◆寄稿 高野 明
1.逓信講習所卒業から赴任まで
昭和20年3月戦局は日ごとに急迫、米機動部隊による戦艦機の空襲が激化するなか、あわただしくも悲壮なおもいで熊本逓信講習所(高等科)の卒業式は行われた。広瀬所長、松岡教官等の激励と慈愛あふれるお言葉をいただき、同窓生各人の武運を誓い合ってそれぞれの任地へ旅立って行った。
大分県南出身の私と岡崎、仲野君の3人は豊肥線経由で故郷に帰るため大分駅 . . . 本文を読む
七つボタンは遠かった
◆寄稿者 木寺昭二郎
昭和17年3月末、早朝、私は佐賀県の有田駅のホームにいました。そこには、同級生の池田君と原君もいました。それぞれの母親も一緒です。私達は小倉陸軍造兵廠の技能者養成所に入所するため汽車を待っていたのです。いわば、当時の集団就職です。
九州一円から、千名ぐらい入所することになっていました。そこは工業高校の機械科みたいなもので、研修期間は2年間です。午前中 . . . 本文を読む
◆大原 安治
50年来の友人が数人いる。いわゆる「同じ釜の飯を食った仲間」だ。今はもう、消えてしまった職業「モールス通信」の技術を一緒に学んだ「大分逓信講習所」の同期生である。
今でも、年に何度か集まって酒を飲むが、この歳になると酒の肴はいつも回顧譚になる。作家の開高健氏が「男にとって、思い出ほど最高の酒のサカナはない」と言ったそうだが、まったくその通りだと思う。
酔いが回りだすと、まず出るの . . . 本文を読む