りたいあまん

リタイア後どうしたら充実した人生を送れるか。日々模索しています。

人生そのものが落語だった人

2019年02月23日 | リタイア日記
その人は古今亭志ん生です。

志ん生の落語をCDで聴いていると、それは確かに面白い。
けど、ときどき、何を言っているのか、何をしゃべって
いるのかが聴き取れないことがあります。
古い録音電源だから仕方がないと思いますが、
江戸っ子の話し方を現代人が果たしてどれくらい理解
できるのかという疑問が残ります。いわゆる「べらんめえ」
調というやつですな。
たとえば、「猫の皿」という演題の噺があります。
これが録音されたのは昭和35年12月とされている。
客席に向かって語りかけるようにしゃべりますがマクラ
といわれる前振りがじつに長い。全体の半分がそうです。
話してる本人は気が付いてないのかも知れないが、途中で
眠くなったしまっているように思われる語調の話しぶりです。

いろんなエピソードが数えきれないくらいたくさんあり
ますが、私が一番好きなのは志ん生が酒飲みだったこと。
評論家の矢野誠一氏によるとこうです。
「時間になっても姿を見せず、やっと登場したかと思うと
どうもひどく酔っている。お辞儀をしかける体がぐらりと
揺れ、「えー、ちょいっと事故がありましてナ」という
第一声に客席は笑いの渦になった」という。
また、ときには高座に酔って上がり、ひとことも発する
ことなく寝込んでしまったこともあるという。
それが志ん生なら許された。
時代も今と違っておおらかな時代だったんですね。
テレビ時代になったらもうそんなことは許されませんね。
日本中の人が見ているのですから。(笑)