◆寄稿 赤羽 弘道
・下士官候補者教育
20年5月から教育隊で下士官候補者の教育に当たることになった。有線班と無線班があり、無線班の教官が私が担当した。無線班は約30名で、第4中隊のほか電信第35聯隊の兵が入隊した。助教には、少年通信兵学校9期の軍曹と10期の伍長が任命された。軍曹は名古屋逓信講習所出身の後輩(普通科63期)で通信術のベテランであり、また伍長はエンジンや無線機の取扱いに長けてい . . . 本文を読む
◆赤羽 弘道
・暗号訓練
モールス通信術がある程度進むと、暗号の訓練が始まった。
軍隊の暗号は数字暗号で、師団通信隊では3数字暗号が使われていた。暗号の使用は、暗号書・乱数表・使用着規定による。暗号書は赤色の表紙で上質紙が使われ、一連の番号がつけられていた。カナ文字・数字・アルファベットをはじめ、軍隊でよく使われる漢字や熟語が収録され、これに無作為に選ばれた3桁の数字がつけられていた。乱数表は . . . 本文を読む
◆赤羽 弘道
・学徒出陣
満20歳のときの昭和18年(1943)12月1日、学徒兵として金沢の東部第54部隊(第52師団通信隊)に入隊した(柱)。兵舎は、金沢城址の中にあった。第54師団はトラック島の守備を任務とし、通信隊は司令部と行をともにし、昭和19年1月にトラック島に上陸した。この時期、入隊の同日付けで師団通信隊の補充隊に転属となった私は、金沢で通信訓練を受けていた。
(注)昭和17年4 . . . 本文を読む