2歳でピアノを始め、4歳で作曲し、6歳で初のリサイタル、12歳でベルリン・フィルと共演し、17歳でカーネーギー・ホールでリサイタルを開いたというすごい経歴を持つハンガリー生まれの「幻のピアニスト」、エルヴィン・ニレジハジ(Ervín Nyiregyházi, 1903-1987)の2度目の来日のようすです。(フォーカス誌1982年1月29日号より)
↑ 他の国では演奏しないけど、「誠実な日本人のため」だけに演奏するニレジハジ。1982年1月19日、都内のホテルにおける79歳の誕生日パーティ。いつも頭に音楽が流れているという彼はピアノの練習をまったくしないので有名だったらしいです。右のテーブルには團伊玖磨氏、山本直純氏の顔も見えます。
その輝かしい経歴にもかかわらず、ニレジハジは23歳の頃にカネのための音楽に嫌気がさして以来50年余り演奏活動をやめてしまったそうです。その間、ニューヨークの地下鉄構内に住みついたり、ボストン、ロサンゼルス、サンフランシスコの貧民街をさまよったりして「幻のピアニスト」になった。。
50年ぶりの復活のきっかけになったのが、9人目(!)の夫人の入院費用をかせぐために、1973年にサンフランシスコの教会で演奏を行ったこと。しかしながら、それ以降も公の場では演奏しないスタイルは変えず、放浪中にピアノなしで作った1500曲の作品はプライベートな集いの時だけに演奏されていたようです。
そんな彼が、群馬県の高崎芸術短期大学で1980年と1981年にリサイタルを開くことになったのは高崎短大の設立を進めていた小池(堀越)哲二学長(当時。この方はその後いろいろあったみたいですね)が新聞の記事に触発されて1979年に渡米し、ロサンゼルスのダウンタウンのホテルで二レジハジの心を動かしたからだそうです。
。。。ニレジハジ、全く知りませんでした。再び「幻のピアニスト」になっちゃってますね。ネットでは彼の演奏を聴くことができます。
「初めのプランどおりに演奏するのは嫌い。コンサート中に自由に感じたままやるのが私の演奏」。