長崎無線局~最盛期の日々(その3)
【有線通信の風景】
(はじめに)
長崎無線電報局には、無線通信室のほか、有線通信を担当する有線通信室が設置されていた。
この有線通信室は、国内各地から有線により、長崎電報局を経由して送信されてくる船舶宛の電報を受信し、これを無線通信室に渡し、船舶に無線で送信する。一方、無線通信室で受信した船舶からの無線電報は、有線通信室が受取り、中継局の長崎電報局に有線により送信し、長崎から国内各地の宛先に送信され、配達される。
この有線による通信は大瀬埼無線局の開局時は、わが国初期に採用された有線によるモールス印字機を使用した。これは、福江ー玉之浦(現在の五島市内)に接続されていた。大正3年には佐世保線を増設、その後8年に長崎電信局に接続を変更し、重単信音響機通信とした。大正15年には2線とも音響通信とした。昭和29年にはこの音響通信を廃止し、印刷通信方式となった。以下に述べる40年代の当局の印刷通信方式は、全国電報中継機械化に対応する新形の印刷通信方式に変更(31年)されていた。
1.KPマンはピアニスト
無線座席の稼働率アップは、有線通信の繁忙に直結する。印刷通信方式のKP(KP形けん盤さん孔機)の受付け台には常に10通以上の電報が乗っており、LT(LT形線路送信機)でテープを送り続けている。印刷受信機もくぐもった重い音を出しながら印字されたテープを出し続ける、貼付係は電報式紙に印字テープを貼り続けるが追いつかず、溜まったテープが踏まれたり切れたり汚れぬように大きな籠に受けられ一杯になっている。
KPのさん孔音、ナンバーリングの音、貼付席の受信時刻打刻音、TLX(加入電信)の紙繰り出しやタイプの音、ベルトのきしみ音、作業中の人の声なども重なりあって有線通信室は全体に騒音がこもり、冷房もなく、人いきれで通信室というよりも下町の電報製造工場の趣きである。
KP導入以前の通信方式は音響通信であり、有線通信士はその早さと正確さを競い合ったと言うが、KPに換わったとしても電鍵がKPに換わっただけで人の競争心は変わらない。規定では正確さを期すため、さん孔したテープの穴を読み、間違いのないことを確認してからLTに掛け、送信することになっていたが、とてもできない相談である。
さん孔しながらLTでテープを送るいわゆる同時通信を行わなければ電報は捌けず、LTに追いつかれそうになると躍起になってさん孔したものだ。ベテランになると中にはLTの送信速度よりさん孔速度の速い達者な人もおられた。
タイプライターの打鍵がオルガン演奏に似るならKPはピアノタッチである。キータッチがLT送信速度より早くなると、運指はKP鍵盤を舐めるごとく滑るがごとくで下手なピアニストは真っ青である。
KP回線では電報疎通に追われ、午後3時の確認テスト信(電報が異常なく送受されているかを確認するため自局あて「行って来い」の短文の電文)の送信を忘れたり遅れたりで、長崎電報局からよく注意を受けたものである。(注)
(注)電報中継交換局の長崎電報局には、加入局との連絡のため特別席を置き、「特別席操作装置」が設置され、KPにより連絡通信を行っていた。当時、この特別席を「特席」と略して呼んでいた。
TLX(加入電信)の送信も1通毎にダイヤルしていては捌けないからと、束になった電報を床の上で会社毎に分けて一度に送っている。2台のTLXの通信が続くと「電報を送りたいので空け欲しい」と要請が入ることすらあった。
キショウ信はあらかじめさん孔溜めしたテープを掛けてTLXで気象庁に送信していたが送信中に着信したキショウ信をさん孔しながら送るので、印字音、紙を繰り出す音、通過番号を打つナンバーリングの音と実にあわただしい雰囲気である。
2.送り方止め、締め切り作業
1日の締め切りは午後9時であった。9時近くになっても電報の流れは途切れず、ぎりぎりまで続けることが多かった。午後7時から9時まで2時間連続のKP係という担務があったが、この時間帯はなかなか捌ききれず敬遠されたものである。
午後9時の締め切り直前の8時45分頃になると長崎電報局の特席から”チン、チン、チン”のけたたましいベルとともに「何時まで送るつもりか、お宅が締めなければうちは次の作業ができんよ」とよく叱られる。そこでやっと「ここで打ち止め」となり、KPの電報受付台に乗り、送られるばかりになっていた電報の通過番号や整理番号(受付番号)は001に戻され翌日扱いになる。
夜9時の締め切り時、KPの送信済み紙テープ巻き取り機には直径30センチもの電報の円盤が出来上がっており、何時の頃からか巻ききれないため、巻き取り機のテープ留め金具の上限は外されていた。こんなことも無線局だけと思われる。
テープの締め切り作業は、巻き取り機からはずした円盤状のテープの中心を左手で押さえ、左側のテープを右手で思いっきり後ろへ引っ張る。円盤は外縁部を波打たせながら「キュー」と悲鳴のようなとても紙が出すとは思えない甲高く乾いた音を発しながら円盤は堅く締まってくる。
「パーン」とこれを作業机に思い切り強く打ち付け、波打った面を平らにして更に締める。キー、キュッ、パーン、パーンと響く音でその人の技量もおおよそ見当がつくとされたものだ。
3.海岸局は有線も24時間
他の局は、これで静かになると思われるが、長崎無線では有線部門も夜眠ることはない。9時以降も国際無線電報、業務報、転送信、キショウ電報、それに受付が午後7時以前の一般電報など数は減るが動きは止まらない。
夜も更けてくると日中にはそれほど感じなかったベルトの軋み音が高く感じるほど静かになる。入ってくる電報のテープを繰だす印刷受信機の音や、夜間も送らねばならぬ電報などへ通過番号を押すナンバーリングの音が時折大きく響く。
午前0時を回るとさすがに有線室もまどろむ。と、突然”チン、チン、チン”と特席から呼び出され、前述のKPによるキーボード通信で「通過番号どうなってます!こんな時間に!トラブルはお宅だけですよ」と注意される。ごもっとも。海岸局以外こんな時間にはどこも電報など動いてはないのだから。(おわり)
◆出典等は、長崎無線(その1)参照ください。
【有線通信の風景】
(はじめに)
長崎無線電報局には、無線通信室のほか、有線通信を担当する有線通信室が設置されていた。
この有線通信室は、国内各地から有線により、長崎電報局を経由して送信されてくる船舶宛の電報を受信し、これを無線通信室に渡し、船舶に無線で送信する。一方、無線通信室で受信した船舶からの無線電報は、有線通信室が受取り、中継局の長崎電報局に有線により送信し、長崎から国内各地の宛先に送信され、配達される。
この有線による通信は大瀬埼無線局の開局時は、わが国初期に採用された有線によるモールス印字機を使用した。これは、福江ー玉之浦(現在の五島市内)に接続されていた。大正3年には佐世保線を増設、その後8年に長崎電信局に接続を変更し、重単信音響機通信とした。大正15年には2線とも音響通信とした。昭和29年にはこの音響通信を廃止し、印刷通信方式となった。以下に述べる40年代の当局の印刷通信方式は、全国電報中継機械化に対応する新形の印刷通信方式に変更(31年)されていた。
1.KPマンはピアニスト
無線座席の稼働率アップは、有線通信の繁忙に直結する。印刷通信方式のKP(KP形けん盤さん孔機)の受付け台には常に10通以上の電報が乗っており、LT(LT形線路送信機)でテープを送り続けている。印刷受信機もくぐもった重い音を出しながら印字されたテープを出し続ける、貼付係は電報式紙に印字テープを貼り続けるが追いつかず、溜まったテープが踏まれたり切れたり汚れぬように大きな籠に受けられ一杯になっている。
KPのさん孔音、ナンバーリングの音、貼付席の受信時刻打刻音、TLX(加入電信)の紙繰り出しやタイプの音、ベルトのきしみ音、作業中の人の声なども重なりあって有線通信室は全体に騒音がこもり、冷房もなく、人いきれで通信室というよりも下町の電報製造工場の趣きである。
KP導入以前の通信方式は音響通信であり、有線通信士はその早さと正確さを競い合ったと言うが、KPに換わったとしても電鍵がKPに換わっただけで人の競争心は変わらない。規定では正確さを期すため、さん孔したテープの穴を読み、間違いのないことを確認してからLTに掛け、送信することになっていたが、とてもできない相談である。
さん孔しながらLTでテープを送るいわゆる同時通信を行わなければ電報は捌けず、LTに追いつかれそうになると躍起になってさん孔したものだ。ベテランになると中にはLTの送信速度よりさん孔速度の速い達者な人もおられた。
タイプライターの打鍵がオルガン演奏に似るならKPはピアノタッチである。キータッチがLT送信速度より早くなると、運指はKP鍵盤を舐めるごとく滑るがごとくで下手なピアニストは真っ青である。
KP回線では電報疎通に追われ、午後3時の確認テスト信(電報が異常なく送受されているかを確認するため自局あて「行って来い」の短文の電文)の送信を忘れたり遅れたりで、長崎電報局からよく注意を受けたものである。(注)
(注)電報中継交換局の長崎電報局には、加入局との連絡のため特別席を置き、「特別席操作装置」が設置され、KPにより連絡通信を行っていた。当時、この特別席を「特席」と略して呼んでいた。
TLX(加入電信)の送信も1通毎にダイヤルしていては捌けないからと、束になった電報を床の上で会社毎に分けて一度に送っている。2台のTLXの通信が続くと「電報を送りたいので空け欲しい」と要請が入ることすらあった。
キショウ信はあらかじめさん孔溜めしたテープを掛けてTLXで気象庁に送信していたが送信中に着信したキショウ信をさん孔しながら送るので、印字音、紙を繰り出す音、通過番号を打つナンバーリングの音と実にあわただしい雰囲気である。
2.送り方止め、締め切り作業
1日の締め切りは午後9時であった。9時近くになっても電報の流れは途切れず、ぎりぎりまで続けることが多かった。午後7時から9時まで2時間連続のKP係という担務があったが、この時間帯はなかなか捌ききれず敬遠されたものである。
午後9時の締め切り直前の8時45分頃になると長崎電報局の特席から”チン、チン、チン”のけたたましいベルとともに「何時まで送るつもりか、お宅が締めなければうちは次の作業ができんよ」とよく叱られる。そこでやっと「ここで打ち止め」となり、KPの電報受付台に乗り、送られるばかりになっていた電報の通過番号や整理番号(受付番号)は001に戻され翌日扱いになる。
夜9時の締め切り時、KPの送信済み紙テープ巻き取り機には直径30センチもの電報の円盤が出来上がっており、何時の頃からか巻ききれないため、巻き取り機のテープ留め金具の上限は外されていた。こんなことも無線局だけと思われる。
テープの締め切り作業は、巻き取り機からはずした円盤状のテープの中心を左手で押さえ、左側のテープを右手で思いっきり後ろへ引っ張る。円盤は外縁部を波打たせながら「キュー」と悲鳴のようなとても紙が出すとは思えない甲高く乾いた音を発しながら円盤は堅く締まってくる。
「パーン」とこれを作業机に思い切り強く打ち付け、波打った面を平らにして更に締める。キー、キュッ、パーン、パーンと響く音でその人の技量もおおよそ見当がつくとされたものだ。
3.海岸局は有線も24時間
他の局は、これで静かになると思われるが、長崎無線では有線部門も夜眠ることはない。9時以降も国際無線電報、業務報、転送信、キショウ電報、それに受付が午後7時以前の一般電報など数は減るが動きは止まらない。
夜も更けてくると日中にはそれほど感じなかったベルトの軋み音が高く感じるほど静かになる。入ってくる電報のテープを繰だす印刷受信機の音や、夜間も送らねばならぬ電報などへ通過番号を押すナンバーリングの音が時折大きく響く。
午前0時を回るとさすがに有線室もまどろむ。と、突然”チン、チン、チン”と特席から呼び出され、前述のKPによるキーボード通信で「通過番号どうなってます!こんな時間に!トラブルはお宅だけですよ」と注意される。ごもっとも。海岸局以外こんな時間にはどこも電報など動いてはないのだから。(おわり)
◆出典等は、長崎無線(その1)参照ください。
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