チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

物言わぬ少女提琴家:諏訪根自子インタビュー?(1934年)

2020-11-28 23:25:44 | 日本の音楽家

【2015年1月26日の記事に新しい画像を追加しました】

『レコード音楽』1934年1月号の「レコードアーティスト訪問」では美貌の天才少女ヴァイオリニスト・諏訪根自子(1920-2012)の目白の家を訪れています。

↑ 九州帝大のバルコニーにて。


根自子さんのインタビュー記事が読める!質問者は上須賀館夫氏。

しかしながら当時14歳の根自子さんは恐ろしく無口な少女で、お父さんの諏訪順次郎さんも冒頭から「どうも無口でして、何も物を言わぬので困るんですよ。先だっても文部大臣に招かれて行ったのですが、大臣が色々愛嬌よく話しかけて下さるのに、さっぱりこれは口をきかないので......」と漏らす始末。

結局、残念ですが順次郎氏が最初から最後までほとんどの質問に対して答えてしまっています。興味のあるところだけ抜粋します。

Q.(上須賀) 赤ちゃんの時分にはレコードをかければどんなに泣いていても泣きやんで静かに寝入られたそうですね。

A.(順次郎) そればかりは全く不思議でした。五歳の時にジンバリストを聴きに連れて行ったのもそんなわけでしたから、さあその晩が大変で身じろぎもせずに一晩中聴き惚れていた挙句「私もああいう人になるんだ」と帰りの電車での中では言い続ける、翌る日からはどうしてもヴァイオリンを弾くんだと云ってきかないのです。

→根自子さんにとって運命のコンサートになりましたね。


Q.その後(根自子の)ご病気(右手のリウマチ)のほうはすっかりおよろしいんでしょうか?

A.すっかり治りきるということはどうもこの病気には難しいということです。しかしこの春からすっかり元気になりました。やはり無理したのがいけなかったようです。リサイタルの後引続き先生(モギレフスキー)の会やら学校(帝国音楽学校)の会やらに出ましたが、その度に大きな曲を相当の時間練習せねばならなかったことが、子供にとっては余程の過労になったもののようです。

→順次郎氏はモギレフスキーとトラブルになったことがあり、やはりあまりよく思っていないことが窺われます。


このままずっとお父さんへのインタビューで終わってしまうのかと思ったら、最後の最後にとうとう根自子さん自身がしゃべりました。

Q.根自子さんのお好きなものは何ですか?

根自子 絵を描くことが好き。それから刺繍....

Q.いや、召し上がるもので.....

根自子 くだもの!くだものなら何でも。密柑、林檎、葡萄、無花果(イチジク)、柿、栗......

→ホント子供だったんですね!お父さんによると根自子さんはご飯のかわりにくだものを食べることが度々あったそうです。


ちなみに根自子さんが当時使用していたヴァイオリンは鈴木政吉(1859-1944、鈴木鎮一の父)の作品だったんですね。

(追記)

『少女クラブ』1949年6月号より

↑ 「根自子さんは小さい時から無口ではにかみやのため、とかくつめたい人のようにいわれますが、けっしてそうではありません」

野呂信次郎さん(1909-1987、音楽評論家)のコメント。