◆寄稿者 伊藤國芳
前編では私の戦時中における空襲体験を書きましたが、なぜ重大な警報の伝達が電報局、郵便局からだったのか。
当時の情報交換は、電報・電話・手紙などで無線通信は発達途上で一般には使用されていなかった。
電話については皆さんもご存知のように通話には、普通・至急・特急の3種類あり普通電話ですと朝申し込んでも夕方でなければ接続されなかったり、また話し中の回線を非常だからといって交換手が . . . 本文を読む
「戦争と通信~前知符号」前編
◆寄稿者 伊藤國芳
私は昭和17年15歳で山部特定郵便局に就職し、内勤事務員として、郵便の発着係を担当した。その後、企業内学校である北海道逓信講習所のことを知り受験。富良野で13人の受験者のうち2人が合格、幸い入学することができ、昭和19年7月札幌逓信講習所旭川分室に入学。翌昭和20年3月卒業し、富良野郵便局に赴任、電報係として毎日山部から富良野まで汽車通で働いた . . . 本文を読む
◆寄稿者 高崎雄三
『百代』第2号に増田先輩の「去るもの疎し」というモールス通信の話しが載っている。それを読むと私も遠い昔を思い出してしまう。
わが又従兄は戦時中に船舶通信士だった。米軍機の銃撃で指を2本失ったが、戦後アマチュア無線局を開き、のこる指で器用に電鍵を叩いていた。その姿をみて私も無線通信士になろうと思ったのが電気通信との長いご縁の発端である。
鈴鹿学園の普電科を出て三重県内の小さ . . . 本文を読む
「書き残したこと」
モールス通信は1837年、アメリカの画家サミュエル・モースによって発明された。わたしはこれまで、この発明時の通信機は有線による音響式のものと思い込んでいたのだが、この思いでを書くうちに画家であった彼が、あの音響を聞き分ける能力を持っていたとは思えなくなってきた。
調べてみると、はやりモースの発明した「モールス機」は、<モールス符号を現字紙上に印出させて通信する電信機械>(広 . . . 本文を読む