長崎無線局~最盛期の日々(その3)
【有線通信の風景】
(はじめに)
長崎無線電報局には、無線通信室のほか、有線通信を担当する有線通信室が設置されていた。
この有線通信室は、国内各地から有線により、長崎電報局を経由して送信されてくる船舶宛の電報を受信し、これを無線通信室に渡し、船舶に無線で送信する。一方、無線通信室で受信した船舶からの無線電報は、有線通信室が受取り、中継局の長崎電報局に有線 . . . 本文を読む
長崎無線局最盛期の無線室風景
6.船の生命線 天気図
船にとって気象情報は絶対不可欠である。今日のように衛星が上空から雲や前線の動きを見ながら判断する時代ではなく、各ポイントの情報を基に天気図を作っていた。船は台風だけではなく低気圧や前線の突風に巻き込まれると大変である。特にデッキまでラワン材を満載した船などは突然現れる“台湾坊主”と呼ばれる小さな低気圧でも恐れた。
船の通信士にとって気象 . . . 本文を読む
長崎無線局最盛期の通信室風景
<はじめに>
「長崎無線91年のあゆみ」によれば、概略次のような経過をたどった海上公衆通信と船舶の安全を守った海岸局・長崎無線局の歴史が詳細に綴られている。
すでにご紹介した(本ブログ2018/2/20日、2/24日)ように、長崎無線局の前身は、銚子無線局の開局から1カ月半後の明治41年(1908)7月1日に開局した五島列島の大瀬崎無線電信局(JOS)である。こ . . . 本文を読む