上野の東京都美術館で開催中、「ブリューゲルのバベルの塔展 」がまもなく終了します。バベルの塔は言わずもがな、旧約聖書に登場するエピソードを作品化したものです。 一般に、バベルの塔は、実際古代バビロニアで建造された階段状ピラミッド型神殿の巨大なものと考えられていたので、多くの画家はそれをモデルに描いていました。 しかし、ブリューゲルは、イタリア旅行の際にローマで観たコロッセオをモデルに描いたと言われております。 コロッセオは剣闘士同士、剣闘士と野獣との闘い、等の見世物施設でして、人間の愚かさのようなものを、そこからブリューゲル自身が感じ取ったのかもしれませんね。 いずれにせよ、バベルの塔は、人間の欲深さの象徴でもあります。 ブリューゲルと同時代を生きた画家に、エル・グレコがいます。 マニエリスムといいまして、画中の人物や対象物が、ビヨーンと引き伸ばされたり、ねじれさせられたり、歪んで描かれております。 僕の勝手な評論ですが、この時期は、ルターの宗教改革や、大航海時代、という歴史の大きな転換期にあたります。商業と技術の飛躍的進歩がなされました。 さらには、スペインの南米進出により、インディオ虐殺など人間の傲慢さ、醜さ、愚かさがヨーロッパ中に知れ渡っていたと思うのです。 ブリューゲルは「バベルの塔」を描くことで、エル・グレコはマニエリスムという人間をきちんとした姿で描かないという手法で、その時代に対するアンチテーゼを唱えたのかもしれません。
昨晩は、久しぶりに寝付けませんでした。 一昨日、星になられた麻央さんが、わずかながら僕にも「 夜更かしをしなさい 」とアドバイスされたからなのかもしれません。 誰かの訃報を受け取ると、僕もいつかは死ぬんだな、と最近でこそ、客観的に考えられるようになってきました。 そんな常識中の常識でも、僕は子供の時から、何となく自分は死なないような気がしておりました。 正直、死ぬのは怖いし、受け入れたくはありません。 けれど、生と死は対極にあるのではなく、生老病死はすべて自然に連なっている、と思うようにすると楽に、そして慎重に生きられるような気がしています。 当たり前ですが、人は必ず死にます。 難しい物理学の話はチンプンカンプンですが、宇宙の時間からすれば、ホモサピエンスの出現、消失、など一瞬にすぎないでしょう。 ましてや、個人の生死など、サハラ砂漠の砂粒一つを構成するさらに小さな素粒子だか何だか、そんな小さいものよりもさらに小さいレベルなのかもしれません。 死後の世界が存在するのかどうか? 死んだら何もなく意識がないのだから永遠と漆黒の世界が続く、とおっしゃる方がいます。 死後の世界は存在しないと主張される方です。有名な早稲田の大槻教授を筆頭に、唯物論的な考え方の強い科学者に多いようです。 一方で、死んでも魂は存在し、自分という意識( ここで意識という表現は不適切ですが~脳が働いていないので~)は残る、と主張される方がいます。 東大救急救命科教授の矢作先生とそのシンパです。 僕は、後者に賛同いたしまして、死んでも魂は残ると考えております。 何か、宇宙や生命というものを統一させるような、それこそ普遍的な法則が存在し、人間の運命も実は、お釈迦様の手の上の悟空のように、余儀なくそれに追従させられているような気がするのです。 話がカルト的になってしまいましたが、最後に、死とは世代間の新陳代謝であり、自然になされるものであり、宇宙を貫くような普遍的な法則に従って淡々となされているような気がしてならないのです。 そして、死んだ後も魂は宙をふわふわと浮いているような気がしてならないのです。
たいへん申し上げにくいのですが、今回、不適切な表現が含まれております~ 健康診断の時期です。 思い起こすこと8年前の冬、自宅採決による前立腺がんPSA検査で、途方もない異常値が現れました。抜き差しならない状態に死を覚悟し、泌尿器科を訪れます。先生は、困惑気味に聞かれました。「このご年齢で、この数値、前例がないのです。失礼ですが、採決前に射精されましたでしょうか?」診療室の一角に空気が張り詰め、一瞬後、顔から火が出ました。同時に、助かった!解放感と安堵感が僕を包みます。「 すみません、採血の直前に自慰しました 」 看護師さん達との距離がひらき、彼女たちの残忍な視線を一身に浴びました。 男性諸君への御忠告です。 PSA検査をされる場合、射精直後の採血はやめましょう。 僕と同じ轍を踏むことになります。 ところで、旧約聖書中、人類史上初めてマスターベーションをした男として、オナンは不名誉なレッテルを貼られていますが(オナニーの語源)、彼は、ただ避妊するために膣外射精をしただけなのです。そのいきさつに関しましては、後日にでも書き込んでみます。
時折、無性にお赤飯を食べたくなることがあります~ 古代日本のお米は赤米でした。 やがて、突然変異で生成した白い米を与えるイネを、人々は選別して栽培するようになります。白い米は見た目も美しく、食味もよかったからです。 現在、我が国では祝い事などには、もち米に小豆の煮汁を使って、赤飯をつくりますね。 これには赤米をしのぶ、つまり古代をしのぶ風習が、我々のDNAに刷り込まれているからだという説もあるようです。 あしからず。
フェルメールを代表する絵に「天文学者」というのがあります。第二次世界大戦前までは世界的富豪のロスチャイルド家が所有しておりましたが、ヒットラーにうばわれて、オーストリアに渡ってしまいました。戦後、オーストリアから再び、ロスチャイルド家に返還されましたが、今から、30年ほど前、ロスチャイルド家の遺産相続税の現物税としてフランス政府に納められました。 ですから、「天文学者」は現在、ルーブル美術館で観ることができます。 さてさて、現在日本の相続税、贈与税は高いですから、子や孫に残すことなんか考えずに、稼いだお金は身体が元気なうちにどんどん使ってしまう方が賢明かもしれませんね~ 笑 近所のコンビニで「遺産増続」に関する本が目に留まったのでとりとめもなく書き込んでみました。 あしからず。