2012年6月27日(水)、昨年96歳の誕生日に亡くなられたわが社の元社員で、通称「ご老公」のお墓が先月完成したという話を聞き、ちょうど一周忌の今日、バラの花束とお酒を持って有志で墓参りに出かけた。 彼がわが社に入社したのは何と70歳の時で、それから20年間現役を務め、90歳で退職したという伝説の人物である。 彼は戦後園芸関係の家業を継いだが、今から50年くらい前、新潟市が新しく公園緑地課を創設した時に、市に乞われて専門技術者として市の職員に迎えられた。 もともと彼は千葉高等園芸専門学校(現千葉大学園芸学部)の出身で、知識も実践もあり、当時緑化関係の専門技術者がいなかった新潟市にとって貴重な人材であった。 私との最初の接点はその直後で、当時緑化工事の現場監督をしていた私が、初めて新潟市の公園の施工を担当したときの発注者側の技術者が彼であった。 その公園の竣工検査の時に彼から「おい、木というのはなぁ、設計書通りの規格のものを図面通りに植えりゃぁいいってもんじゃねぇ。 木にはそれぞれ向きがあり、樹形にも個性がある。 その向きや枝ぶりをよく見て、どう組み合わせたら自然で美しく見えるかを考えなきゃいかん。 こんな植え方はプロの仕事じゃねぇ。 やり直せ!」 としかられたのが最初の出会いであった。 その後市を退職後市内の造園会社に勤めた後、縁あって当社の技術者として手伝ってもらうことになった。 酒と女が大好きだけど、おしゃれでダンディなこのじいさんを、我々は「じっちゃん」、あるいは「ご老公」と呼んでその後20年間にわたって仲間として一緒に仕事をしてきた。 90歳で退職してもまだかくしゃくとしていたので100歳までは元気でいてくれると誰もが思っていた。 しかし、昨年ちょうど96歳の誕生日に他界されてしまった。 私が東ゴビ砂漠に出かけていて留守の間の出来事だった。 葬儀に参列することもできなかったので、この一周忌に彼の好きなバラの花と日本酒を持ってみんなで出かけた。 きっと喜んでくれたに違いない。
〈ハイカラだった「ご老公」に似合う横置き横文字の墓石だった。〉