今年で私は、幾つになったのだろう?50年は、過ぎたのだろうか・・・いや、あの戦争での戦火も運良く潜り
ぬけて来たのだから、100年位は経ってしまったのだろうか・・・私の立っている所から、色々な窓が見える。
細い枝先、私にとっては手だが、その枝先が窓を開けているとその中に入り込んでしまって、閉める時に邪
魔にされ、時々挟まったままになる。
窓を閉める人も色んな人がいて、邪魔だと思うだけならよいがバキンと折ってしまうおっかない人もいる。
その痛さときたら、熱湯に浸かったように痛い。あちらさんから見たら、私はモノなのだから仕方のない事かも
しれない。余程の人格者か苦労人で心根の優しい者しか、他者の痛みなど判る筈もない。
私は、元々、広場のような公園のような場所に立っていたのだが、40年位前に突然、ここが整地されて大き
な建物が出来てしまった。毎日、何時私を切ってしまうかとビクビクしていたが、「これは、残しておこう」と云う
誰かの鶴の一声で難を逃れた。
その時の気持ちは、「天にも昇るような気分」だった。安堵したというより嬉しさの方が大きかった。人が集まる
場所は、にぎやかでいい。これから、もっと楽しい光景が見えるかもしれないと思ったからだ。
今、私は、その建物の裏側にいる。あれから、随分と年月が経ったが、ここから見える窓の中には、動いて
いる人は殆どいない。皆、ベッドに横になっているかベッドの端に腰を掛けているかである。
時々、やってくる元気そうな人は、ここの職員のようだ。ベッドの人達は、皆お年寄りのようで、何かの施設か
もしれない。
私は、最近、心底悩んでいた。「見て見ぬ振りをしていようか?それとも、何かをするか?」
ここの窓の中では、期待していたような楽しい賑やかな風景等殆どなくて、時々、ぞっとするようなことが行わ
れていた。夜になると、それは行われた。何らかの理由で、選ばれた?お年寄りが別室へ連れていかれる。
床に直接マットのような物が敷かれているだけの寒々とした部屋で、お年寄りが何かを言われている。
ここの人が、何かを言い聞かせているようだ。それに、逆らうような素振りを見せるお年寄り。そう思った途
端、ここの人がマットに寝かされているお年寄りの肩辺りを足で蹴った。蹴った人は、そのまま無言で部屋の
扉を閉めて出ていってしまった。
私は、夜も目が見えるけれど、何しろ窓の外からだ。はっきりとした状況は判らない。お年寄りが心配だ。
けれども、窓から遠い場所にその人が横たわっているので、私の長い枝でも到底届かない。何も術がない。
一晩中、心配で眠れなくて疲れたのか、早朝にうとうとしていた私は、新聞配達のバイクの音でハッとが目が
覚めた。窓の中を覗き込むと、あのお年寄りがいない。何処へ行ってしまったのか?
何日か経って、この建物の玄関を見ると大きな荷物を抱えた中年の人が、ここの人達に頭を下げて車に乗
り込んでいった。荷物は、あるけれど荷物主がいない。もしかして、荷物主は、あのお年寄りなのだろうか?
最近、私は、身体の芯がカラカラになっていて、こうして立っている事さえ苦痛だ。水分や養分を吸い上げ
る力がもう無くなってきたようだ。命のゴールまで、そう長くは無いだろう。
或る日の深夜、あの時の人が窓にもたれかかるようにして、私の枝のすぐ前にいた。窓際のベッドのお年
寄りの手を力を込めて掴んでいた。掴まれたお年寄りの手は、ここから見ても赤く染まっていた。
私は、決心した。窓を開け、尖った枝の先を渾身の力を込めて、その人の首に差し込んだ。その人は、うぅ~
と低い声を発して、その場に倒れ込んだ。人がこんな事をすれば、凶悪な犯罪者だ。それでも、私は、不思
議なくらい全く後悔していなかった。今まで、私の身体や枝に絡みついていたドロドロとした空気が、急に爽
やかになったからだ。