たむたむの独り言

写真を中心にした情報です。

高坪山570.5m

2011-09-25 17:56:52 | Weblog

2011年9月25日(日)、新潟県山岳協会監修の「新潟100名山」という本がある。 高坪山はその一つに数えられている。 今日初めて登ってみたが、標高が低いのに中腹からブナが出てきて、尾根筋は立派なブナ林が成立していた。 場所は村上市と胎内市にまたがり、関川村や山形県小国町方面へ伸びる国道113号の右側に位置している。 登山口はいくつかあるが、虚空蔵登山口から蔵王コースを登り、虚空蔵コースを下る周遊ルートを選んだ。 蔵王ルートはかなりきつい登りだが1時間ほどで高坪山頂に着く。 山頂からは日本海と佐渡島や粟島が遮るものなく一望できる。 また、帰りのルートである虚空蔵コースの尾根には飯豊連峰展望台というのがあり、飯豊連峰のパノラマを望むことができる。 半日で行ってこられる里山ではあるが、なかなか魅力的な山であった。

〈虚空蔵登山口を進むと蔵王コースと虚空蔵コースの分岐点が ある。〉

〈ちょうど中腹あたりに日本海の眺望が開ける休憩ポイントがある。〉

〈休憩所を過ぎるとブナ林が現れてくる。〉

〈山頂はややり広い平坦な地形になっている。 日本海方向だけが開けている。〉

〈山頂から虚空蔵峰分岐方向に15分ほど行くと、反対側の飯豊連峰が見渡せる展望ポイントに出る。〉

〈虚空蔵コースの尾根沿いはブナ林が続く。〉

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

頼りになるアルバニア人留学生

2011-09-24 17:00:15 | Weblog

2011年9月23日(金)、新たに民間の林業事業体を組織して、林業に参入しようというグループから、補助金申請をするための林業経営計画(森林法が改正されて、これまでは林業施業計画と呼ばれていたものの発展形?)を作ってほしいと春先から頼まれていた。 しかし具体的な場所が決まらず、ようやく最近になって確定したので至急調査と計画策定をお願いしたいと言ってきた。 夏前であればまだ時間の余裕はあったのだが、ここまで来ると絶対的に時間が足りない。 だが、一旦は受けた仕事を無下に断るわけにもいかない。 仕方なく、「当初の予定通りであればともかく、ここまできてしまうと平日の仕事は無理なので、休日を利用して可能な範囲で協力させてもらう」ということにした。 今日は休日だが、社員に休日出勤を強いる訳にはいかないので、常勤アルバイトのアルバニア人留学生のB君を連れて現地調査に出かけることにした。 B君は国際経済専攻の博士課程に在学中(今は休学中らしい)であるが、3年ほど前から当社アルバイトをしていて、今では森林調査のベテランになりつつある。 先日も、担当者から今日の現場に案内された時も彼を同行させた。 かなり複雑な道だったが、彼は一度も間違うことなく、私を現場に連れて行ってくれた。 現場はまだ比較的若いスギ林とコナラを中心とする落葉広葉樹二次林と伐採跡地からなる約300haの森林である。 正直この程度の森林で新たに林業を始めるのはかなりの冒険である。 規制緩和が行われつつあるとは言っても、新規参入のハードルは高い。 しかし、落葉広葉樹の生産をまじめに考えている彼らの計画に動かされ、できるだけ協力することにした。 こちらとしても初めてのことばかりであるが、県が支援してくれるというので何とか時間をやりくりして森林経営計画(まだ仮称がついている)の策定までチャレンジすることにした。 現場の調査はB君がやる気になってくれているが、彼も他の複数の調査現場に既に組み込まれており、時間的余裕を見つけ出すのは容易ではない。 私と一緒に休日出勤してもらうしかなさそうである。

〈コナラの二次林。 これをどう活用するかが課題である。〉

〈手入れをすれば価値のありそうなスギ林はあるが、全体に占める面積は少ない。〉

〈問題はしばらく前に伐採された落葉広葉樹二次林の伐採跡地である。 中に入れないほどの過密な低木林を形成している。 刈り出しをして有用樹を優占させるにしても気が遠くなる話である。〉

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝日山系白い森

2011-09-23 07:06:55 | Weblog

2011年9月22日(木)、庄内、山形の各森林管理署管轄の調査対象地を廻り、今日は置賜森林管理署管轄の金目川上流を残すのみとなった。 昨日森林管理署で位置を確認したが、現地までの林道はなさそうである。 昨夜は久しぶりに五味沢の白い森交流センター「りふれ」に泊った。 今朝は雨はあがっていたので調査地に行く前に「よもぎ平」の白い森に行ってみることにした。 以前はここの整備委員会の委員をしていたこともあり、毎年のように訪れていたが、今日は7~8年ぶりくらいだろうか。 ブナハムシにやられて一部紅葉したようになっていたが、トンネルを抜けた林道から一望するブナ林は見事である。  特に林道から金目川の対岸を見下ろすことができる位置にあるブナ林を、新緑の頃俯瞰するのが最高である。 まさに残雪の中に萌え出る新芽のモコモコ感が感動的である。 ここのブナ林は白神山地のブナ林より、ほんとうの「天然林」という感じがして好きである。 

〈一面のブナの天然林が広がる。〉

〈ブナの樹冠のようすがはっきり観察できるポイントがある。 春の芽吹き時の生命感は素晴らしい。〉

 

今日は雨はあがったものの昨夜まで3日間降り続いたために、小さい沢の水嵩が増えて流速も増し、長靴では渡れなくなったため現地まで行くのをあきらめた。 しかし、アクセスは確認できたので本調査には支障はない。 今回の現地踏査はずっと雨にたたられたかわりに、本調査の時にはスッキリ晴れてもらいたいものだ。 これから先は降雪との時間の勝負になる。 雪が来るのが遅いことを祈るしかない。

〈普段はほとんど水が流れていないような沢も今日は水量が増して渡れない。〉

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出羽の古道六十里越え

2011-09-22 17:07:36 | Weblog

2011年9月21日(水)、9月20日から22日まで、朝日山系生態系保護地域の森林調査の現地踏査で鶴岡市に来ている。 昨夜は東北森林管理局の担当者とアドバイザーの前山形大学O教授らと出羽古道の宿場であった田麦俣近くの民宿に泊まった。 今日は調査地の一つがその田麦俣に残る多層民家の前を通るというので、車を止めて見学させてもらった。 白川郷や五箇山の合掌造りよりは規模は小さいが、それでも4階分はありそうである。 屋根の形に特徴があり別名兜づくりとも呼ばれている。 以前ドイツで見た茅葺民家と良く似ている。 ヨーロッパにも茅葺集落が保存されている例は少なくない。  現在は民宿として利用されていることが分かったので、本調査のときに来る機会を作って是非ここに泊ろうと思う。

〈泊った民宿からの棚田の眺め。白いそばの花がきれいだった。〉

 

〈現在は民宿として利用されている田麦俣の旧遠藤家住宅。 なかなか素晴らしいたたずまいである。〉

〈近くに出羽の古道、六十里越えの解説板が立っている。〉

 

昨夜から台風15号と秋雨前線の影響で、東北地方も止むことなく雨が降り続いている。 日程も変更する余裕がなく、幸い豪雨にはなっていないので雨の中の現地踏査となる。 今年は東ゴビ砂漠に洪水を起こしたぐらいなので、この程度の雨はノープロブレムである。

〈雨の中現地確認を行う。 渓流の水かさが徐々に増え、小さな滝もあちこちできるようになった。〉

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

都市論セミナー再び

2011-09-18 19:20:22 | Weblog

2011年9月17日(土)、約20年ほど前、新潟大学で都市計画や景観工学を担当していた樋口忠彦教授が、地域で都市計画やまちづくり、景観計画などに携わる官民の一般社会人を対象に、1年以上にわたり新潟市で毎週「都市論セミナー」という講座を開講していた。 彼が山梨大学から新潟大学に赴任してこられたのは30年くらい前だったと思う。 私はそれより前から仕事柄、彼の最初の著書「景観の構造」を読んでいたのでその名前だけはよく知っていた。 そのセミナーを会社の仲間数人とともに受講していた。 ハワードの「田園都市論」やル・コルビジェの「輝く都市」などを題材にした受講者による発表形式を中心とした講座だった。 その少し前、当社がNIRAに提案した助成研究が採択され、樋口先生にその調査に同行してもらって、アメリカ、イギリス、スイス、イタリアを2人で20日間かけて旅したことがあった。 10年頃前に新潟大学から京都大学に転勤された後も、毎年集中講義で新潟大学に来られていた。 しかし、京大退官後に勤務されていた広島工大は今年度で、この集中講義は今年で退任されることになった。 特に健康的な理由ではなさそうだが、新潟へ来られる機会も少なくなるだろうからと、20年前の「都市論セミナー」の仲間が中心になって樋口先生を囲んだセミナーと懇親会がイタリア軒で開催された。 久しぶりになつかしい顔ぶれが集まって懇親会も盛り上がった。 今日彼が言いたかったことは、「風景をつくるというのは、大地と天空が結びつき、真善美が一体として感じられるような生活環境をつくる質的統一を実現することだ。」 (オギュスタン・ベルクの 『風景という知』という本からの引用らしい)であった。 確かに大地と天空が織りなす自然やその履歴を無視して、質的統一を欠く人工物が風景を台無しにしている事例は多い。

〈「何故今こういう会が開かれるのか良くわからないが・・・」と言いながら新潟での思い出を語る樋口先生〉 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会津若松→郡山→仙台→秋田→新潟

2011-09-17 07:57:08 | Weblog

2011年9月12日(月)、朝食付きのホテルだったが時間が早すぎて食べられず、駅のコンビニで買ったパンと牛乳で朝食を済ます。 会津若松発早朝6時の一番電車で郡山に向かう。 午前中に目的地の秋田に行くためには、郡山で新幹線に乗り換えて仙台に行き、さらに秋田新幹線の「こまち」に乗り換えなくてはならない。 郡山では秋田行きの「こまち」はほとんど停車しないのだ。 最近では秋田駅で乗り換えたことはあるが駅から外に出るのは20年ぶりくらいだろうか? 昔は駅前にあったイトーヨーカ堂がなくなって近代的なコンコースができている。 駅前から少し入ったところにあったコーヒーショップに入ってママさんに聞くと、秋田駅周辺が再開発されてからもう10年以上は経つのではないかということだった。 しかし中心市街地の衰退はひどく、シャッター通りになってしまったと嘆いていた。 どこの地方都市でも状況は同じであるが、東北地方はなおさらなのかもしれない。

 車で来ていたスタッフ2名と東北森林管理局のロビーで合流し、午後から朝日山系の森林調査の初回打ち合わせを行った。 航空写真データーの借用のための読み込みなどで予定より打ち合わせ時間が長くなり午後3時半過ぎに終わった。 新潟への帰りは車に同乗していくつもりでいたが、夕方4時半頃には秋田発新潟行の特急「いなほ」がある。 明日までのフリー切符を持っていたので、私は楽な電車で帰ることにした。 新潟までは特急で3時間半、車では4時間くらいかかる。 車は1時間ほど早く秋田を出発したが、会社に着いたのは40分くらいの遅れであった。 秋田駅で地元の駅弁「おばこ弁当」というのを買って乗り込んだ。 さすがに「いなほ」は貸切というわけにはいかなかったが、1両に10人程度の乗車率である。 ゆっくり駅弁を食べながら列車の旅を楽しんだ。

〈会津若松駅前にある白虎隊の像〉

〈車窓から見える会津磐梯山〉

〈「おいしいコーヒーはいかがですか?」の看板につられて入ったコーヒーショップ。 お昼時にも関わらず客は私一人だけ!でもコーヒーは美味しかった。〉

〈秋田駅で買った駅弁「おばこ弁当」。かなりのボリュームであった。〉

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

貸切電車で会津若松へ

2011-09-17 07:14:40 | Weblog

2011年9月11日(日)【2】、私一人一足先に熊沢田代から御池に下り、御池ロッジでひと風呂浴びてからバスで会津鉄道の会津高原尾瀬口駅に向かった。 バスは旧道沿いの集落を縫うように走るため時間がかかる。 車なら1時間くらいだろうと思われる道のりだが2時間近くかかってようやく尾瀬口駅に着いた。 ここから東京方面へは直通の特急があり、バスで一緒だった人たちは皆、浅草行きの特急に乗車した。 会津若松方面に行く電車に乗ったのは私一人だけであった。 その電車も会津田島で乗り換えなくてはならない。 そこでも乗車したのは私一人。 途中で2人が乗り降りしたが、終着駅の会津若松駅で降りたのは私だけだった。 結局14時40分に御池でバスに乗り、会津若松駅に着いたのは19時31分であった。 しかし、ローカル線のまさに一人旅を満喫することができた。

〈会津鉄道の会津高原尾瀬口駅だが、尾瀬口というにはあまりにも尾瀬は遠い。〉

〈浅草行きの特急がそこそこの客を乗せて発車して行った。 東京からのアクセスは便利なのだが・・・。〉

〈会津田島行きの2両編成の普通列車には、各車両に一人ずつしか乗車していない貸切状態である。〉

〈会津田島発会津若松行きの普通列車は1両編成だが特急並みの内装である。この車両に会津若松まで1時間以上ほぼ貸切状態で乗って行った。〉

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

燧ケ岳熊沢田代

2011-09-14 21:20:43 | Weblog

2011年9月11日(日)【1】、昨夜は少し雨も降ったが、今日は朝から快晴である。 専門家4人と我々4名の8名で標高約2,000mの熊沢田代に向かって登りはじめた。 発注者側の環境省の自然保護官は尾瀬沼から燧ケ岳の山頂を越えて現地で合流することになっていた。 我々は7時10分に御池ロッジを出発。 2時間弱で熊沢田代に到着した。 N自然保護官は7時10分前に尾瀬沼側から燧ケ岳山頂を経て熊沢田代に下ってきたが、到着したのは我々とほぼ」同じ頃であった。 走って登ってきたのではないか?と思うくらいの早足である。 恐るべしN自然保護官である。 下界は猛暑だったらしいが、さすがに2,000mを超えると涼しくてありがたい。 真夏は2ℓの水を担いで登るが、今日は1.5ℓの水も余るようになった。

hi

〈登りり始めて40~50分で広沢田代の湿原に出る。〉

〈熊沢田代の最上部で、水切りゴムの施工方法を検討する一行。〉

〈植生復元のための保護方法を検討する。〉

〈熊沢田代の休憩所で早めの昼食をとり現地解散とする。 当社のスタッフは播種用の種子採取のため現場に残って作業を行い、私は明日秋田森林管理局での打ち合わせがあるため一足先に下山した。〉

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牛乳屋というラーメン屋

2011-09-14 20:24:57 | Weblog

2011年9月10日(土)、尾瀬ので調査の仕事で、今日は御池ロッジで現地委員会があり、明日は熊沢田代の現場での検討会が行われる。 御池ロッジに向かう途中、会津鉄道芦ノ牧温泉駅の近くで昼食をとった。 店の名は「牛乳屋食堂」というラーメン屋だった。 まだ12時前だったが駐車場は満車で、店内もほぼ満席になっている。 多分このあたりでは有名なのだろう、 そこでおすすめメニューとなっていた、ラーメンとソースカツ丼のセットを注文した。 運ばれてきたセットメニューには牛乳がついている! やはり牛乳屋という名前には意味があったのだ。 ソースカツ丼はともかく、ラーメンは確かに美味かった。

 
〈牛乳屋というラーメン屋。」行列のできる店のようだ。。ラーメンは確かに美味かった。〉

 

【尾瀬御池ロッジ】

〈燧ケ岳や三条の滝への拠点となる御池ロッジ〉

〈夕方から植生復元の手法に関する専門家委員会を開催〉

〈今日誕生日を迎えた独身男性社員のために、サプライズとして、あらかじめ用意しておいたバースディケーキ。〉

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

虫が鳴かない今年の秋

2011-09-07 06:44:09 | Weblog

2011年9月6日(火)、新潟は9月に入っても厳しい残暑の日が続いていた。 特に台風12号によるフェーン現象のため、スピードの遅いこの台風が通過するまでの数日間は酷暑であった。 今日は、これから調査に入る国有林の一部の現況を確認すべく関川村に出かけた。 さすがに山ではススキが穂を出していて、もうすっかり秋の景色に変わっていた。 9月に入って最近少し気になることがある。 例年であれば、お盆を過ぎる頃から我が家の周りでうるさいほど鳴き出す虫が全く鳴かない。 9月に入っても夜は静まり返っている。 一体何があったのだろう。 山ではある程度虫の声は聞かれるが、例年と比べると静かである。 他にも気付かないだけで生物界の中で何か異変が起こっているのかもしれない。 自然も人間社会も、全く予測がつかない事象が起こっている。 

〈山はもう秋。これからは涼しくなるが日が短くなし、やがて降雪との時間的な競争となる山の調査。〉

〈林道端に咲く帰化植物のキクイモの仲間〉

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする