
100m道路のシンボル、テレビ塔
道幅が100mある大通り、今では「久屋大通」といいますが、子供の頃には
「100メーターどおろ」と言いました。
名古屋市の中心を南北に走る「久屋大通」、東西には「若宮大通」
この2本の大通りと、広島市の「平和大通り」の3本の大通りは
戦災復興都市計画によって作られた「100m道路」と呼ばれています。
戦後名古屋市の技監として招かれた田淵寿郎氏により計画され、市内の墓地、
刑務所を移転させ全市の20パーセントを超す土地を道路、公園とする
大改造計画により生まれた広い道路です。
当初は「飛行場にするのか」「牛でも飼うのか」と批判、反対されたようです。
車社会にはなくてはならない広い道路、防災、公園としても先見の明があった
当時の人達に感謝です。