数週間前から、連日連夜「相撲界の暴行傷害事件」が報道されていますね。
暴行は「事実だ」と加害者も認めているこの問題は、調べなければならない事実関係とは全く違う方向に向かっています。
協会側の人達やその代弁者のようなコメンテーターは、連日マスコミに登場して被害者側の貴乃花親方の非難に終始しています。
加害者側の親方や加害者本人には、殆ど批判をしないのです。
加害者の暴力を咎める事より、被害者側の親方の「瑕疵」を重箱の隅を突くように探して非難しているさまは、異常です。
この異常ともいえる理不尽な状況に作為や意図、悪意が見て取れます。
協会側の人とその代弁者は、この暴行傷害の問題より被害者側の親方が巡業部長の責任として捜査機関に被害届を出す前に協会
に報告するべきと協会への報告義務を最優先課題のように問題視していますが、これは、法治国家として在り方を蔑ろにした発言で
す。
貴乃花親方を非難する協会の人達は、「協会の規則」を強調して「ルール違反だ」と騒いでいますが、警察から協会に聞き取りが
あった時点で、その事実を把握しているので、報告の有無に付いては何の問題も不都合もない筈です。
問題すらならない事に批判が集中しているさまに悪意さえ感じます。(この暴行傷害事件を刑事事件としてではなく被害者を懐柔し
て「穏便」に済ませたかったのに公になって怒っているのか?)
こういう姿勢と異様な論調で固められている組織に「信頼」を置く事が出来るのでしょうか?私なら到底できません。
事実、協会側の池坊保子さんは、メディアで「こういう一つのことで人生を左右~日馬富士には横綱で頑張ってもらいたい」旨の意向
を言っていますから、この問題が刑事事件になった事への不満と加害者擁護を推察できます。
更に「日馬富士の処遇を決める為に被害者からの聞き取りが欠かせなく非常に困っている」とも述べていますが、事実関係を把握す
るプロの捜査機関が調べている最中に「事件を起こした人の処遇」を決められるわけがないのです。
捜査機関の結果を待たずに協会として急いで「処分」を決める整合性は、全くありません。
協会の決定した「処分」が罪の量刑と乖離している場合、処分の見直しでもするつもりなのでしょうか?
すでに警察が捜査しているのですから、協会が被害者の聞き取りをできない事への不満に合理的な理由はないのです。
被害者は、暴行を受けた上に理不尽なバッシングに晒されているのです。おかしいでしょう?
被害者は、身体だけでなく心も傷つけられていますよ。そういう状態の被害者を協会やメディアに引きずり出す必要がありますか?
この刑事事件が「大騒ぎになった」のは、加害者は勿論のこと、協会側に立つ人々の発言とそれを肯定的に流すメディアが原因なの
です。被害者側ではありません。被害者も彼を支える親方もこの問題を捜査機関に委ねて「黙して語らず」だったのですから。
自ら騒ぎを拡大していった協会側とマスコミは、その原因を被害者側にあるような誘導的な報道をいまだにしています。
審議会のどなたかが、貴乃花親方の行動は「協会全体で進めることに対し、ぶち壊す動きをしている。みんな『疑念がある』『不可解
だ』」と怒っていますが、矛先が違っています。
怒る相手は、暴行事件を起こした者にです。ぶち壊しているのは、問題を起こした輩ですよ。
真っ当に考えれば、こういう誤った見解に同意できる筈がありません。
事件や問題が起きた時、被害者や弱者の側をバッシングするような「法や倫理観を蔑ろにする」昨今の風潮に危機感さえ覚えます。
病んでいる社会や組織に一石を投じた行為に余程の浅慮な人達以外は、賛同していますよ。
著名な知識人が、貴乃花親方の場所後の支援者への挨拶を聞いて、“”戦時中の青年将校の心に似ていて、その思想に危惧を
持っている“”ようですが、今回の刑事事件に対する彼の行動は、別問題。
違和感のある理不尽な被害者バッシングは、絶対容認してはならないと思います。
被害者の心身の回復と暴力を容認するような歪な論調がどうか無くなりますに。