たむたむの独り言

写真を中心にした情報です。

孫その1も旅行から帰って、おおバァのお参りに来てくれた

2024-02-24 10:31:11 | Weblog

2024年2月23日(金) 卒業旅行でヨーロッパに行っていた「孫その1」は、母の死去を知らず、葬儀にも出られなかったため、昨日仏壇に線香をあげに来てくれた。 生前かわいがってもらっていたので、葬儀の時にいなかったことを悔やんでいたが、旅行は大変楽しかったことを報告したようだ。
 4月からは、外資系のホテルに勤務が決まっているという。 これからは新潟には簡単に来れなくなるだろう。 寂しいが元気印の孫の成長を楽しみにしよう。 時の経過はいよいよ加速化し、世代交代が着実に進んでいるのを実感させられる。 
 明日からは苗場にスノボをしに行く約束があるからと言って、今日の午前中の新幹線で熊谷に帰って行った。  そのあとも大学やサークル、高校の友達それぞれの友人たちと旅行に行く予定だという。 就職前の遊び納めをしているらしい。

       

〈遊びの予定が詰まっているため、早々に帰って行った孫その1を見送る〉
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結局母も12日に永眠し、葬式の掛け持ちとなってしまった今週だった

2024-02-17 09:58:29 | Weblog
2024年2月16日(金) 母は結局2月12日の夜、100年近い人生を全うして永眠した。 娘の嫁ぎ先の義父の葬儀が2月15日通夜、16日告別式に決まっていた。 娘は子供のころは母に育てられたおばあちゃん子だったので、何としても母に会いに来たがっていた。 生前には間に合わなかったが、葬儀にはどちらか1日だけでも出られるよう日程の調整をした結果、母の通夜は14日、告別式は15日で会場がとれた。 これなら娘は14日に新潟に来て母の通夜に出て、15日は義父の通夜と16日の告別式に出席できる。 また我々も母の葬儀を済ませて16日に熊谷の義父の告別式に出席するという、綱渡り的な葬儀の連チャンとなった。
 結局娘と孫その2(孫その1は先週から卒業旅行でヨーロッパ旅行中)は、13日の夜熊谷から車で来て14日の葬儀場での打ち合わせに同席して手伝ってくれた後、母の通夜に最後までいてくれた。そして15日の告別式にも出て出棺まで母を見送ってから、義父の通夜に間に合うよう、急いで熊谷に帰って行った。 そして休む間もなく夕方からは通夜に出た後、今日は再び我々も合流して義父の告別式に出席した。 我々も大変だったが、両方の葬儀の段取りも手伝って熊谷と新潟を往復してくれた娘には感謝である。 おかげで、無事母を送ることができた。
 また、娘をかわいがってくれていた熊谷の義父の葬儀にも何とか出席できて良かった。
〈3年ぶりに自分の部屋に戻ってきた母〉
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娘の嫁ぎ先の義父が急逝

2024-02-10 08:13:45 | Weblog
2024年2月9日(金) 先月から入院していた娘の嫁ぎ先の熊谷の義父が亡くなったと連絡が入った。 まだそんな危険な状態とは聞いていなかったが昨夜急変して今朝亡くなったという。 87歳だった。 コロナ禍以降は直接の行き来はしていなかったため、元気な時しか会っていなかったので驚いた。
 先週孫たちは、私の母の葬儀の準備に喪服を買ったと言っていたが、それが予想もしていなかった祖父にすぐ着ることになってしまった。
 母の方も夜に病院の担当医師から電話があり、一旦開放に向かいかけていたが、また状態が悪くなってきたということだった。 
熊谷では火葬場が混んでいて順番待ちのため、通夜と葬儀は来週の2/15、16日になったという連絡がきたので、もしかすると葬儀が重なってしまうかもしれない。 そうすると娘も孫たちも、母の葬儀には来れなくなる。 特に娘は小さいころは、ほとんど私の母に育てられたようなものだったので、最後は見送らせたかった。 娘も、「ばあちゃんに、もう少し頑張ってもらって!」と電話して来たが、こればかりは天命なのでわからないが、極めて厳しい状態だ。あと1週間頑張れるだろうか?
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98歳の母が老健施設で新型コロナに感染、緊急入院

2024-02-09 17:05:29 | Weblog
2024年2月8日(木) 1月中旬に、母が入居していた老健施設で、新型コロナに感染した。病状が悪化したため施設では提携している複数の病院に救急搬送するので受け入れを依頼したが、どこも断られたという。 やむなく救急車を呼んで受け入れてもらえる病院に緊急搬送された。 
1/23日の午後だった。 入院した病院の医者の説明では、「高齢で体力も弱っているので、かなり厳しい状態、命取りになる可能性が高いので、もしもの時に連絡が付くよう携帯電話はそばに置いておいてください」と言われた。
 コロナなので面会にも行けず、ただ連絡を待つしかなかった。 しかし、4,5日経ってもなんの連絡もないので病院に行ってみた。 するとコロナの隔離期間が過ぎたので、今日から一般病棟に移ったという。 面会ができるようになったため、案内されて病室に入った。
 母は目を開けていたが、話しかけても、ロレツが回らず何を言っているのか全く分からなかった。 私のことも分かったかどうかも不明だった。 どうやらコロナは乗り切ったようだが、今年の正月三日に施設に面会に行った時とは大違いであった。 コロナは何とか脱したものの、厳しい状況には変わりなさそうだった。
 しかし、病院からは、一応治療は終わったので、施設に戻るか、別の病院に移すことを検討してほしいと言われた。 そんなこと言われてもこちらであてがあるわけでもなく、症状を的確に説明することもできない。 結局病院にお願いして可能な方法を当たってもらうことにした。
 食事がとれず点滴状態では施設では引き取れないということで、結果的に長期療養を引き受けてくれる病院を探してもらうことになった。
 病院の都合もわかるが、どう見ても、もう長くはない患者でも出て行かなければならないというのは少々残酷ではないかと思ってしまう。 それも今いる病院は民間病院ではなく国立の病院である。 だからなおのことなのかも知れないが・・・。
 一昨日、引き受けてくれる病院が決まり、今日は家族面談と手続きのため紹介された病院に出掛けた。 来週入院受け入れの判定会議があるので、転院は再来週になるという。 果たしてそれまで持つかどうかもわからないが、一応申請書類は提出してきた。
 次は老健施設の退去手続きがあるので、その足で施設へも出向いた。 全く落ち着かない1週間であった。 
 
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さいたま新都心は雪が積もり始めた

2024-02-06 17:29:18 | Weblog
2024年2月5日(月) 午前10時過ぎの新幹線で新潟駅から大宮に向かった。 この時期普通なら新潟県側は雪で、県境のトンネルを越えると快晴となる。 しかし今日は新潟県側は全く雪が降っていなかったが、いつもは晴れているトンネルの向こうは雪が降りしきっていて雪国になっていた。
 高崎あたりまで雪が降っていて、そこから先はちょうど雨から雪に変わるところだった。 訪問先のさいたま新都心も、お昼頃はミゾレになっていて寒かった。
 打ち合せが終わって駅に向かう頃には、本格的な雪になっていて、一面が白くなり始めていた。 新潟市内では全く雪はない。 湯沢でも降ってはいなかった。 完全に天気は逆転していた。 
 トンネルの向こうでは1mの雪が降ってもニュースにならないが、東京に10㎝足らずの雪が降っても全国ニュースのトップで扱われる。

〈さいたま新都心駅付近もお昼頃にはミゾレになっていた〉

〈夕方には本格的な雪となり、積もり始めていた〉
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