2009年5月31日(日)[2]、さすがに9時前の雨降りの公園は誰もいない。帰ろうとした頃、同じようにカメラと三脚を担いだ人がやってきた。やはり同じことを考えている人がいるものだ。
2009年5月31日(日)[1]、今日は朝から雨となった。ちょうどバラが見頃の季節である。バラの花と雨はよく似合う。早速近くの寺尾中央公園のバラ園に傘とカメラを持って出かける。小さなバラ園だが色とりどりの花が見られる。
2009年5月30日(土)、我が社のポプラの枝で巣作りが終わって、卵を温め始めたハトがいた。
数週間前、そのハトの卵を巣から蹴落とし、ちゃっかり自分の巣にしてしまったカラスがいる。そのカラスが卵を産み数日前に雛が2羽生まれた。2階の湯沸室の窓の真ん前なので、今まではそこの窓を開けないようにして、周辺の窓越しに覗いていた。しかし、それではうまく写真が撮れない。そこで今日は目と鼻の先の正面の窓を全開にして、カラスが戻ってくるのを待った。
このカラスの仕業は人間社会では不法侵入と横領の犯罪に当たるが、自然界の生き物の社会では、ごく普通の生存競争の一コマである。せっかく苦労して作った我が家を乗っ取られたハトは気の毒だったが、それが完成するのを待っていたカラスがいたことに気づかなかったのが敗因である。カラスは情け容赦なくハトの卵を蹴落として自分の卵を産んだ。その卵を、追い出されたハトが仕返しに蹴落としに来たら面白いのにと野次馬的に思ったが、ハトはやはり戦いを好まない平和主義者だった。
〈2羽の雛に餌を与える。カラスとイタチごっこの末やっと親子を撮影〉
〈これが 盗人夫婦である。人の気配がするとなかなか近づかない〉
2009年5月24日(日)[2]、弥陀ヶ原へは行けなくなったため、ビジターセンターからの帰りに羽黒神社の五重塔を久しぶりに見てくることにした。以前に2、3度来ているが、記憶ではこれまでも晴れていたことはない。そのせいかこんな山中の湿度の高い杉林のなかで、しかも積雪も多い場所にもかかわらず、よく木造の古い五重塔が朽ちることなく残っているのかがいつも不思議に思う。きっと昔の職人の木を生かす知恵のせいだろう。国宝に指定されるのも納得できる。
<いつ来ても変わらない羽黒山五重塔、心なしか周囲のスギが少し弱ってきたような気がする>
<軒裏の木組みが美しい>
<苔むしたスギの古木の奥は帰りに登らなければならない参道>
2009年5月24日(日)[1]、数年ぶりの出羽三山である。今日は羽黒神社側からの月山へのアクセス道路の入り口付近にある、磐梯朝日国立公園月山ビジターセンターを訪れるのが第1の目的で、そのあと8合目付近の弥陀ヶ原まで足を伸ばすつもりだった。しかし残念ながらまだ8合目への道路は冬季の交通閉鎖が解除されておらず月山はあきらめざるを得なかった。
ビジターセンターを訪れた目的は、先週山形県からこのセンター内の展示施設を改修するための設計業務の入札に指名されたためである。送られてきた資料だけでは良く分からないため一応の現地確認である。あいにくの霧雨のため全く視界がきかず、周辺を歩いてみるつもりだったがこれもあきらめざるを得なかった。
<湯殿山と月山方面へのアクセス道路の登り口付近にある看板>
<霧に霞む月山ビジターセンター>
<内部の展示も結構金がかかっている>
2009年5月20日(水)、県庁や国の出先機関がある信濃川右岸の官庁街上流側にできた新しい住宅地に初めてきてみた。近くに用事があったのだが、約束の時間に少し間があったので川のほとりまで出てみた。昔は日本軽金属の広大な工場があったためここへは立ち入れなかったが、今では新興住宅地となって川沿いも「美咲こもれびの道」という緑道が整備されている。
このあたりは新潟市内で河口部を除けば最も信濃川の川幅の広い部分である。今まで対岸からは見たことはあるが、こちら側から見る景色は初めてである。この美咲町の住宅地は電線も地中化さ、おそらく地区計画か地区協定なんかで街並み景観の規制誘導を行っているのだろう、色や形が比較的調和していて高級住宅地という感じがする。冬の季節風は強そうだが、今頃は水辺と緑があって散歩道も整備されており、昔の工業地帯の面影は全くなくなっている。
〈新潟市のほぼ中央にある、広々とした信濃川の水面〉
〈緑道も整備されて、かつての工業地帯は高級住宅地に変身していた〉
2009年5月19日(火)、5月も半ばを過ぎて木々の緑も淡い黄緑色から、徐々にその濃さを増している。と同時に社屋の周りの雑草も日に日に勢いを増して鬱蒼となってきた。今日は夕方から手の空いている社員総出で今年1回目の草刈りをした。下刈り機と鎌で2時間近く頑張ったが一部が残ってしまった。多分数週間するとまた元通りの雑草に覆われてしまうだろう。以前は今頃になると毎日早朝に草取りをしていたが、最近は腰が痛くてギブアップしている。
この場所に社屋を移して8年になるが、最初は芝生を植えたところもだんだん雑草に進入されて、最近ではすっかり雑草に置き換わってしまった感がある。それでも雑草を刈り取ると、下から黄色っぽく変色したもやし状の芝が出てきた。日が当たって元気になって雑草に負けないでくれればいいのだが・・・。
この雑草も年々種類が変化してきて、2~3年で全く違う種類になっている。よく観察すると樹木と違って変化が早くておもしろいかもしれない。
〈キーボードを鎌に持ち替えての作業に精を出す〉
〈日差しが強く作業をしていると汗ばんでくる〉
2009年5月17日(日)、今日は朝から雨降りで寒い。一旦片付けたストーブを出してきて再びつける。寝転んでテレビを見ていると、新型インフルエンザと民主党の党首選挙のニュースばかりである。
新型インフルエンザは、今のところ患者のほとんどが高校生のようだ。しかし、ここまできてしまうと今後爆発的に広がる可能性がある。兵庫や大阪ではマスクが売り切れるドラッグストアも出ているらしい。母親がニュースを見て「マスクがなくならないうちに会社の分はまとめて箱買いしといた方がいいんじゃないの?」と心配している。
一昨日は魚沼の山中で寒い中、屋内ではあったがシュラフで寝たためか、今日は何となく風邪気味で調子がイマイチである。天気も悪いし外出はやめてテレビの前でごろ寝を決め込む。昼頃娘から「今どこにいるの?」と電話があり、家にいるというと「へぇ~、珍しいじゃん日曜に家にいるなんて」といぶかしがられる。
用件はちょうど1年前に脳梗塞で倒れた栃木に住む私の友人が、自分で車を運転して娘の家に寄って行ったという。去年の今頃は生死もまだわからない状態だったことを思うと驚異的な回復ぶりである。
「そろそろ新潟まで報告がてら行くつもりでいたけど、最近車の運転中に追突されてまた病院通いをしているためしばらく行けなくなった」と言っていたという。少々過信しすぎているようなので「危ないから来なくていい」と伝えておいてくれと言っておいた。
かつては彼と一緒に車を飛ばして竜飛岬まで旅したことがあったが、残念ながら二人とも身体障害者のようになってしまって今では果たし得ぬ昔話になってしまった。
〈5月17日の朝刊トップは何れも新型インフルエンザと民主党の党首選挙の記事〉
2009年5月16日(土)[3]、森の作業道を歩いていくと、ユキツバキやタムシバ、ムラサキヤシオなどの花が目に付く。林縁の足元にはオオイワカガミ、オオバキスミレ、タチツボスミレなどが咲いて目を楽しませてくれる。が
2009年5月16日(土)[2]、今日は、彼らのフィールドである森に案内してもらった。ほとんどが管理放棄されたかつての薪炭林の落葉広葉樹林とスギ林である。落葉広葉樹林は若いブナ林が多く、その中に母樹として残されたと思われるブナの大木が所々にある。その古いブナの大木には特別の存在感があり、まさに木霊の存在を感じさせる森厳さを持っている。きっとこの森のシンボルになるだろう。
代表のSさんは元商社マンで東京から移り住んだいわばよそ者である。彼がこの地にほれ込んで、この集落を存続させるために若い人たちが定住できる産業基盤を、ここにあり余るほどある森林を活用して実現させようという夢を持っている。道のりは遠く険しいがその志には共感できる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/c1/716d75050eab5a0d9523bcbfc0f4fc7d.jpg)
<NPOが借りて管理している立派な廃校>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/47/8bc954dc96f6f0596d2694557f682604.jpg)
<若いスタッフ2人が借りている空き家となっていた借家、家賃は月1万円だという>
朝の会津若松行の快速は2時間半弱で行くが、午後からの帰りの快速は3時間以上もかかる。先々週、福島県立美術館へ女房と一緒に車で行ったが、やっぱり危なっかしいから運転は止めた方がいいと言われてしまったので、今日はJRで行くことにした。
JR磐越西線は阿賀野川沿いに遡っていくため何度も阿賀野川を渡る鉄橋がある。この阿賀野川沿いの地域は、最上川と同じくダシの風が強いことで知られている。今日の帰りには、県境近くで鉄橋が連続する手前の徳沢駅で強風のため停車したまま動かなくなってしまった。余目(あまるめ)での羽越線の突風による脱線転覆事故以来、鉄橋の風速計が規定値を超えると鉄橋の手前の駅で必ず停車するようになった。車掌は運転打ち切りになるかも知れないので、と言って一人一人に行き先を聞きにきた。
しかし、1時間近く待ってどうにか徐行しながら出発できることになった。結局、会津若松から4時間近くかかってやっと新潟に到着した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/d6/aee2caaa480ac3871540ca1e77e32bcd.png)
〈白虎隊の像と会津若松駅〉
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/ed/1b65959167a15e2af58c93154f0a6faa.png)
〈やっと徐行運転を始めて県境の山村集落を行くJR磐越西線〉
今日は条件が良かったのか、今の季節ここでは夕日がちょうど粟島に沈むことがわかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/e2/c67f5e0ace9c1420e9d01a4db7402df1.png)
〈ちょうど粟島の向こうに夕日が落ちていった〉
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/fb/c7b16d4609ec1958b5628190494af8b4.png)
〈カモメが夕日のなかに入るのを狙ったがうまくいかなかった〉
2009年5月13日(水)[1]、今の季節は最上川に沿って新庄方面に遡る国道47号を通るのが楽しみである。最上川の左岸に広がるブナ林の中にスギの天然木が点在する景観は、ブナの新芽が萌えだす今頃が最も美しい。この7、8年は毎年7~8回はこの道を通っているが、まだ現地には行ったことがない。この天然杉の大きさがどのくらいなのか知りたいのだが遠景だけではよくわからない。いつか確認したいと思いつつまだ実行できないでいる。現在の業務も今年が最終年となるため、是非今年中に実現させたいと思っている。
今日は最上町への途中にちょうど良い撮影ポイント近くに駐車できそうな場所を探した。山側に上る車道があったのでそこを少しのぼってみると、何もない広場があった。しかしよく見ると高屋駅という看板がかかった小さな建物がある。そして広場には「縁結びのえき」高屋駅とかかれた看板もある。どうやらJR陸羽西線の駅らしい。確かにホームと線路がある。しかし近くには人家はなく、山の中に突然駅が現れた感じである。それにしても不思議な駅だ。
きょうは天気が悪く日差しがないため、ブナの円い萌黄色と天然杉の尖った黒っぽい群青色のコントラストは今一つであった。
〈ブナの淡い緑と杉の濃い緑、自然の色と形のコントラストが素晴らしい〉
〈縁結びの駅というのは小説の現場になったことかららしい〉
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/89/09d4d90ffb2d8f41af1c5b7f09290e07.png)
〈メインエントランスホールには大きな火焔土器のレプリカが展示されている〉
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〈常設展のホールから庭を眺める〉
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〈駐車場からのアプローチは豪雪時にも配慮された造りになっている〉