◆寄稿 中野逸平
「体操の先生より、指先を使うピアノの先生の方が、長生きする」との俚言を、何時、何処で憶えたかは不明ですが、その言や良しとして、私は八十七才の日々を元気で過ごして居ります。と申しますのは自らの健康保持のため、冒頭の俚言を信じ、以前から机上に青年時代に従事したモールス通信の用具だった電鍵を置き、対面する壁には、集音函に収めた当時の音響器が備えてあり、これを始動するための乾電池 . . . 本文を読む
「モールス通信の神様はいた」
昭和30年の夏の終り、2年8ヵ月従事したモールス通信の仕事から離れることになった。大分を出発する日まであとわずかという時、ある同僚が真剣な顔をして教えてくれた。
「電信の名人のなかには、1分間150字近い速さの通信ができるモールス通信の神様のような人がいる。」
「そのようなスピードは、人間の能力では無理ではないか」とわたしは同僚に言い、その話が本当のことか確かめる . . . 本文を読む
「モールス通信に従事して」
熊本学園入学直後のモールスノイローゼともいえる症状から抜けだしてからの学園生活は、楽しいものだった。ただ入学後1、2カ月の間には、わずかだったが退学者がいた。モールス通信に適性がなく退学させられた、という噂がまことしやかにささやかれた。そのような噂は、あの郵便局で受けたトラウマをまだ完全には克服していなかったわたしをいたく緊張させた。
別棟の校舎への行き帰りに前を通 . . . 本文を読む
◆寄稿 桑原守二
幸田文氏の中央電気通信学園に保存された古い記録
文藝春秋12月号に明治の文豪、幸田露伴の曾孫にあたる随筆家の青木奈緒氏の一文があった。同氏の祖母である作家の幸田文氏(露伴の次女)が父につ いての思い出を語った話であるが、表題の「ツートントンの娘」というのが目を引いたのである。幸田露伴は18歳のとき北海道の余市に電信技師として赴任し たが、これを生涯忘れず、文氏に「ツート . . . 本文を読む
「早すぎたモールス通信との出会い」
郷里のわが家のすぐ近くに町の郵便局があった。その前を通りかかると、たいてい正面入口の左隣の部屋からトンカラトンカラとリズミカルな音が聞こえた。いつの頃からか、その音は電報を送る機械からでている音という程度のことは知っていたのだが、それ以上のことは知らなかった。
その正体を知ったのは、熊本電気通信学園へ一緒に合格したK君と、誰かの計らいで郵便局を見学させてもらっ . . . 本文を読む
◆寄稿 大原安治
年に数回「NTT退職者の会」がある。
「退職者の会」というと聞こえはいいが、要するに「呑み会」である。ところで、この呑み会に出て来る連中といったら、還暦を過ぎた私たちが一番若者で使い走りをさせられるくらいだから、かなりロートルばかりだ。昭和一桁ハナタレ小僧、大正中期で一人前、明治うまれでやっと長老扱いである。最長老は御歳90ウン歳、矍鑠としてまだ呑 . . . 本文を読む
「去る者日に疎し」
先日、東京駅から歩いて10分ほどのNTT大手町ビルにある逓信総合博物館(ていぱーく)に立ち寄った。その日が平日の昼下がりだったせいか、なかに人影はなく、がらんとしていた。
博物館は25年8月閉館【後記】3参照
久しぶりに展示室の一角に並べられた古武士然としたモールス音響通信機を眺めたり、無線通信機の前にある電鍵を触ったりした。そのうち、目の前に掲 . . . 本文を読む
文藝春秋2013年12月号にエッセイスト・作家・翻訳家の青木奈緒さんが「ツートントンの娘」と題し、幸田露伴の娘である祖母、幸田文さんのことを次のように書いておられる。
《先日、思いがけない経緯でNTTの方からCDを一枚頂いた。私にとっての祖母、幸田文の講演を録音したもので、昭和四十五年五月、旧電電公社中央電気通信学園にてと記されている。
講演は、「ひびき」と題され、祖母は自分のことを「ツート . . . 本文を読む