食の旅人

~ 食べることは生きること、生きることは旅すること、そうだ食べることは旅すること~
  野村洋文

バブル

2010-05-31 06:05:26 | 日記
 デフレ不況のこのご時世、、、、、


 バブル経済の恩恵に肖った人間でも、土地屋敷をなくした人間でもないが、時に、あの時代空気を懐かしく感じることがある。


 バブル、、、生兵法は大怪我の基、を承知で大凡の流れを整理してみると、、、、、


 現在の教科書が、日本の国力をどのように表現しているのか、知る由もないが、、、、、
 
 僕らが、小、中学校生活を過ごした 1970 ~ 1980 年代の、社会科の教科書には、太字で 「 我が国は、輸入した原料を基に国内で自動車や電気製品を生産し、それらを輸出して、その利益で、戦後、目覚しい高度経済成長を成し遂げた」というような内容が記述されていたと思う。

 それを読んで、( 日本は、世界で第二位の国なんだ。すごいんだ~ ) と、誰しもが勇気づいた。


  そう、、、、、

 当時、日本は円安を背景に、大幅な貿易黒字を出していた。


 それに対し、日本たたきが始まる。 まさに、プラザ合意がそれである。  


 1985年、 膨大な貿易赤字を出していたアメリカの主導により、円高誘導が決定されたのである。


 そして、日本は案の定、円高不況におちいってしまった。


 そこで、日銀は、公定歩合を下げる低金利政策を行う。


 、、、、、低金利、、、、、 ここから全てが始まった。


 銀行は、「 企業のみなさん!! 低金利で、じゃんじゃんご融資します!!」 お金をばらまいた。
 さらに、円高でもうけた輸入企業が、株や土地を買いまくる。


  後に、「バブル経済」と名付けられた好景気の始まりである。


 やがて、これはまずい!!!と感じた日銀が、、、、、


 「 余ってるお金は回収しますよ!!!」 と、金融引き締めを行う。


 それに伴い、 土地や株が、一気に売りだされ、大暴落がはじまった。


 金融機関は、当然ながら、貸しまくったお金を返してもらえなくなり、多額の不良債権を抱えることになる。


  東京都の地価で、アメリカ全土が買えた、、、、といわれた、あの時代は何だったのだろう~


 日曜の昼下がり、ふと、窓の外に目をやると、静かな空が白い雲を抱えて広がっていた、、、、、


  なにはともあれ、青田典子さん、お幸せに~