小島逸雄氏は、原爆投下時、広島電信局に勤務していたが、勤務時間のほんの少しのずれで、命拾いをした。
氏は後年、原爆の犠牲となった同僚たちを「追憶」し、広島電信局の原爆前後の記録と生き残った同僚の体験記を文集として纏めた(2002年(平成14)10月1日・追憶作成日)。
以下は、小島氏が書かれたその文集の「まえがき」をそのまま転載させていただいた。 . . . 本文を読む
◆ 寄稿 A.S
①小学校低学年の昭和12、3年ごろ、当時住んでいた満州南端に位置する旅順市(帝政ロシアから「永久租借地」として日本が統治)で、時々母親に連れられ旅順新市街郵便局に行きました。振返ると、小生にとっては、この時見聞きしたことが“トンツー”を生業とした契機だったような気がします。
郵便局の公衆だまりからカウンター越しに、目にし耳にしたのは、電鍵を通して発する音響器の響き、目にもと . . . 本文を読む
◆9月2日~9月30日
あくる2日、避難した紅葉館の林中にて夜を明かした翌日、応急手段を策定し、臨時事務の分掌(通信現業、庶務、伝令、兵站、警衛、衛生等の8部)と部長、副部長を決め、陣容を整えた。3日には、復旧計画の実施に関し、具体方法の協議を完了。麻布飯倉の中電女子吏員宿舎を臨時本部兼避難所に充て、今後中電のとるべき方針を発表した。同時に寝る家のなくなった者、食事のできない局員を収容した。4日 . . . 本文を読む
93年前の9月1日、関東大震災が発生(マグニチュード推定9.7)。南関東から東海地域に及ぶ広範な地域に甚大な被害をもたらした。この未曽有の大震災は、東京を阿鼻叫喚の巷と化し、わが国、電信事業の中軸だった東京中央電信局の局舎と通信回線を灰燼に帰した。
今回は、東京中央電報局沿革史に記録された大震災発生から1カ月間の先輩たちの苦闘の跡をたどってみます。 . . . 本文を読む