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モールス音響通信

明治の初めから100年間、わが国の通信インフラであったモールス音響通信(有線・無線)の記録

音響通信の想いで

2023年06月22日 | 寄稿・戦時のモールス通信
私の電電勤務は昭和26年、熊本電気通信学園が振りだしです。学園ではモールス音響通信(トンツー)通信の訓練を受けた。初めて聞くトンツーは、無線通信と違いカチカチという金属音の雑音としか聞こえなかった…以下書き加える。                     &nbs . . . 本文を読む

わが国の無線通信・海岸局業務の歴史

2018年08月21日 | 寄稿・戦時のモールス通信
国の無線通信・海岸局業務の歴史  ◆中西 研二  (1) 海岸局の発祥及び全国展開  日本の無線通信は最初、1902年ごろ、当時風雲急を告げつつあった、ロシアとの衝突を予想した陸海軍、特に海軍の技術開発から始まったが、それにやや遅れて、公衆通信業務でも技術開発が始まった。 日露戦争直後の1906年(明治39年)、ベルリンで第1回国際無線電信会議が開催され、日本を含む29 . . . 本文を読む

◆終戦直後、逓信省で電信事業の復興を目指す(その3)

2018年05月28日 | 寄稿・戦時のモールス通信
◆電信事業の合理化 33年8月には再び本社の電信課業務係長として勤務。そこでの役職は変わったが7年間、電信事業の企画事務に携わった。その間に取り組んだ最大の仕事は、電信事業の合理化問題であった。 35年1月、合理化の中心課題である電報中継機械化に対処するため、運用局に中林正夫調査役をトップとする対策チームが編成され、私もその一員となっとなった。多くの困難を乗り越え、全面的な完了は昭和40年11 . . . 本文を読む

終戦直後、逓信省で電信事業の復興を目指す(その2)

2018年05月17日 | 寄稿・戦時のモールス通信
◆逓信省電務課に勤務して(その2) 赤羽 弘道 当時(昭和23年)、総務局統計課ではGHQの指令で、逓信事業の事業別収支分計を行っていた。電信事業についても収支が計算されていたが、私はこの資料を分析して、電報の原価計算をすることを思い立ち、係長の了承を得て作業に取りかかった。参考にしたものは、市販の図書の他、物価統制令に基づく製造工業原価計算要綱、かつて満州電信電話会社が行った原価計算報告書等 . . . 本文を読む

戦争末期の速成モールス通信訓練とその後(その2)

2018年04月06日 | 寄稿・戦時のモールス通信
◆大戦末期の速成モールス通信訓練とその後(その2) 宇野 準一 電信課の中からもどんどん兵隊へ兵隊へと召集され、わずか半年程でなにしおう福岡二重回線につくことになる。恐れていた福岡回線は常に状態が悪く、音かすれたり時には記号が消えたり、それでもかすかな音を聞き分けてこなしていかなければ「このヘボやろう」とブルの洗礼だ。 新米の時からこの二重回線には憧れと恐れをもって眺めていた。隣に座る先輩殿 . . . 本文を読む

戦争末期の速成モールス通信訓練とその後(その1)

2018年03月30日 | 寄稿・戦時のモールス通信
◆戦争末期の速成モールス通信訓練とその後(その1) ◆宇野 準一 昭和19年2月に熊本逓信講習所(大分分室)を受験し、合格した。 4月初めに講習所のあった大分電報局に行った。電報局の通用門を通って幅90センチの階段を上がると突き当りの左側が電信宿直室、畳20帖程の部屋が熊本逓信講習所大分分室である。生徒数20名男女共学、先生は電信課の事務職の方々で構成されていて、担任は飯倉先生だった。 入所 . . . 本文を読む

トンツウ時代の想い出

2017年10月10日 | 寄稿・戦時のモールス通信
トンツウ時代の想い出 ◆寄稿 平山 新平 トンツウ時代、それは1世紀近くも前にさかのぼる。 私がモールス符号の存在を知ったのは、小学校を終えた頃、従兄弟が仙台逓信講習所を出て、地元の特定郵便局に勤めていたので、郵便局には関心があった。「郵便」「電気通信」の2事業を逓信省が所管していた時代である。 実は、義務教育を終え、病弱の父を助け、一刻も早く給金が取れる身になるため、町内の某事業所で使丁 . . . 本文を読む

沖縄の激戦(その3)

2017年08月18日 | 寄稿・戦時のモールス通信
沖縄の激戦(その3) 県民ニ対シ後世ノ御高配ヲ賜ランコトヲ 5月29日、アメリカ軍は首里城址に侵入して来た。牛島軍司令官は摩文仁へ移動した。 6月6日早朝からアメリカ軍機の行動が活発となり、那覇沖からの艦砲射撃は激烈を加えた。小禄西側、金城、赤嶺付近では激戦が続いた。 同日夕刻、大田司令官※は「戦況切迫セリ、小官ノ報告(通報)ハ本電ヲ以テ此処ニ一先ヅ終止符ヲ打ツベキ時期ニ到達シタルモノト判 . . . 本文を読む

沖縄の激戦(その2)

2017年08月09日 | 寄稿・戦時のモールス通信
・戦艦「大和」の海上特攻出撃と神風特攻隊 4月5日(昭和20)、連合艦隊は沖縄周辺のアメリカ軍艦船に対する海軍航空部隊の特攻作戦である「菊水1号」作戦を4月6日に発動せよと下令するとともに、戦艦「大和」以下の水上艦隊を海上特攻として沖縄への出撃を命じた。それは沖縄の海岸に乗りあげ、大要塞と化してアメリカ軍撃滅にあたろうという計画であった。 F電令作603号(5月13時59分発令) 第1遊撃部隊 . . . 本文を読む

沖縄の激戦(その1)

2017年07月26日 | 寄稿・戦時のモールス通信
◆はじめに 今回は、私の熊本電気通信学園の先輩・大塚虎之助氏が著した「情報通信史 極秘電報に見る戦争と平和」の中の「沖縄の激戦」を紹介させていただき、沖縄戦で果たした通信の役割を見たいと思います。本著書は、九州逓友同窓会誌「相親」に9年間連載されたものを基にして上梓され、熊本日日新聞社の「熊日出版文化賞」を受賞(平成15年2月5日)したほか、当時の「日本図書館協会選定図書」にも選定された。 熊 . . . 本文を読む

軍隊と通信<余禄>

2017年03月07日 | 寄稿・戦時のモールス通信
◆寄稿 赤羽 弘道 出典の「記憶の残像~つつましく傘寿を生きる」には、著者赤羽氏の2年間の軍隊生活の記述に1章を当てている。満20歳のとき学徒出陣として、逓信省逓信官吏練習所を4カ月で繰上げ卒業となり、金沢の東部第54部隊に入隊、のち戦地上海に渡り、1年半で終戦、国民政府軍の下で俘虜生活を送り、生きて復員するまでの2年間の若き日の軍隊体験を回顧している。これまでの「軍隊と通信(その1~3)で . . . 本文を読む

軍隊と通信(その3)

2017年02月22日 | 寄稿・戦時のモールス通信
◆寄稿 赤羽 弘道 ・下士官候補者教育 20年5月から教育隊で下士官候補者の教育に当たることになった。有線班と無線班があり、無線班の教官が私が担当した。無線班は約30名で、第4中隊のほか電信第35聯隊の兵が入隊した。助教には、少年通信兵学校9期の軍曹と10期の伍長が任命された。軍曹は名古屋逓信講習所出身の後輩(普通科63期)で通信術のベテランであり、また伍長はエンジンや無線機の取扱いに長けてい . . . 本文を読む

軍隊と通信(その2)

2017年02月16日 | 寄稿・戦時のモールス通信
◆赤羽 弘道 ・暗号訓練 モールス通信術がある程度進むと、暗号の訓練が始まった。 軍隊の暗号は数字暗号で、師団通信隊では3数字暗号が使われていた。暗号の使用は、暗号書・乱数表・使用着規定による。暗号書は赤色の表紙で上質紙が使われ、一連の番号がつけられていた。カナ文字・数字・アルファベットをはじめ、軍隊でよく使われる漢字や熟語が収録され、これに無作為に選ばれた3桁の数字がつけられていた。乱数表は . . . 本文を読む

軍隊と通信(その1)

2017年02月10日 | 寄稿・戦時のモールス通信
◆赤羽 弘道 ・学徒出陣 満20歳のときの昭和18年(1943)12月1日、学徒兵として金沢の東部第54部隊(第52師団通信隊)に入隊した(柱)。兵舎は、金沢城址の中にあった。第54師団はトラック島の守備を任務とし、通信隊は司令部と行をともにし、昭和19年1月にトラック島に上陸した。この時期、入隊の同日付けで師団通信隊の補充隊に転属となった私は、金沢で通信訓練を受けていた。 (注)昭和17年4 . . . 本文を読む