モールス音響通信

明治の初めから100年間、わが国の通信インフラであったモールス音響通信(有線・無線)の記録

終戦前後の大分電報と私(その3)

2016年11月17日 | 寄稿
◆寄稿 高野 明 米軍初の大分進駐 終戦とともに街にはいろいろな流言飛語も飛びかい、大分駅では特別列車を仕立てて婦女子を庄内方面へ一時避難させた。丁度そんな時、米軍が初めて大分に進駐して来た。完全武装の米兵が激戦の証を物語るかのように、破れて外枠のみが残る軍旗を先頭に列隊を組み堂々と大分駅から電車通りを行進して来た。当時我々が入居していたトキハデパートの前まで来ると唯一残る大きな建物を意識して . . . 本文を読む

終戦前後の大分電報と私(その2)

2016年11月02日 | 寄稿
◆高野 明 ・空襲対策と電信課トキハ移転 米軍の宣伝ビラによれば「日本よい国桜の国4月5月は灰の国・・・・・」このような文句であったと思う。空襲は無差別というか大都市を焼土とした後は地方都市も攻撃目標とされるようになり、大分市も何時やられるか戦々恐々とした毎日であった。そのような背景の中で急遽トキハデパートへ移転することとなった。大分市内で鉄筋コンクリート造りの建物はトキハ、市役所、日銀、勧銀 . . . 本文を読む