あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

雨の鎌倉ということになりました

2008-09-30 20:44:40 | 日記
連日の雨

そんなことで傘さして鎌倉

例のごとく、「鳩サブレ」ばら売り5枚

傘差し、サブレ食べながらでは写真が撮れません。

でも、小雨になったり、霧雨になったり

どうやら写真が撮れました。

鎌倉駅から鶴岡八幡宮

そして小町通を戻りました。

江ノ電も楽しそうですが、北鎌倉に下りなかったことが気になり

北鎌倉まで戻り明月院を歩きました。

明月院の小さな門に飾ってある

季節の花

地蔵さんが花器を抱えており

そこに投げ込まれた季節の花

それが愉しみなのです。

シュウメイ菊も咲いており

収穫がありました。

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「歎異抄」(杉浦明平著)

電車の中で退屈するといけないのでバッグの中に突っ込みました。

昨日、三国連太郎の「白い道」を読んだのに引きずられました。

悪人(被差別人)という下敷きを通すと見えてくるものがある。

以前から、そう思っていましたが、今回、読んでみてそれもあるかな

そんな感想を持ちました。

明治まで表に出なかった「歎異抄」

その隠された理由も、そうなのかという分析をしていました。

聖フランチェスコとフランチェスコ修道会

親鸞と浄土真宗

不思議なほど似てますね。

聖フランチェスコと親鸞

それぞれが目指していたこと

自分が願っていたこと

それとは全く違った姿になりながら

名だけが残っている皮肉を

どのように見るのでしょうか?




台風が近づいてきました

2008-09-30 06:12:11 | 日記
昭和記念公園のコスモス

見ごろは10月中旬です。

巾着田のコスモスは見ごろ

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「鶴瓶の家族に乾杯」をいつも見ています。

日本のいろいろな場所を尋ね

そこでの人との出会いを楽しむ

そんな番組ですが

日本人の底力は当たり前にいる

庶民の感覚だということがわかります。

昨日は長野県の飯山市でした。

「阿弥陀堂だより」の舞台であり

ロケ地ですね。

朴訥で直言方のじいさん

恥ずかしがり屋で表に出たがらないばあちゃん

そこにあるのは、確かな日本人です。

この人たちによって、戦後の日本は支えられている。

そんな気がしました。

政治の貧しさを補っているのは

難しいことを語らない

「蕎麦」のもてなしをしている声なき庶民なのですね。

いつも、この番組を見ていると

ここにも「生活がある」と思って涙してしまいます。


「白い道」

2008-09-29 16:44:26 | 日記
「白い道」(三国連太郎監督)

久しぶりに観ました。

お気に入りの映画です。

親鸞の生涯を描いたものです。

西本願寺、東本願寺がスポンサーになっている映画です。

巨大宗教になった浄土真宗の権威的な現状からして

このような権力に立ち向かい

貧しい人の側に立ち続けた親鸞の姿を

生真面目に描く三国連太郎が

どのように映ったのでしょうか。

色彩を極端に抑え、とことん貧しさそのものを描いた

この映画は映像として心地よくはありませんし

抑制を求めた演技は

息苦しくもあります。

でも、史実に忠実に描こうとする姿勢は好ましく

いつか、繰り返し見る映画になってしまいました。

ロケによる荒漠とした河原や北国の雪景色は圧倒的ですね。

衣装等もこだわっているようですが、時代的に正確なのか

よく分かりません。

でも、そうかもしれない。

そんな感じです。

まともなものを着ていなかった親鸞が新鮮です。

時代の風景と親鸞の生きる姿を

三国連太郎独特の表現で映像化しています。

特に「穢れ」「病」と信仰との関係に興味をもちました。

吉川英治の描く「親鸞」のような

美しく、賢い人でもなく

日常の親鸞のようにも思えます。

病みつきになる映画ですね。

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廃屋   茨木のり子 

人が 
棲まなくなると
家は 
たちまちに蚕食される
何者かの手によって
待ってました! とばかりに

つるばらは伸び放題
樹々はふてくされていやらしく繁茂
ふしぎなことに柱さえ はや投げの表情だ
頑丈そうにみえた木戸 ひきちぎられ
あっというまに草ぼうぼう 温気にむれ
魑魅魍魎をひきつれて
何者かの手荒く占拠する気配

戸さえなく
吹きさらしの
囲炉裏の在りかのみ それと知られる
山中の廃居
ゆくりなく ゆきあたり 寒気だつ
波の底にかつての関所跡を
見てしまったときのように

人が
家に 
棲む
それは絶えず何者かと
果敢に闘っていることかもしれぬ




雨降りの月曜日になりました

2008-09-29 06:01:28 | 日記
昭和記念公園

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今日は雨降りの月曜日です。

今日は仕事がありません。

昨日は曇り、今日は雨

写真を撮りに出かけることができません。

どうしましょう。

ファミレスで本を読む。

それもいいかもしれません。

最近覚えた暇つぶしです。

「ブッダはなぜ子を捨てたか」山折哲雄著

2008-09-28 17:37:49 | 日記
興味を引くタイトルなので読んでみました。

学者ですから、知識をうまく裁いた本です。

でも、最後には親鸞や西行などを引き出して教養書にしてしまいました。

話しのタネになるような面白い内容はありませんでした。

ブッダに子がいたことは、イエスになかったということくらいに

興味あることです。

仏典でも、聖書でも

事実をどのように扱うか、弟子達の苦労でした。

もちろん、聖フランチェスコも同じです。

事実を隠すか、事実を美化し、脚色し、必然性の物語にするか

苦労するものですが

ブッダは息子を弟子にしてしまいました。

不思議なこじつけですが

イエスの父、そして、いたかもしれない兄弟は

聖書から切り捨てられました。

今の時代の代理父にして消されました。

ブッダはどうだったのか、

その後の人たちの「美化」苦労物語ですね。

でもこの本では何の意味を見出せず

それなりのもっともらしさで終わります。

まあ、そんなことでしょう。

そんなことなら「雨ニモ負ケズ」を

仏教的に取り上げてもらいたかった。

昭和記念公園のベンチで読みました。


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茨木のり子の詩

ほかにもないか、と聞かれました。ネットで拾うことができます。
とりあえず、ネットから引用します。

部分



日に日を重ねてゆけば

薄れてゆくのではないかしら

それを恐れた

あなたのからだの記憶

好きだった頸すじの匂い

やわらかだった髪の毛

皮脂なめらかな頬

水泳で鍛えた厚い胸廓

ゴツ字型のおへそ

ひんぴんとこぶらがえりを起こしたふくらはぎ

爪のびれば肉に喰い込む癖あった足の親指

ああ それから

もっともっとひそやかな細部

どうしたことでしょう

それら日に夜に新たに

いつでも取りだせるほど鮮やかに

形を成してくる

あなたの部分

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放送大学「西洋音楽の諸問題」

日本における宗教音楽を取り上げた講義を聞いていました。

生島に残る「オラショ」を紹介していました。

音楽的に取り上げられていましたが

キリスト教の日本に伝来し

熱心な信者ができたら

キリスト教弾圧

そして、隠れキリシタンとして生き延びます。

しかし、時間は残酷にも伝承は形式をゆがめ

キリスト教とは別のものになってしまいます。

「サンダカン八番娼館」の女性と同じ運命なのですね。

そんな事実は、キリスト教だけでなく仏教にもありますね。

宗教の残酷さと怖さを感じました。

でも、宗教音楽は、気持ちの浄化にいいですね。

講義では、ゴシック期の宗教音楽を夕焼けの海を映しながら

流しました。

これぞ宗教世界ですね。

講義とは関係なく、感動しました。

お調子者の私は、その後

「マタイ受難曲」を流して居眠りしていました。

いい日でした。

「だいじょうぶだよ」晴佐久英著

2008-09-27 21:26:36 | 日記
昭和記念公園のコスモス

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いま流行している「元気になる」本

司祭が書いた本です。

どうも、坊さんとか牧師さん

あるいは心理学学者が書いたものは

胡散臭い。

自分が善で読む人は未熟者

あるいは病んでいる人

そんな図式が最初からある。

そして、自分の説を語るとき

経典、聖書、ユングとかアドラーとかを引き出す。

ますます怪しい。

著者の汗が見えない。

この本、電車の中で読んでいて

とても気恥ずかしくなりました。

一行読んだだけで、そのネタと展開が見えるのですね。

そう、この感じは、某大学で聖書学の講義を聞いたときと同じ

どうも、関係の固定(悪いものとそれを許す。あるいは導く)に原因がありそう。

それはそれ、その人が見えない本は匂いも味もしない。

自分を励ますというより作法を学ぶためには

旧約聖書の「シラ書」(集会の書)が参考になる。

一人で淋しいときには「ダンマダマ」や「スッパニパータ」が

世の中、そんなものだと教えてくれる。

信者でなくても、参考になることがある。

信者の方や、教えを説きたい人には申し訳ないけど

そんな読み方をしている。


昭和記念公園は白コスモスだけが咲いていました。

2008-09-27 15:44:26 | 日記
昭和記念公園

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コスモスを心待ちにしている人がいっぱいです。

まだ開花始め

それでも、カメラマンは身を低くして

白いコスモスを撮影しています。

白いコスモスは空の青さに馴染みますから

みなさん、地面に顔をこすり付けるようにして

下からコスモスを狙っています。

考えることは同じですね。

白いコスモスはまだ塊ではなく

隙間が目立ちます。それと、形が単純なので

苦労しているようです。

でも、定年退職後のおじさんたち

元気です。

それとカメラもとびきり値のはる高級機です。

いい写真が撮れるといいですね。

私は、その時期を待っています。

今日は偵察ですね。

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絵を描こうと思っているのですが

写真をいじっているのが楽しくて後回しです。

柿も出始めたし、楽しそうなのですが

あちこち手を出して中途半端状態

映画も、ミニシアターで上演しているものも見たい。

でも、とりあえずのものができていない。

昔からちっとも変わっていない。

一日、一仕事

欲をかくことはない。

でも、残された日々は短いのです。

いいわけ考えているうちに一日が終わりました。


茨木のり子の次は誰なのだろうか

2008-09-26 20:04:59 | 日記
彼岸花

わずか一週間の開花

それが地上での輝きだと思えば

ありがたく楽しみましょう。


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ぎらりと光るダイヤのような日  茨木のり子


短い生涯
とてもとても短い生涯
六十年か七十年の

お百姓はどれほど田植えをするのだろう
コックはパイをどれ位焼くのだろう
教師は同じことをどれ位しゃべるのだろう

子供たちは地球の住人になるために
文法や算数や魚の生態なんかを
しこたまつめこまれる

それから品種の改良や
りふじんな権力との闘いや
不正な裁判の攻撃や
泣きたいような雑用や
ばかな戦争の後始末をして
研究や精進や結婚などがあって

小さな赤ん坊が生まれたりすると
考えたりもっと違った自分になりたい
欲望などはもはや贅沢品になってしまう

世界に別れを告げる日に
ひとは一生をふりかえって
じぶんが本当に生きた日が
あまりにすくなかったことに驚くだろう

指折り数えるほどしかない
その日々の中の一つには
恋人との最初の一瞥の
するどい閃光などもまじっているだろう

本当に生きた日は人によって
たしかに違う
ぎらりと光るダイヤのような日は
銃殺の朝であったり
アトリエの夜であったり
果樹園のまひるであったり
未明のスクラムであったりするのだ

(見えない配達夫より)

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明日はどこに出かけようかと考える。

そんなときが一番楽しい。

ネットで祭りやイベントを探したり

仕事仲間から情報を得たり

結局のところは、電車に乗ってから考える。

そして、乗り換え電車の都合によっても変わる。

どうでもいいほど曖昧で不確か

気分次第といわれればそのとおりなのです。

ということで明日はみなとみらいかな?