あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

今日は何もない日

2008-04-30 22:20:29 | 日記

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昨日のことは昨日に戻って修復できない。
明日は明日にならなければ手に掴むことができない。
当たり前のことだけど
何とかできるのは今日と言うか
今だけと言うか
そんなことなんだろうね。

最近スポーツ選手のコメントを聞いていると
この考え方に集約されているような気がしますね。
一戦一戦だけに集中する。
その積み重ねが結果となる。
そんなことですね。

西洋風というか
「カサブランカ」風に言えば
「昨日のことは忘れた。
 明日のことは分からない」
(ちょっと違うかな?)

何かで読んだ記憶があります。
「今日はとりあえず失敗がない日」
という言い方もあるかな?

自分はそんなことを自分自身に言い聞かせているわけでもない
まあ、いいか
そんな感じ
でも、どうして、そんなことを考え付いたのかな
自分でもよく分からない。

今日は何もないただの暇な日
記憶に何一つ残らない日になるだろうね。





御苦労様

2008-04-30 19:55:18 | 日記

野毛の大道芸

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この大道芸に飛び込む女性がいる。

そうなると
年寄りの親切風の講釈が始まる

親がいるだろう
兄弟がいるだろう
将来もあるだろう
あんたそれでいいの・・・・・

さらに親切な人は
そんな人様に肌を見せたりしていいの
商売女と間違えられるわよ
家族がちゃんとしつけないからこんな子になってしまった。
そういって笑われるのはあなたではないのよ

そんな心配をするのが老人
「安全、無事が何より」の世界に入ると
冒険はいらない
好奇心も怪我のもと
寄り道はいらない。
そういう何もしないことが分別の極み

楽しさと危険を天秤に架ける
そして、二度三度迷って何もしないほうに手を上げる。
そして、しっかり「いい訳」だけはいくつも準備する。

年よりは「何もしない」選択をしたときには
便利な存在になることもある。
物分りのいい年寄りの役割を得たとしても
あっという間に、その役割は奪われてしまう。

御苦労様です。
とりあえず、散歩しましょう。

藤を主役にしない日本の美意識とはなんだろうか?

2008-04-30 15:26:10 | 日記
神代植物園の藤棚(見ごろ)

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藤は美しい涼やかな形なのに
桜の季節の続きの時間つぶしのように扱われている。
そんな気がします。

そんなものかもしれないなあ。
藤は藤棚として鑑賞する。
何か、最初から藤棚と決まっているような気がします。
そんなものかなあ・・・・

決められた定めのように生きると
いつのまにか、望まれた形に収まってしまう。
それって、ちょっとおかしいけれど
その定めのとおりに「なる」ことでそのとおりになる。

それが自然の調和なのですね。
引力には逆らえないようなものです。

そんなことかな・・・・
わかるつもりはないけれど?


もう、すっかり夏の気分になっています

2008-04-30 13:29:27 | 日記

神代植物園の牡丹(今が見ごろ)三鷹、吉祥寺、調布からバス20分

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例のごとく早起き
ブログの更新をして
お絵かき一枚
そして、放送大学の退屈な授業を視聴して、
一日分のノルマ達成!!!

とにかく電車に乗ろう
車内は、Tシャツ姿の若者が目立ちます。
でも、日焼けしている人が少ないのが
夏はまだまだという感じですね。

神代植物園で牡丹の写真を撮りました。
ハンカチの木に花が咲きました。
それも写真に撮りました。
それでおしまい。

すぐにバスに乗り引き上げました。
バスの中で居眠り
最高の贅沢なのです。
駅ビルの「王将」で餃子定食を食べてた。
相変わらず食い物に頓着ないけど大食い
いい気分で帰宅

そして録画しておいた「剣客商売」と「ダ・ヴィンチの謎」を見る。
半分は居眠りしていました。
これでいいのか悪いのか
そんなことなどどうでもいい。

そして、一日が終わりました。
私の一日は四時には終わるのですね。


こんな人生もいいですね。

2008-04-29 22:12:55 | 日記
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盛岡の石割桜を守り続ける職人の親子がいます。
桜を植え続けたバス運転手のエピソードがあります。
村民一体となって老化した桜を再生させた話があります。

どれもこれも
桜も気持ちを伝えれば響く
そんな夢のような話です。

あると思えばある。
そんなことを信じるようになりました。


葉桜が温かい

2008-04-29 21:38:15 | 日記
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気づいたらそこにいた
きらきらしている
なのに目立たない。

その人が何か語っているとは思えない。
何か特別のものがあるわけでもない

なににきらきらして
ほっとさせる雰囲気広げてしまう人がいる。

自慢するわけでなく
批判したり、正論を言うわけでもなく

ときおり軽い冗談程度
自分を笑えるし
ドジをさらすことを気にしない。

いそうでいない
そう思っていた。
でも、いそうでいる。
ただ、気づかないだけ。

今日はその人と連休の話をした。
何もしないで、近くの公園まで散歩するそうです。
「それでたくさん」と付け加えてました。

私はまだまだ遊びも仕事になっている。

このごろ泣くことはあっても心弾むこともなく

2008-04-29 18:56:38 | 日記

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極楽へいったら
蓮の花が一年中咲いていて
色彩に満ちて、美しい天上の音楽が流れていて
食べる心配もないから
食べることにも興味がなくなり
毎日が晴れで・・・・

天国へいったら
悪い奴等は地獄に落ちるから
いい人ばかりで
騙しあいもなく
嫉妬もない世界でいい訳もないから
いつのまにか会話もなくて
たた微笑みあっている・・・・・・

きっと、こんなことを書いたら
それは間違いだ
と常識ある人たちの非難が飛んでくるだろう

でも、誰も極楽から戻ってきた人も
天国から引き返した人もいないから
私の言ったことに賛成できなくても
批判することもできないだろう。

そんなことばかり考えるから
泣くことがあっても心弾むこともないのです。