国の無線通信・海岸局業務の歴史
◆中西 研二
(1) 海岸局の発祥及び全国展開
日本の無線通信は最初、1902年ごろ、当時風雲急を告げつつあった、ロシアとの衝突を予想した陸海軍、特に海軍の技術開発から始まったが、それにやや遅れて、公衆通信業務でも技術開発が始まった。
日露戦争直後の1906年(明治39年)、ベルリンで第1回国際無線電信会議が開催され、日本を含む29か国が出席した。会議の成果は「国際無線電信条約」の形でまとまり11月3日、27か国により調印された。条約は陸地と海上船舶との間の公衆無線通信業務を取り扱うすべての無線電信局(海岸局及び船舶局)を対象としたもので、23条から成り、第三条では「海岸局及び船舶局はその採用する無線電信の方式を問わず相互に無線電報を交換することを要す」と定められた。
1907年、逓信省は公衆通信開始の準備に着手、全国から無線電信オペレーターの要員を募集して12月から養成し、同時に無線設備の建設等の作業を開始した。建設地として最初に選ばれたのは、千葉県本銚子町(当時)の北東端・平磯台で、工事は1908年1月に始まり、同年3月に完成した。これが我が国で最初の海岸局・銚子無線電信局である。同局は、波長300mと600mを使用、送信電力は1kW、受信機には音響式を主に印字式も備えたが、前者には水銀検波器と磁気検波器が用いられた。
銚子無線局を皮切りに、1908年中に船舶局を含めた計15局が完成を見た。(無線電報規則は同年5月1日より施行)その一部を掲げると以下のようになる。伊予丸以降の船舶局は省略。
船舶局はすべて官設であったが、これは明治時代、電波の発射は周辺一帯の空間を独占支配することになると考えられていて、一般に無線局の開設は認められなかったことに起因する。民間への無線通信開放は、1915年(大正4年)の私設無線電信規則の実施まで待つことになる。
局名 アンテナの高さ(m) 電力(kW) 開局月日(1908年)
銚子(千葉県) 69 1.0 5月16日
潮岬(和歌山県) 54 1.6 7月1日
角島(山口県) 55.5 1.6 7月1日
大瀬崎(長崎県) 51 1.6 7月1日
落石(北海道根室郡) 66 4.0 12月26日
天洋丸 44.7 1.5 5月16日
丹後丸 39 1.5 5月26日
伊予丸 39 1.2 5月26日
(中西注)アンテナの高さは、原著では尺表示であるが、本稿では、1尺=0.3mとして、メートル表示に変えた。落石については、『落石無線電報局沿革史』の値と異なるが、原著のままとした。(『にっぽん無線通信史』福島雄一:朱鳥社より引用)
(2) 最初の船舶通信
海岸局と船舶との実際の通信は、なかなか当初の構想どおりにはいかず、通信接続自体にも困難をきたしたようである。(以下『にっぽん無線通信史』からの引用を続ける)
5月16日、天洋丸は横浜から香港に向けて処女航海に出発、直ちに銚子局との交信を試みたが結局失敗に終わり、無線活用のないまま香港との往復をするだけとなった。この原因については、電波が房総半島に遮られたのではないかと考えられた。
ついで開局した丹後丸は、5月27日、横浜を出港して北米・シアトルへと向かった。機器の取り付けは出発直前に漸く完了した。
出港後、銚子(JCS)を呼び出し始めたが、応答なく、こちらも東京湾にいる間は不感のままであった。しかし、午後8時、野島崎を回ると、すぐに銚子局との連絡がとれたのである。この銚子―丹後丸間が、わが国における海陸間の公衆通信のスタートとなった。当時、丹後丸の無線局長(といっても一人きり。ちなみに銚子・落石局も開局当時のメンバーは、局長・通信士、それに用務員の3名で構成)であった。丹後丸無線局長米村嘉一郎(満24歳)の回顧によると、夜通し、翌朝9時ごろまで13時間に亘って交信、30余通の電報を処理したとある。両者間の最遠距離は110浬で、その後はアメリカに着く前日まで、どことも交信はできなかった。
(中西注)米村嘉一郎(1884年から1981年)は、金沢市生まれ。金沢一中から東京郵便電信学校に転じ、1902年逓信省に入る。その後、無線通信科第一期生(全25名)のメンバーに選ばれて養成を受け、1908年5月丹後丸無線局長として銚子局との間に日本最初の電波による公衆通信を行った。その後、銚子(三代目)、船橋(代行)、磐城及び東京の各無線電信局の所長を歴任。特に磐城時代、関東大震災の惨状を外国向けに打電、アメリカおよび世界各国からの救援活動のきっかけを作った。(以下略)(『にっぽん無線通信史』)
(3) 海岸局の通信担当海域
1908年当時、5局であった海岸局も、その後拡充され、全国では、落石無線局(JOC)、小樽無線局(JJT)、函館無線局(JHK)、新潟無線局(JCF)、銚子無線局(JCS)、横浜無線局(JCY)、舞鶴無線局(JMA)、神戸無線局(JCK)、潮岬無線局(JSM)、大分無線局(JIT)、長崎無線局(JOS)となった。(本稿では、私の在職時を中心に記述しているので、那覇無線局(JCX)については触れていない)。
中波帯では、中波の通信可能距離により、全国の各海岸局の通信担当海域が定められていた。例えば、落石無線局の場合、紋別から襟裳岬からまでの道東域、および八戸から金華山までの太平洋域が、その通信担当地域である。銚子無線局は、金華山沖から石廊崎沖までである。
船舶局は航行中、それぞれの海岸局の通信圏に入り、または去るとき、入・出圏の通知(TR)を行っていた。これにより、海岸局は自局の通信圏に、どういう船舶がいるかわかるので、該当船舶へ送信すべき公衆電報を受け取ったとき、該当船舶を呼び出して、その電報を送ることができる。
(4) 海岸局業務の廃止
オペレーターの技量に負うことが多いモールス通信は、長期間にわたって海上移動業務の通信の分野において使用されてきた。しかし、GMDSS(衛星通信技術を利用した全世界的な遭難安全システム)への移行によって、1912年のタイタニック号の遭難を機に約80余年にわたって続けられてきた中波帯(500kHz)のモールス通信によるSOS信号のワッチも終止符を打たれた。銚子無線局が1996年3月31日に業務を終了し、最後まで公衆通信業務を行っていた長崎無線局が1999年1月31日に業務を終了して、海岸局業務は廃止された。(『モールス・キーと電信の世界』魚留元章:CQ出版社、『にっぽん無線通信史』)
(5) 有線と無線との差~スピーカー、電鍵、Q符号、SOS、第1級無線通信士、 長波・中波・短波、A1・A2~
① 無線通信では有線通信と異なり、通信路が安定しているわけではない。最初の通信路の設定から始めなければならないし、通信途中でも、通信状態が悪化して送受が不安定や途絶したりすることがある。
② 無線では音響機は使用しない。スピーカーとイヤホンを使用する。
③ 電鍵は有線と異なるものを使用する。有線は低電圧と安定した通信が確保できるため、接点の形状が比較的小さく、また接触抵抗を下げるため接点材料は、白金や白金合金などの貴金属を使う。無線では火花式やアーク式だったため、断続する電圧や電流が大きかったため、一般的に接点は大きく、材質は銀合金が使われた。(『モールス・キーと電信の世界』)
④ 通信量を極力減らすため、116種のQ符号が国際条約で定められている。Q符号は標準的な通信内容を略号に置き換えてある。
例:QTP?=「そちらは港に着くところですか」
QTP=「こちらは港に着くところです」
⑤ SOS
タイタニック号は1912年4月10日、イギリスのサザンプトン港を出港したが北大西洋上にさしかかったときに氷山に衝突して沈没し、約2,200名の人命が失われるという大きな遭難事故が発生した。この際、スミス船長は、1906年10月の第一回国際無線電信会議(ベルリン)で決まった新しい遭難信号SOSを無線電信で打つようにフィリップス通信長に指示し、無線電信が人命を救った初めての事例となった。この遭難を機に、このような悲劇を二度と起こさないように国際条約が制定され、一定規模以上の船舶には無線電信設備を設置して国際遭難周波数500kHzを常時ワッチすることが定められた。
⑥ 第1級無線通信士
海岸局で船舶局との通信操作を行うには、第1級無線通信士(国家試験)の資格が必要であった。これは国際電気通信連合憲章の無線電信規則(Radio Regulation)に基づくものである。この国家試験の試験科目は、電鍵打鍵などの電信技能の他、電波法、船舶安全法などの内国法規、国際条約上の規約、英語、国際地理、無線工学などである。無線通信士は現在、総合無線通信士、海上無線通信士、航空無線通信士に変更された。
⑦ 長波・中波・短波(総務省:電波利用ページ)
長波:波長が1~10㎞、周波数30~300kHzの電波。非常に遠くまで伝わることができる。1930年ごろまで電信用として利用されていたが、大規模なアンテナと送信設備が必要という欠点と短波通信の発展により、電信にはあまり利用されなくなってきている。
中波:波長が100~1000m、周波数300~3000kHzの電波。約100kmの高度に形成される電離層のE層に反射して伝わることができる。送信機や送信アンテナは大規模なものが必要だが受信機は簡単なもので済む。
短波:波長が10~100m、周波数3~30MHzの電波。約200km~400kmの高度に形成される電離層のF層に反射して、地表との反射を繰り返しながら、地球の裏側ま伝わっていくことができる。
⑧ A1・A2電波形式。
A1(A1A):振幅変調の電信で、変調用可聴周波数を使用しないもの(モールス符号)
A2(A2A):振幅変調の電信で、変調用可聴周波数を使用するもの
◆寄稿者等紹介
・中西 研二 【すずらんの丘―落石(おっちし)無線局の想い出(1/2)・・・2018/6/30日】参照
・出典① 『落石無線電報局沿革史』
編集発行 落石無線電報局 根室無線中継所
1966年11月1日(p60)
②『にっぽん無線通信史』 福島 雄一 朱鳥社発行 2002年12月1日(P191)
③『モールス・キーと電信の世界』魚留元章 CQ出版社発行 2005年6月(P261)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます