たむたむの独り言

写真を中心にした情報です。

旧第四銀行住吉町支店

2007-05-30 22:03:07 | Weblog

2007年5月30日、今日は(株)信濃川ウォーターシャトルの株主総会が、信濃川の水辺に建つ新潟市歴史博物館の敷地内に移転復元された近代化遺産としての歴史的建造物、旧第四銀行住吉町支店の2階会議室で開催された。
この建物の移転復元に関する調査設計はわが社が担当した。鉄筋コンクリート造りの建築物の解体移転はほとんど例が無い。現在1Fはレストランとして利用されている。
(株)信濃川ウォーターシャトルの株主は一般市民が多く、水の都新潟の水辺の賑わいや観光的な魅力アップ、街なかの水辺景観の向上など、まちづくりの夢を託して株主になっている。今年で10年目を迎えるが残念なことに水害や中越地震などの影響もあり、年間の利用客がなかなか伸びず、今年も黒字転換はできなかった。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夕暮れの西堀

2007-05-27 22:04:15 | Weblog

2007年5月27日、暮れかかる新潟市中央区西堀のNXT21前の交差点。越路会館が取り壊されて新しい商業ビルができてから、この交差点が明るくなった。
今日は県展の落選作品を引き取りに行き写真部門だけ見てきたが、今年もやはり例年と同じような作品が何点か入選している。でも今年は同じ場所の同じような作品が選ばれることは少なかった気がする。デジタル写真が多くなり、加工してあるのかどうかの判別は難しい。私は作品にする写真は相変わらずフィルムにこだわっている。また来年頑張るか・・・残念!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

街なか稲荷

2007-05-26 12:45:59 | Weblog

2007年5月26日、新潟市中央区西大畑町の高台に、新潟大神宮という立派な神社があるが、その並びに、ほんの小さな稲荷社があることを知る人は少ないだろう。
賽銭箱に尻を向けて写真を撮ることになるので、ちゃんと賽銭をいれてから撮影を行った。日の当る南側の鳥居は色がくすんでピンクがかってしまっているが、北側となる稲荷社側は比較的赤が残っている。下から老夫婦でも登ってきてくれるといいのだけれど・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最上川左岸を走る陸羽西線

2007-05-26 12:30:49 | Weblog

2007年5月25日、鶴岡市から新庄市に向かう国道47号の最上川沿いの山腹斜面に、新緑の落葉広葉樹林の中に群青色の天然スギが点在するコントラストの美しい場所がある。曇っていたためあまり良い写真は撮れなかったが、ちょうど撮っているところへ、2時間に1本くらいしか通らない、陸羽西線の列車が通過して行った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帆船「海王丸」が岩船港へ

2007-05-26 12:18:19 | Weblog

2007年5月25日、今朝の朝刊に、越後岩船1200年祭の関連行事のため海王丸が岩船港に寄航した、という記事が写真入で掲載されていた。ちょうど仕事で山形県最上町に向かうところだったので、途中で岩船港に立ち寄ってみた。全長は110m、4本のマストが高くそびえる帆船としては世界最大級とのこと。かなりの迫力である。是非、洋上を帆走しているところも見てみたいと思った。
ライトアップもするというので帰りにも立ち寄って写真を撮ったが、雨降りのためじっくり撮れず、ほとんど失敗だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

表彰される

2007-05-26 12:01:00 | Weblog

2007年5月24日、新潟県中小企業家同友会の創立25周年を記念して、会員歴の最も長い2名が表彰された。私もその一人であった。
会員歴は20年以上になるが、最近の10年はほとんど休眠会員であり、滞納無く会費を払いつづけたことへの表彰なのかもしれない。
私が比較的まじめに活動していた頃は、会員増強100名達成をスローガンにしていた頃であったが、今は会員数も500名近くなり、今年は600名を目標にしているとのこと。しばらくご無沙汰している間にずいぶん会員が増えたものである。もっとも企業の数からすれば大半が中小企業であり、日本の経済の底を支えているのは一握りの巨大企業ではないことを大いにアピールする必要がある。この調子でいけば会員1000名達成もそう遠くないかも・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドカベンのモニュメント

2007-05-22 15:56:51 | Weblog

2007年5月20日、新潟市の古町アーケードには、新潟市出身の漫画家「水島新司」のドカベンに登場するキャラクターのモニュメントが、通りにいくつか設置されている。
古町は新潟市の昔からの中心的繁華街であったが、最近は新潟駅に近い万代シティに昼間の歩行者交通量は追い抜かれてしまった。
駐車場が少ない中心市街地の地盤沈下はどこでも同じであるが、やはり寂しいものである。特に白山公園に近い上古町は、日曜日のお昼近くにもかかわらず、半分以上はシャッターが降りていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

県政記念館

2007-05-21 13:08:40 | Weblog

2007年5月20日、白山公園に隣接する県政記念館。建築時期は明治16年3月、建築面積:680㎡(延1,208㎡)、設計監督:星野 総四郎 、文化財指定:昭和44年3月12日
以下、新潟県のHPからの概要です。(http://www.pref.niigata.jp/kyoiku/bunkagyosei/bungyo/kensei/hall.html)
新潟県会議事堂は、木造2階建、漆喰壁、屋上に尖塔をのせた左右対称の堂々たる建物で、中には議場を始め、知事室、議長室、委員室など14の部屋があります。外回りでは、白亜の建物の角を縁取る隅石(すみいし)、正面の玄関車寄せとバルコニー、歯形飾りのある軒蛇腹、両翼の棟の擬宝珠(ぎぼし)形の妻飾り、風見をもつ八角尖塔などが目を引きます。
内部では、議場の大空間を構成しているトラス小屋組、傍聴席を支える柱頭飾り付き鉄柱列、上げ下げ式のギヤマン窓、室内天井に残る漆喰彫刻など、各所に明治の先人のすぐれた技術や工夫の跡が見られます。総じて、伝統と洋式を織り交ぜたいわゆる擬洋風建築の代表的なもので、文明開化期特有のはつらつとした個性美がうかがわれます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白山公園燕喜館玄関前アプローチ

2007-05-21 12:51:31 | Weblog

2007年5月20日、新潟市の白山公園内にある燕喜館の玄関前アプローチも、完成から時間が経過して(約10年くらいか?)だいぶ趣が出てきた。
燕喜館は、新潟市東堀通りにあった豪商の屋敷を解体して移築したもので、わが社が調査・設計を担当したものである。新潟市のHPからの概要は以下の通りである。(http://www.city.niigata.niigata.jp/info/kouen/enkikan.htm)
「燕喜館」は、明治期の大商家、斎藤家の邸宅の一部を移築再建した歴史的建築物です。移築部分は登録文化財に指定されています。
「奥座敷」「前座敷」「居室」「茶室」は、茶道や俳句などの伝統的文化活動に貸し出し(有料)しているほか、貸し出しのない部屋は見学(無料)もできます。
また、館内では、300円で抹茶を楽しめます。
燕喜館の主庭には水琴窟が埋められています。水琴窟とは底に小さな穴を開けた瓶を地中に伏せて埋め,水滴のしたたる音を共鳴させて楽しむものです。
抹茶をいただきながら,水が奏でる音をお楽しみください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟カトリック教会

2007-05-13 16:23:15 | Weblog

2007年5月12日、昔はこの協会の前に異人池という池があって、絵になる風景が広がっていた。今では、住宅やマンションに囲まれて窮屈になってしまた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どっぺり坂

2007-05-13 16:12:13 | Weblog

2007年5月12日、新潟市の中心市街地から日本海に出るには砂丘を越えて行かなければならない。市街地方面から砂丘に登りつく歩道がこの階段のある「どっぺり坂」である。この坂道の名前の由来は以下のとおりである。(以下「どっぺりドットコム」さんhttp://www.dopperi.com/index.htmのHPより)
実は「どっぺり」とは、ドイツ語の「ドッペルン」(二重)の意味から来ているのです。
その昔、どっぺり坂の上には旧制高等学校の学生寮(六花寮)があって、学生たちは、学校の授業をサボったり、あるいは夜な夜な古町へ遊びに行くときにこの坂を通ったのです。それで、遊びすぎると落第(ダブる)するよということから、「どっぺり坂」の名前は由来していると言われています。
この話にはさらに続きがあって、旧制高等学校の及第点は60点。どっぺり坂の段数はその及第点に1つ足りない59段なのです。
昔の職人さんたちは、こういった洒落た仕事をしていたのですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟平野も田植えが完了

2007-05-13 15:28:33 | Weblog

2007年5月11日、連休が終わって、新潟平野の田植えもほとんど完了し、見渡す限りの広大な水盤が出現した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5歳の孫が料理に挑戦!

2007-05-07 13:00:50 | Weblog

2007年5月5日、連休の後半孫の顔を見に熊谷まで出かけた。5歳の「孫その1」の方はフライパンで器用にウインナを炒めることができるようになった。「孫その2」は、熱があって体の具合が悪く、ママにべったりくっついたまま、ジジババには寄り付いてくれなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドキュメンタリー映画「阿賀に生きる」15周年記念

2007-05-07 11:30:55 | Weblog

2007年5月4日、阿賀野市(旧安田町)において、阿賀野川流域で有機水銀による大きな健康被害をもたらした「新潟水俣病」の未認定患者を中心に据えながら、流域に住む人々の生活を3年かかって撮影したドキュメンタリー映画「阿賀に生きる」が完成して15年を迎え、記念集会が開かれた。
この映画は、多くの市民の寄付によって支えられて完成した佐藤 真監督の監督としてのデビュー作品である。芸術選奨文部大臣賞を始め、多くの賞を受賞している。
今回は、公害による被害としてだけでなく、多くの因縁を持つ足尾に贈るお地蔵さんのお披露目も兼ねて行われた。
これで、籏野秀人さん(新潟水俣病安田患者の会、阿賀に生きるファン倶楽部、冥土のみやげ企画などの事務局)の目論んでいた、水俣・・・阿賀・・・渡良瀬のそれぞれの地に建つ3兄弟地蔵が全て完成したことになる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山形県金山町の街並みづくり

2007-05-04 16:57:19 | Weblog

2007年5月3日、最上町からの帰りに、久しぶりに金山町を訪れた。金山町から産するスギ材は「金山スギ」と呼ばれる上質な木材として名高く、また、そのスギ材を使った在来工法による木造住宅で美しい街並みをつくる「街並みづくり百年運動」が推進されるなど、金山町は林業と木の文化が大きな特徴となっている。
金山町では、金山スギを使って街並みの景観に調和する在来工法によって、新築あるいは改築をする場合、町が資金的な支援を行っている。したがって、年々街並みがいわゆる「金山型住宅」と呼ばれる美しく特徴のあるファサードで統一されるようになってきている。そして、この街並みづくいは、まさに地産地消であるため地域の林業をはじめとする関連産業の振興と地域経済への波及効果は大きく、環境にもやさしい持続可能な暮らしのモデルともいえるのではないだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする