昔は、飯豊山の信仰登山の基地でもあったが、現在はここから登る人は少ない。
山合いにしては川沿いに平地もかなり広く点在しており、山に囲まれた桃源郷という感じである。冬の豪雪さえなければであるが・・・。
この上流部にかじか滝という滝があり、ここを登るかじかを捕る珍しい漁があるというので、テレビで紹介されたのを見たことがある。
新緑と清流と滝と放棄畑に咲き乱れるアザミの花が織りなす景観は、ほんとうに癒しの空間であると思う。
2007年6月10日、24畳もある大きさの大凧が空を舞う。中之口川を挟んだ両岸からそれぞれ空に上げられた凧の糸を絡ませて引き合い、糸が切れた方が負けとなる凧合戦である。今日は風向きが一定せず、大凧が民家の玄関先に落下して危うく建物が破損するところだった。
凧糸をつかんで大勢の若者たちが次々と土手を疾走していくのは活気があってよい。風向きによっては凧が観客の上に落下して怪我人も出ることがあるという。
2007年6月10日、現在は新潟市となった旧新津市に「中野邸美術館」がある。かつての石油王の邸宅とその収蔵品を、そっくり美術館として一般公開しているものである。
敷地内に数棟ある蔵も展示施設として利用されており、ひと山ある広大な庭園も「もみじ園」として公開されている。
20年くらい前に、まだ美術館にはなっていなかった頃、仕事でこのお屋敷にお邪魔して当主からお話を伺ったり、収蔵品の一部を見せてもらったことがあった。その時に案内された部屋がどこだったかよく分からなかったが、あの時案内された部屋に敷いてあった高級絨毯は使われていなかった。
2007年6月10日、椿寿荘の奥座敷で、ここは高床式になっており、清流がこの下を流れる見立てとなっている。
建築は当時日本3大名人の一人とうたわれた富山県井波の宮大工松井角平を棟梁に招いて3年半をかけて完成したという。建坪は約140坪で材料は吉野杉、木曾檜、会津欅など全国から銘木を集めて贅を凝らした重厚な造りとなっており、釘は一本も使用していないそうである。
2007年6月10日、新潟県西蒲原郡田上町にある豪農の館「椿寿荘」を初めて訪れた。建築年代は大正の初期で比較的新しいため痛みもほとんど無く、作りもしっかりしている。これが母屋ではなく離れ座敷だったというから驚きである。
座敷と本庭の間にある、いわゆる縁側にあたる部分がゆったりとしていて、内と外との中間部分の居心地の良さが実にいい。
主庭は京風の枯山水で、広瀬万次郎という庭師を京都から呼んで作らせたとのことである。
田上町指定の文化財となっている。
2007年6月8日、ちょうど40年ぶりに新潟大学の演習林のある佐渡市大倉(旧相川町大倉)を通ったので寄ってみた。事務所研究棟や宿泊施設は昔とは場所も変わり、名称も「新潟大学付属フィールド科学教育研究センター佐渡ステーション」というとても覚えきれない名前に変わっていた。食事などの世話をしてくれるおばさんが1人いて、今日は学生さんたちの実習で先生方も現場に出ているという。
お願いして建物の中を見せてもらったが、研修室や食堂、風呂など昔と較べるととても快適になっている。
昔は男子学生ばかりだったので、女子トイレすらなかったが、最近は女子学生も増えているので、当たり前だが風呂もトイレもきちんと整備されていた。
40年前もお世話していた女性が一人いたはずだけど、それは私じゃないよね・・・と指を折りながらおばさんが言う。お互い顔を見合わせて笑ってしまった。
2007年6月8日、ちょうど大野亀のカンゾウが見頃になりつつあった。佐渡には何度も来ているが、ここは初めてである。佐渡島の観光写真には必ず載っているので写真は何度も見ていた。6月の第2日曜日が例年カンゾウ祭りの日で、やはりこの頃が見頃のようだ。
標高の高い湿原や高山に咲くニッコウキスゲは見慣れているが、海辺に大群落をつくるカンゾウ(トビシマカンゾウが正式らしいが、ニッコウキスゲと書いてある看板もある)の群落はやはり珍しい景観である。