち時間が長いので諦めました。
上野の大道芸のパフォーマンスを見ましたが
面白かったです。
このような気楽さがいい。

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今日の現代俳句

ふるさとは遠くして木の芽   種田山頭火

芽吹き時の四国の風景を思い出します。
この時期、四国はいいですね。
田圃の中にあるうどん屋
こんな立地条件が悪いところで営業を続けているのは
うまいのです。
俳句とは関係ないか。

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上毛野(かみつけの)安蘇(あそ)の真麻群(まそむら)かき抱(むだ)き寝(ぬ)れど飽かぬを何(あ)どか吾(あ)がせむ
 
【現代語訳】

 上毛野の安蘇の麻の群生を腕一杯にかかえるように、この娘をしっかり抱きしめて寝ていても、まだ満足できない。いったい私はどうしたらいいのか。

この和歌に出くわしたとき、「何?」という感想でした。
漢字が多くて、意味不明だったのですね。
でも、よく読んでいると、若い精力が溢れている男女のことが内容なのですね。
嬉しくなります。
官能的な作品がいっぱい含まれており
おおらかに、しかも堂々と
扱っているのが万葉集ですね。
現代和歌も観念的難解を武器にしないで
このような作品がたくさんでるといいのですが
そうなると意味不明な不気味な作品が溢れるでしょうね。

「万葉の時代にありました。」そんなことでいいのかも・・・。

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「泥の河」(小栗康平監督)

同じ映画を繰り返し見るのが自分流
田村高廣、藤田弓子もよいのですが
登場する場面はごくわずか
でも強烈な印象を与える加賀まり子がいいですね。
娼婦役ですが、この映画を引き締める効果をもたらします。

でも、この映画は運河での別れのシーンでしょうね。
船を追いかけ運河にそった道を走るシーンが素敵ですし
「キッチャーン」と叫ぶシーンが全てですね。
これが小説ではなく映画なのですね。

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洗えば大根いよいよ白し    種田山頭火

2009-04-29 07:24:37 | 日記
昭和記念公園の木連

白木蓮が先でムラサキが後
どうしてなのでしょうか?

自然のことは不思議がいっぱい。
分れば簡単に納得できることなのに
それが分らない。

そういえば、自分の背中を見たことがない。
分っているような気がしているけれど
本当のものを見たこともなければ
知っているわけではない。

知ったような顔でものをいうのは科学者に任せよう。

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今日の俳句

洗えば大根いよいよ白し    種田山頭火

山頭火の句には
省略しすぎて
素人には理解不能で
「何となく」も伝わってこない句も多い。
分らなければ分らないでいい。
そんな言い方もあるけれど・・・・
この句は、大根をせっせと藁縄で泥を落としている状況を取り出している。
とりたてて美しい絵柄でもない。
むりして「どんな人も、心を磨けば美しくなる」などという
教訓を引き出すこともないでしょう。

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今日は神代植物園それともみなとみらい
上天気、お出かけ予定です。

仕事のことはさておき、たのしまなくっちゃ!

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大伴家持の歌
 
あしひきの山桜花(やまさくらばな)一目だに君とし見てば我(あ)れ恋ひめやも
 
【現代語訳】

 山に咲く桜の花をあなたさまと一緒に眺められたら、こんなにも花が恋しいとは思わないでしょうに。

長閑な花見。当時は桜の下でドンちゃん騒ぎなどなかったでしょう。
きっと、恋人同士で楽しんだのでしょう。
それもかなわぬやるせなさを詠った一首なのですね。


石を枕に雲のゆくへを      種田山頭火

2009-04-28 07:00:27 | 日記
昭和記念公園のポピー畑

ポピーの畑はパステルカラーの絵本
夢見るような世界だ
なだらかに起伏が伸びていく
身を投げ出したいような柔らかさ
そして、滑らかな感触が光る。
すっかり、春から夏に移っている。

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今日の俳句

石を枕に雲のゆくへを      種田山頭火

山頭火の句は
思いが溢れて表現形式のためでしょうか
伝わってこないことが多いですし、
削りすぎて、伝わってこないこともあります。
この句は石手山で作ったということですが
遍路の途中
疲れて一休み
そんなときの空の景色を描いている。
それは分りますが
それ以上の情報がないので
勝手に「のんびりしていていいな」とか
「何もないと、こんなこともできるのか」というような
感想しか持てません。
でも、石を枕にするところで
自分たちの日常生活はできない。
その現実を知っていると
この句の面白さが見えるのかもしれません。
いまどき、こんなポーズで寝転ぶ人など見かけませんね。

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今日の万葉集

大伴家持の歌
 
卯(う)の花の咲く月立ちぬ霍公鳥(ほととぎす)来泣き響(とよ)めよ含(ふふ)みたりとも
 
【現代語訳】

 卯の花が咲く季節がやって来た。ホトトギスよ、こちらに来て鳴いておくれ、まだ卯の花がつぼみのままであっても。

状況をそのまま写している。
でも卯の花、ほととぐすが夏を知らせるというとらえ方が伏線にあるとなると
ちょっと、面白い。
この和歌を読むと「夏は来ぬ」という唱歌を思い出しますね。
きっと、私たちの年代の人なら
この曲を知っているはずです。
ひょっとして、この和歌を下敷きにしたのかもしれませんね。

このごろ幼い頃に歌った唱歌というか童謡が突然
出てきます。
どうしてでしょうか。
老人の幼児帰りでしょうか。
それもいいかもしれません。

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別のブログに現代の世相や評論家に腹を立てた
書き込みがありました。
その過激さは面白いのですが
過激な文章はその場の刺激だけで
人を引きつけるものではありません。
そのような過激な表現や乱暴さは
一時的に受けるかもしれませんが
その過激が、その人を孤立させます。
サッカーの過激なサポーターのようなものです。
その場では受けたつもりでも
しらない間に廃除されている。
年寄りには、その辺りの見方が狡猾になります。
でも、達観しすぎて魅力はなくなりますね。
それもいいかも


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「泥の河」(小栗康平監督・田村高廣主演)

何度も見て
何度も泣きました。
昭和20年代
戦後の大阪を舞台とした
小学校3年生の出会いと別れの物語
男にはそれぞれの戦後があり
女には男に翻弄された戦後がある。
淡々と日常だけを描いているだけなのに
悲しい。
私の好きな映画の三要素
「大きな事件がない」
「騙す人と騙される人がいない」
「映像が美しい」
ということになります。
その代表的な映画が
「泥の河」ということになります。
戦後の大阪でうどん屋を商う夫婦
そして、その息子がいる。
うどん屋は河のそば
その河の向こう岸に宿船が停泊する。
夫を亡くした女が船で娼婦をしている。
その娼婦の娘と息子と
うどん屋家族との交流が物語りの内容
見た人なら御存知だと思いますが
悲しげな音楽と切ない別れのシーンが涙を誘う。
ラストシーンとしては特出したできばえではないでしょうか。
私は何でも見ているので
条件付けされてしまっており
台詞の流れの段取りで目が熱くなります。


法衣こんなにやぶれて草の実    種田山頭火

2009-04-27 06:57:28 | 日記
富士霊園の若葉

櫻に夢中になっていたら
一気に散ってしまいました。
でも、若葉の季節がきました。
萌黄色もいいですね。
もちろん
若葉が芽を出す季節の風もいいですね。

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豚インフルエンザが流行しているようです。
死者もいるそうですが
何かSF映画を見ているようですですね。
教会での集会も中止するように呼びかけているということです。
なんという皮肉
人類が滅亡するなど考えたこともありませんが
こんな形もあるのだな。
そんなことをぼんやり考えていました。

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今日のエチカ

説教はする人より、訊かなければならない人の方がずっと疲れる。

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山上憶良の歌
 
萩の花 尾花(をばな)葛花(くずはな) なでしこの花 をみなへし また藤袴(ふぢはかま) 朝顔の花

【現代語訳】

秋の野に咲く七草は、萩、すすき、くず、なでしこ、おみなえし、そして藤袴、朝顔、この七つ。

朝顔は桔梗のことだという話も聞いたこともありますが
どうなのでしょうか。
この和歌が根拠になっているのか
それとも、当時、巷では、ほぼ決まっていたとか
ちょっと気になります。
秋までに確かめておきましょう。

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「赤ひげ」(黒澤明監督・三船敏郎主演)

黒澤明監督作品でどれがすきかと訊かれたら
「七人の侍」
「赤ひげ」
「野良犬」
と答えるでしょう。
「七人の侍」は娯楽アクション映画として申し分なく映画です。
映像でなければ創出できないものですね。
「赤ひげ」は長さと、多少のもっともらしさ
それがいいのか悪いのか分りませんが
白黒の映像、絵としての素晴らしさ
そして映画としての面白さ
エピソードを積み重ねることから
主人公を浮かび上がらせる技法の巧みさは
飛びぬけていますね。
「野良犬」はとにかく映像の新鮮さと
繁華街の圧倒的なエネルギーですね。
脚本の重厚さ、巧みさですね。

「赤ひげ」
もちろん、山本周五郎の原作のよさもありますが
映像化するための脚本が練れていないと
そうはいきません。
脚本が素晴らしい。
そして、セットがいい。
三船敏郎の演技だけでなく
病人、まかないのおばさんの群集劇
助演の重厚さなどを取り上げたら
映画としても素晴らしい。
それぞれのエピソードは
一つずつ完結した内容ですが
香川京子の演技が光る
狂女の話もいいし
佐七とおなかの悲しい話も好きです。
狂女の黒光りした部屋での事件
佐七の話での大川の橋のシーン
地震のシーンが素晴らしい。
感動してなかなか立ち上がろうとしない観客の姿を思い出します。
いまでも新鮮ですね。

DVDを手にいれ、十分の味わうことができた
数少ない映画です。
今日もしっかり泣きました。


南無地蔵尊こどもがあげる薮椿  種田山頭火

2009-04-26 05:58:55 | 日記
多摩森林科学園の櫻

まだ、多摩森林科学園の櫻は続いています。
訪ねる人も後を絶えません。
美しいものを自然の中に見つける。
自然の中に神がやどる
そのように感じるのが日本人の宗教性なのですね。

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今日の種田山頭火

南無地蔵尊こどもがあげる薮椿  種田山頭火

発見する。遭遇する。
それが旅の姿なのですね。

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今日の万葉集

さし焼かむ 小屋の醜屋(しこや)に かき棄(う)てむ 破薦(やれごも)を敷きて うち折らむ 醜(しこ)の醜手(いこて)を さし交(か)へて 寝(ぬ)らむ君ゆゑ あかねさす 昼はしみらに ぬばたまの 夜はすがらに この床(とこ)の ひしと鳴るまで 嘆きつるかも
 
【現代語訳】

焼いてしまいたい汚らしい小屋に、捨ててしまいたいようなぼろ薦を敷き、へし折ってやりたい汚らわしい手と、交し合って今ごろ寝ているだろうあの人のせいで、昼はひねもす、夜は夜もすがら、この寝床がひしひし鳴るほど寝返りを打ち、私は嘆き続けている。

万葉の時代の人の自然に対する思いだけでなく
自分の中に湧き出る情念は圧倒的ですね。

いちりん挿の椿いちりん   種田山頭火

2009-04-25 06:44:18 | 日記
昭和記念公園
花の名前は分りません。
知っている人がいたら教えてください。

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今日のエチカ

新聞もテレビも正義を商品にしているだけなのだ。
そう思わないと、勘違いしてしまう。

タレントの裸事件。
NHKまでというか、そうなのか分らないけれど
大人気ない。
通報することを否定しないけれど
密告正義の時代に生きている
そんな怖さを感じています。
いつ、自分が標的になるか分らない。

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いちりん挿の椿いちりん   種田山頭火

こんな遊びごころの山頭火の句を読むと
技巧が気になり
「そんなことしなくてもいいのに」と思ってしまいます。
一輪といちりんのぶつかり合いであったり
禅的意味合いであったりするとそれなりの意味があるでしょう。
でも、絵柄で見るといいですね。
利休なら、それなりの読み取り方を提示するかもしれませんね。

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今日の万葉集

大伴坂上郎女の歌
 
暇(いとま)無み来ざりし君にほととぎすわれかく恋ふと行きて告げこそ
 
【現代語訳】

暇がなく訪ねてこないあの方に、ほととぎすよ、私がこのように恋い慕っていると、行って告げてきておくれ。

男性が女性の訪ねる。
そんな交際方法だった時代
このような和歌が生まれるのですね。
それにしても当時の交際方法の制約を受けながらも
その思いは熱い。
それにしても、率直で、ストレートな表現が気持ちいいですね。

万葉集には、
天皇へのご機嫌伺いを内容とする作品が多いですね。
気恥ずかしいような作品もあるのが逆に嬉しいですね。
また、過去の都の栄華を懐かしむ作品がけっこうあるのですね。
最近、気づきました。勢力争い井が激しくて
勢力争いに負けて冷遇されることもけっこうあったのですね。
そして、恋しい人を待ち望む作品が
相当数あるのですね。
当時の恋愛関係の作り方
スタイルが分らないと
心情も理解できませんね。

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「村の写真集」(三原光尋監督・藤竜也主演)

村の唯一の写真館の男が
ダムに埋没する村の写真
そして、そこに住んでいる家族の写真を
撮るように村役場から依頼される。
その男は離れて暮らす
同じ写真を職業にしている息子を呼び寄せる。
息子は売れっ子のような振る舞いをするが
親ならそんなこと見抜ける。
そんなですが、二人で写真を撮る作業を通じて和解していく。
そんな内容です。
あれこれ脚本の拙さや
演技指導が十分でないなどの問題が気になりますが
村の風景や行事、そして、住民が主役
俳優よりも地元のエキストラの素朴な表情が絵になっている。
そう思えば、俳優の演技の質などどうでもいい。
それにしても、山深い土地に住む人の雰囲気とか
民家が美しいし
徳島弁が懐かしいですね。
何度も出かけたところですから
映画を見ているときわくわくしました。
それにしても、気持ちよいご当地映画ですから
それなりの内容をもち
感動もします。
名作とはいえませんが
素直に涙することができる映画です。
そのような映画が増えましたね。
それも一つの映画のあり方ですね。

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介護をしている男性の会のリポート番組を見ていました。
「相手の話を聞きだそうとしない」のがポイントだとか
急所をついていますね。
世の中の「望ましい療法」らしいものは
時代と共に修正されるのですね。
下町で介護している男性が
「介護だけでは男として情けない」
と言っていました。
そんな時代の「男」を生きていたのですね。

雲がいそいでよい月にする   種田山頭火

2009-04-24 06:44:01 | 日記
昭和記念公園のつつじ

周囲全体が色づく季節を前に
咲いていました。
それが新鮮でした。

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雲がいそいでよい月にする   種田山頭火

「だからなんだ」と言ったら、それでおしまい。
このような作品に出会うと、暇がないとこのような句は生まれないな
そんなことですね。

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今日の映画

「恋文」(田中絹代監督・森雅之・久我美子主演)

田中絹代監督の作品
戦前から戦後にかけての恋物語
「君の名は」と同じ流れの中にある物語。
好きになった女性はアメリカ軍人のオンリーさん
その二人の真面目で固い恋愛
そんな内容です。
何か「野良犬」を見ているような気分でした。
渋谷駅周辺の風景
闇市、今はあまり見かけない喫茶店
川沿いの泥道
ところかまわず煙草を吸う姿
ポイ捨て
サラリーマンが胸に筆記具をさしている姿
どれもこれも戦後ですね。
懐かしさに圧倒されてしまいました。
古い映画を懐かしむ年代に入っているのですね。
森雅之、浦辺粂子、宇野重吉など
懐かしい顔が次から次に登場して
生真面目な台詞を語ります。
今なら「そんな固いこと言わなくてもいいじゃない」
「それもあっていいじゃない」と一蹴されてしまうそうな
生真面目で、相手を責めるような台詞が出てくるのが
新鮮ですね。

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山上憶良による貧窮問答の歌
 
風まじり 雨降る夜の 雨まじり 雪降る夜は 術(すべ)もなく 寒くしあれば堅塩(かたしほ)を 取りつづしろひ 糟湯酒(かすゆざけ) うちすすろひて 咳(しはぶ)かひ 鼻びしびしに しかとあらね 髭(ひげ)かき撫でて 我(あれ)を除(お)きて 人は在らじと 誇ろへど 寒くしあれば 麻衾(あさぶすま) 引き被(かがふ)り 布肩衣(ぬのかたぎぬ) 有りのことごと 服襲(きそ)へども 寒き夜すらを 我(われ)よりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒(こ)ゆらむ 妻子(めこ)どもは 乞(こ)ひて泣くらむ この時は 如何にしつつか 汝(な)が世は渡る
天地(あめつち)は 広しといへど 吾(あ)が為は 狭(さ)くやなりぬる 日月(ひつき)は 明(あか)しといへど 吾が為は 照りや給はぬ 人皆か 吾のみや然る わくらばに 人とはあるを 人並に 吾(あれ)も作るを 綿も無き 布肩衣の 海松(みる)の如(ごと) わわけさがれる 襤褄(かかふ)のみ 肩にうち懸け 伏盧(ふせいほ)の 曲盧(まげいほ)の内に 直土(ひたつち)に 藁(わら)解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子どもは 足(あと)の方に 囲み居て 憂へさまよひ 竈(かまど)には 火気(ほけ)ふき立てず 甑(こしき)には 蜘蛛(くも)の巣かきて 飯(いひ)炊(かし)く 事も忘れて ぬえ鳥の のど吟(よ)ひ居るに いとのきて 短き物を 端(はし)きると 云へるが如く 楚(しもと)取る 里長(さとをさ)が声は 寝屋戸(ねやど)まで 来立ち呼ばひぬ 斯(か)くばかり 術無きものか 世間(よのなか)の道
 
【現代語訳】

 風まじりの雨が降る夜、雨まじりの雪が降る夜は、どうしようもなく寒くてたまらず、粗塩を少しずつかじりながら糟湯酒をすすったりして、絶え間なく咳き込み、鼻汁をびしびしすすり上げ、大してありもしない髪を撫でては、私のように立派な人間はいないと誇ってみるけれども、やはり寒くて仕方がない、それで麻の夜具を引っかぶり、布の肩衣をあるだけ重ね着しているのだが、それでも寒い夜を、私より貧しい人たちの父や母はさぞ飢えて凍えていることだろう。妻や子は腹をすかして泣いているだろう。こんなとき、あなたたちはどのようにして世を渡っていくのか。
天地は広いとはいえ、私のためには狭くなったのか。太陽や月は明るいというものの、私のためには照ってくださらないのか。人も皆そうなのか、私だけそうなのか。幸いに人と生まれたのに、人並みに耕作して働いているのに、綿も入っていない布の肩衣の、まるで海松のように裂けて破れて垂れ下がった襤褸(ぼろ)のみを肩にかけ、掘っ立て小屋で傾きかけた中に、地面に直接わらを敷き、父や母は上の方に、妻子は下の方に、身を寄せ合って嘆き悲しみ、かまどには火の気を立てることもなく、こしきにはくもの巣がかかり、飯を炊くことなどすっかり忘れて、ぬえ鳥のように弱々しく鳴いているのに、すごく短い物の端をさらに切り取るという言葉のように、鞭(むち)を持った里長の声は、寝床にまでやって来ては呼び立てる。これほどにどうしようもないものなのか、世間を渡る道とは。

あるサイトからコピーしました。ありがとうございました。
「かの有名な」和歌ですね。
堂々としており、趣旨が鮮明で、説得力のある作品ですね。
万葉集を代表する作品といわれれば納得できる独自性もあります。
時代を写す作品は普遍性がありますね。

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今日で今月の仕事は終了です。
連休を楽しみましょう。
かといって計画があるわけではありません。
行き当たりばったりの休日になりそうです。

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この旅、果てもない旅のつくつくぼうし    種田山頭火

2009-04-23 06:36:59 | 日記
昭和記念公園のチューリップ

美しいものをテンコモリしたからといって
美しさが倍加するとか限らない。
でも昭和記念公園のデザインは素敵で
花を美しく見せる技術があります。
美しいものを簡単に美しいという言葉で片付けないほうが
表現が豊かになるかもしれませんね。

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今日の万葉集

大伴家持の歌
 
卯(う)の花の咲く月立ちぬ霍公鳥(ほととぎす)来泣き響(とよ)めよ含(ふふ)みたりとも
 
【現代語訳】

 卯の花が咲く季節がやって来た。ホトトギスよ、こちらに来て鳴いておくれ、まだ卯の花がつぼみのままであっても。

卯の花の匂う垣根に時鳥はやも来て啼きしのびねもらす夏はきぬ。
こんな唱歌を意味も分らず歌っていました。
こうして、卯の花の和歌を読むと
卯の花に興味がわきます。
今の時代の流行と万葉の時代とは違うのですね。

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「スリ」

大昔のフランス映画
素人役者を集めた映画であったり
スリの手口を次から次へと映し出す手法
そしてスリをする青年の不思議な恋を描いて
有名になりました。
「抵抗」の後の作品で
当時の若者に支持されましたが
その哲学的内容と映像は魅力があったのでしょうね。
私もせっせと映画館に通ってみました。
でも、映画は娯楽であるという思いと
時代の流れで記憶から消えていました。
最近、スカパーの番組で放映されていましたので観ました。
若い頃とまったく映像の見方が違っており
新しい映画を見ているような気がしました。
スリの実演のような映画を好きになるのも困りますが
監督の哲学を支持するつもりもありません。
素人の出演者は、その後、どのような職業に就いたのでしょうか
案外、映画関係の仕事だったかもしれません。

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久しぶりに大型書店に入りました。
自分が、書店で眺める本は似たりよったり
興味の幅も限定されています。
結局のところ、読みたい本はいろいろあっても
今の自分には読む気力がありません。
そんなことで数冊手に入れてそれでおしまい。
何となく情けないような気もしますが、
これが今の自分ですね。
まあ、いいか。

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降ったりはれたりおのれにかえる  種田山頭火

2009-04-22 07:20:55 | 日記
昭和記念公園のポピーです。

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昨日はメンテナンスのため
更新ができませんでした。
作業を始めたらメンテナンスで使用できませんとの表示がでました。
仕事でメールを利用している人は
大変だったでしょうね。
本格的に大量に情報を利用している人は
それなりのプロバイダーを利用しているのでしょうが
あっさり、今日は、使用できませんと表示されたら困るでしょうね。
そんなことで昨日は更新できませんでした。
でも、更新できなくても
時代が変わるわけでもなく
仕事に差し支えるわけではないのですね。
そんなことで、ときおり手抜きしながら続けます。

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今日の種田山頭火

降ったりはれたりおのれにかえる  種田山頭火

種田山頭火の俳句を読んでいると、反省ばかりしているけれど
本当はちっとも反省していないし、反省するのは確かなことでも
椿咲くそれはそのときのことです。
そんな感じですね。
それが人間の弱さなのか
単なる種田山頭火がもつ傾向なのか分りませんが
最近は、そのような内容に出会っても
「そうですか」で終わってしまいますね。
狼少年ということでしょうか。

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山部宿禰赤人の歌
 
春の野にすみれ採(つ)みにと来(こ)しわれぞ野をなつかしみ一夜(ひとよ)寝にける
 
【現代語訳】
 
春の野にすみれを摘もうとやって来たが、野の美しさに心惹かれ、一晩過ごしてしまったよ。

こんなゆったりしたときのすごし方ってあるのですね。
徹夜マージャンとか緊急の用事以外には、夜を過ごすなど
想像ができない。
しかも、野の美しさに心震わせて一夜をすごる
たとて、比喩であったり、誇張であったとしても
そこまでいうかな
そんな感じですね。
「何が起こるかわからないですよ。ご注意ください」
おじさんとしては、そんなこと言いたくなりますね。
和歌の世界は表現も自由です。

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今日の映画

「野良犬」(渡 哲也主演)

黒澤明作品のリメイク
芸術祭参加作品ということです。
でも、こんな映画が芸術作品?という内容でもありますが
単なるアクション映画だと思えば見られないこともない。
リメイクといっても内容は全然違う。
シリアスドラマと雰囲気はない。
サスペンスという意味合いも薄い。
渡 哲也のかっこよさだけを強調した映画です。
そのように見れば面白い。
それにしても、もっと上手に作って欲しいですね。
走り回るシーンがありますが
逃げる人は追いかけられていることを意識しているのか
気づいていないのか
追う刑事も身を隠しているのか
そうでないのか
さっぱりわからない
それが全体のスタイルです。
このような映像の不自然さを気にしない時代もあったのですね。
ということで内容もめちゃめちゃ
ただ、煙草をところかまわず捨てる。
容疑者を殴る蹴るが当たり前の時代
映画の中でもひたすら殴り合い。
そんな時代もあったのですね。
また、古くても面白い映画を探してみます。

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しぐるるや道は一すじ   種田山頭火

2009-04-20 05:42:37 | 日記
昭和記念公園のホピー

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しぐるるや道は一すじ   種田山頭火

種田山頭火の句に似合う言葉「しぐるる」でしょうか。
そんな気がします。
それに一人でいること感じる言葉が似合いますね。
感想にもなりませんが
そんな気がします。

あるブログのプロフィールに
種田山頭火の写真が利用されていました。
何となく、懐かしかったです。
種田山頭火に興味をもつのは、俳句を楽しんでいる人以外には
あまりいませんよね。
「花遍路」というタイトルだったしょうか
早坂 暁脚本のドラマがありましたが
相当、昔だったですね。
若い人はあまり知らないでしょうね。

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今日の映画

「待合室」(寺島しのぶ・冨司純子主演)

盛岡近くの無人駅に供えられている
「心のノート」に書かれていた
それぞれの思いに
その無人駅を管理している
雑貨屋の女性が添え書きをしている。
書いている人が分からない人に反応をしている。
ときには、書いた人に遭遇し
話し合ったりする。
エピソードにして映像化したもの。
それぞれのエピソードは美しいのですが
全体を考えると
物語のつながりがないだけでなく
何かを訴えかける。
その努力が見られない。
それぞれのエピソードが感動的なものを含まれているのに
そらしてしまったり、中断するので
観客に不全感を残してしまいます。
だから、これ何?というのが率直な感想でした。
そのような内容なら、そのような内容で
泣かせていただきませんか
そんなことって、ありませんか?
この映画のラストシーン
人影もないような駅での物語なのに
ラストシーンではそこそこ立派な商店が登場したり
けっこう、人が集散する駅であることが分ったりして
感動が薄れてしまいました。
冨司純子演じる女性のはかなげな台詞がちぐはぐになってしまっている。
それが残念でした。