先生が来られないので参加しないと言うのも悪いので小国町まで行ってきた。もう一人の講演者である山形大学の小山浩正准教授の話は「ブナの知られざる生き様とその楽しみ方の提案」というテーマで、ブナが厳しい自然界で生き抜いていくための戦略や、ブナ林の中で発見できる楽しみについての報告があった。何か一つ視点を定めてブナ林の中を歩くと新しい発見があるということを、実例を挙げて説明された内容は、大学教授というより森林インストラクターの話みたいでなかなか面白かったし参考になった。シンポジウムのパネラーにも以前お会いしたことのある、仙台から来られた住空間工房代表で「東北発・木のマガジン〔シルバン〕」というなかなかセンスのある雑誌を発行している早坂みどりさんも参加されていてお会いすることができ、それなりに収穫があったシンポジウムであった。
先生が来られないので参加しないと言うのも悪いので小国町まで行ってきた。もう一人の講演者である山形大学の小山浩正准教授の話は「ブナの知られざる生き様とその楽しみ方の提案」というテーマで、ブナが厳しい自然界で生き抜いていくための戦略や、ブナ林の中で発見できる楽しみについての報告があった。何か一つ視点を定めてブナ林の中を歩くと新しい発見があるということを、実例を挙げて説明された内容は、大学教授というより森林インストラクターの話みたいでなかなか面白かったし参考になった。シンポジウムのパネラーにも以前お会いしたことのある、仙台から来られた住空間工房代表で「東北発・木のマガジン〔シルバン〕」というなかなかセンスのある雑誌を発行している早坂みどりさんも参加されていてお会いすることができ、それなりに収穫があったシンポジウムであった。
中でも驚いたのは、来賓のトップである省長(四川大地震対応で急遽参加できず副省長が代理出席)の通訳を担当していたのが、昨年までJICAの技術協力の仕事で我々と寝食を共にし、荒野を一緒に駆け回ってくれた若い通訳の張君だったことだ。そのときのもう一人の通訳も代表団の通訳として参加していた。
彼らは、日本の大学での留学経験があり、日本語がうまいだけでなく、日本の文化と何よりも日本人の気心をよく理解している。したがって、通訳するときも直訳ではなく、日本人にわかりやすく説明を加えながら訳してくれる。ただし、我々に対する気づかいからではあるが、都合の悪いことや我々が気分を害するようなことはごまかして訳さない。
そこのところが少し問題ではあるが、非常に気のいい奴等で中国語で言う我々の老好友(古い友人)である。
5月25日、今日はNPO法人新潟国際ボランティアセンター(NVC)の総会があった。 今年の4月にNVCでは「地方発国際NGOの挑戦」という本を出版した。地方から直接海外の地域を支援する活動を20年間続けてきた集大成であると同時に、同様の活動を行おうとしているNGO等にも参考になるような汎用モデルを意識しているようだ。 毎年のバザーで平均200万円の収益を上げ、それらの収入と寄付金などで、全く行政からの支援なしでラオス、ベトナム、バングラディッシュなどの貧しい地域に対して、小学校の建設や井戸の掘削、さらに発展途上国からの留学生に対する奨学金の支援などを行ってきた。専属事務局員もおかず、地方におけるNGO活動で20年間もこのような実績を積み重ねてきた団体は極めて稀であろう。 本の紹介はHP(NVCのURLはhttp://nvcjapan.org/) に掲載されている。
厳密に言えば多分不法係留なのだろうと思うが、河口付近の水辺景観には必要なアイテムになっている。
30年くらい前、長男がまだ小学生の頃、ここに何回か釣りに来たことがある。周りにも河口の突堤にも同じように釣りをしている親子連れが多かった。しかし今日は土曜日にもかかわらず、釣りをしている人はひとり人もいない。というより、外で遊んでいる子供の姿が全くない。おそらく川や水辺には近づくなと言われているのだろう。ネコが数匹のんびり寝そべっているだけだった。
今年は、里山の山野草もソメイヨシノも開花時期は例年より早かったので、全ての植物の開花時期も全体に早まっているようだ。
ブログを始めてから1年以上が経ったため、昨年との季節のズレはほぼ正確に知ることができる。昨年のブログを調べてみると6月16日この公園のバラを撮っている。バラ園の花の色は赤、橙、黄、黒、紫、白、ピンク系など多様である。しかし偶然なのか、確認してみたら昨年撮ったバラも同じ種類の同じ黄色いバラだった。黄色が好みという自覚はあまりないが、一番目立っていたのかも知れない。
ヨシの生い茂る沼に、V字型のトイが高台から何段かに連なって、多数設置されて沼に水を落としている。デザインとしては面白いかも知れないが、今いち必然性に欠ける気がする。直線的なV字型のトイの組み合わせも象設計集団にしては珍しい気がした。
2008年5月17日(1)、山中温泉を流れる大聖寺川に、草月流三代目家元勅使河原宏がデザインした「あやとり橋」がある。両岸が両手となって、綾取りをしている状況をデザインしているという。構造計算をすると、このような太い鉄骨構造になってしまうのであろうが、恐らく勅使河原宏はもっと細いデザインを考えていたのではないだろうか?空中でS字を描くことにこだわればこうなってしまうが、直線であれば吊り橋と同じで、綾取りの糸のイメージに仕上げることは容易だったはずである。どうやら草月流的なモニュメントとしては単なる綾取りでなく、環境芸術としてのモニュメントを意識しすぎた結果のような気がする。ここまで自己主張する必要はなかったと思うのだが…。
芸術家のデザインであっても、公共建造物の安全性確保のために定められた設計基準を遵守するとこうなる、という事例を見せられたような気もしないではない。
2008年5月16日(2)、加賀百万石の伝統文化を生かした老舗の銘菓処が一同に会した「御菓子城加賀藩」のなかに、加賀藩の伝統工芸である九谷焼、輪島塗、山中塗、加賀友禅、金箔などを人間国宝が作った工芸作品を展示した「日本一の人間国宝王国・石川」と、5000種10万点が展示されている「折紙博物館」がある。
写真は折紙博物館の展示作品の恐竜であるが、どう見ても1枚の紙から折られているとは考えられない。これを考えた人はとても人間業とは思えない。これもまさに人間国宝級である。恐竜の骨格標本の折紙もあり、「たかが折紙、されど折紙」である。
2008年5月16日(1)、今日は日本技術士会北陸支部総会が山中温泉で開催された。新潟県からの参加者は大型のバスに15名が乗車して新潟市を出発、金沢駅で富山、石川、福井の各県からの参加者17名と合流、途中ボトリングや製函・包装・洗浄などの自動システムの製造メーカーを視察後、石川県小松市にある日本自動車博物館に立ち寄った。
いわゆるクラシックカーといわれる初期から戦後の高度成長のころまでの自動車が約500台展示されている。クラシックカーに興味のある人はたまらないのかもしれない。しかし、車にあまり興味のない人間にとっては、所狭しと車が並べてある様は、単なる中古車センターと変わらない。
ただ、一部に昔の雰囲気のある背景とともに展示してあるコーナーはなかなか良かった。単に車を並べるだけでなく、車の数は少なくてもその時代背景とともに展示がしてあればもっと多くの人の興味をひくのではないだろうか?
2008年5月11日(3)、湯滝の上部にある湖では、湖の中に脚立をたてて魚釣りをしている人が多い。地図で見ると「湯ノ湖」というらしい。ここから金精峠を越えて丸沼高原あたりまでは、つい最近降った新雪が道路脇にも白く残っていた。中禅寺湖のあたりでもちょうど桜が満開になっていて、1、2ヶ月季節が逆戻りした感じだ。金精峠付近ではダケカンバやブナの芽吹きもなく、まだ真冬の景色のままであった。
2008年5月11日(2)、十数年ぶりに日光から金精峠越えをして沼田に出た。戦場ヶ原を過ぎたあたりに湯滝という看板を見つけ、お湯が滝になって落下しているのだろうか?と思って寄って見ることにした。駐車場に入るのに400円取られたし、滝は期待に反してお湯ではなかったが(多分冬には気温よりかなり暖かくて湯気が出ているのかも知れない)、見上げた感じでは45度くらいの角度で末広がりに滑らかに落ちてくる珍しい滝で、わざわざ見に行った価値はそれなりにあったと納得。
2008年5月11日(1)、今日は、先週脳梗塞で倒れて入院した友人の見舞いに、栃木県佐野市の病院に行ってきた。若干ろれつがもつれるが、ほとんど会話はできるし、左の手足がやや動きにくいが、それでも機能は失っていない。このまま順調にいけば、リハビリによってかなりのところまで回復できそうだ。これに懲りて酒を控えるようになれば返って前より健康になれるかも知れない。人の言うことを素直に聞く奴ではないが、医者に言われたら少しは観念するだろうか?
今日は、往きは新潟西ICから関越自動車道高崎JCT-北関東自動車道を経由して佐野市まで行き、帰りは佐野市内にある色鉛筆画の「安藤勇寿『少年の日』美術館」に寄ってから東北自動車道栃木ICから宇都宮IC-日光道路-中禅寺湖-戦場ヶ原-日光湯滝-金精峠-沼田IC-関越自動車道―新潟西ICという行程で、今日1日の全走行距離は650km。見舞いに行ったのか、観光ドライブに行ったのかわからない1日であった。
この安藤勇寿(ゆうじ)の「少年の日」美術館は、作品の雰囲気もいいが色鉛筆でここまでの大作を制作できるとは想像もつかないほどの作品があり驚きであった。
2008年5月10日、新潟港開港140周年と明日から始まる「G8労働大臣会議」を記念して、新潟西港に帆船の日本丸が寄港した。G8が開かれる朱鷺メッセの対岸にある市歴史博物館の駐車場には早朝から多くの警察官が集合していた。G8各国の大臣は日本の舛添大臣以外は、結局全て代理出席となったらしい。盛り上がりに欠けるG8になりそうだ。
このG8には当社も、朱鷺メッセのPRブースで佐渡市の情報コーナーの展示を担当している。現場は入場する車も事前に申告したものに限られ、作業員も全てIDカードを持たされて結構大変そうである。
実は今朝7時頃新潟西港に日本丸が入港するというので、帆走している状況を撮りたいと思い6時過ぎに新潟みなとトンネルの西側タワーまで見に行った。しかし残念ながら日本丸は帆を降してタグボートにひかれての入港だった。
この写真は、午後から行われたセイルドリル(帆を張る訓練)の時のものであるが、背景が曇り空だったので、せっかくの帆が目立たず残念だった。
2008年5月9日、後半の連休が明けで会社に来て見ると、紫色だった隣の美容室の建物の色が何とおとなしいベージュ色に変わっているではないか!どういう心境の変化があったのかはわからないが、此方からは、けばけばしい紫色には抵抗があったが今まで文句を言ったことはない。しかし、自治体の景観計画などの仕事をしている会社の社屋の隣が紫色というのはあまり好ましいものではなかったので、実際のところホッとしている。
ところで、この後半の連休は大変な連休だった。5月3日から7日の間に葬儀が4件もあり、特に5月5、6、7日は毎日であった。その間に栃木に住む友人が脳梗塞で倒れ、一命は取り留めて快方に向かっているらしいが、まだお見舞いにも行けないでいる。
一番ショックだったのは、私と同年齢の設計事務所の所長が心筋梗塞で亡くなったことだ。新潟では建築設計だけでなく、まちづくりにも指導的な役割を果たしていた人だけに惜しまれる。
明日のわが身もわからないが、これ以上不幸が続かないことを願いたい。