ウクライナ戦争のスタート。 米ジェフリー サックス教授インタビュー動画 https://t.co/0eIwASYG61 @YouTubeより
— 棄民与党と🏮持ち維新・国民と決別しよう (@mistyyoko) March 8, 2025
☆文字起こしです
ウクライナ戦争について説明しましょう
これは、私達が毎日聞かされているようなプーチン氏によるウクライナへの攻撃ではありません
これは、1990年2月に始まります
アメリカの国務長官ジェイムズ・ベイカーは、ミハイル・ゴルバチョフに対して「もしドイツ統一に合意す
ればNATOは1インチも東方に拡大しない」と言いました
これは、基本的に第二次世界大戦を終結させるものでした
ゴルバチョフは「それは、とても重要なことだ」
『そうだ』『NATOは動かない』と言い私達はドイツ統一に合意したのです
しかし、その後 アメリカは、この合意を裏切り始めました
1994年、ビル・クリントン大統領がウクライナまでNATOを拡大する計画に署名しました
この頃、所謂ネオコン(新保守主義者)が権力を握り、クリントンがその先駆者(最初の代理人)となったのです
NATOの拡大は、1999年にポーランド、ハンガリーとチェコ共和国を迎え入れることで始まりました
その時点でロシアはそれ程きにしていませんでした
カリーニングランドとの境界を除けば、直接的な脅威はなかったからです
その後、アメリカは、1999年にセルビアへの爆撃を主導しました
これは酷いことでした
NATOを使って、ヨーロッパの(最古の)首都ベオグラードを78日間連続で爆撃し、国を分裂させる目的だったからです
ロシアは非常に嫌いましたが、プーチンが大統領になり彼らは、それを飲み込み文句を言いながらも受け入れました
それでもプーチンは、欧州寄りでアメリカ寄りの立場からスタートしました
実際 プーチンは「我々もNATOに加盟すべきではないか?」と尋ねました
その当時、まだ相互に尊重し合う関係が築けるという考えが存在していたのです
そして、9.11が起こり、その後アフガニスタンが始まりました
ロシアは「分かりました。我々も支援します」と言いました
「テロを根絶する為に理解します」と言いました
しかし、その後、決定的な2つの行動がありました
2002年、アメリカ合衆国は、一方的に弾道弾迎撃ミサイル制限条約ABM(Anti-Ballistic Missle Treat)から脱退したのです(略)
それが引き金となり アメリカは東ヨーロッパにミサイルシステムを配備することとなりました
ロシアは、これを国家安全保障に対する深刻且つ直接的な脅威と見なしました
その理由は、これによりモスクワまで数分で到達するミサイルによる斬首作戦が可能となるからです
米国は、2基のイージス・ミサイルシステムを配備し、これを防衛だと主張しました
ロシアは「どうして それがトマホーク核ミサイルではないと言えるのか?」「あなた方は私達には関係な
いと言っていたではないか」と反論しています
こうして、米国は2002年にABM条約から一方的に脱退したのです
2003年には、完全に虚偽の理由でイラクに侵攻しました
これについては、すでに説明した通りです
2004年から2005年にかけて私達は、ウクライナでソフトな政権交代作戦を行いました
所謂「第一次カラー革命」と呼ばれるものです
私が知り合いで友人だった人物を大統領に据えました
実際、私はユシチェンコ大統領とは遠縁の友人関係にあり、1993年から1995年にかけてウクライナ政府のア
ドバイザーを務めていたからです
そして、アメリカはこの件に汚い手を使いました
アメリカは、他国の選挙に干渉すべきではありません
しかし、2009年にヴィクトル・ヤヌコーヴィッチが選挙に勝利し、大統領に就任しました
そして、2010年には、ウクライナの中立政策に基づき状況は落ち着きました
アメリカは、NATOの拡大を推進していました
しかし、ウクライナの人々は世論調査の結果 NATOに加盟したいとは思っていませんでした
「これに何の意味があるのか。私達は、あなた達の問題には関わりたくない」
2014年2月22日 米国はヤヌコヴィッチ政権の転覆に積極的に関与しました
これは、典型的な米国の政権交代作戦です
疑う余地はありません
ロシアは、私達に手助けをしてくれました
彼らは、ヴィクトリア・ヌーランドと米国政府との間で交わされた非常に醜い通話を傍受しました
(略)その通話は、彼女と米国大使との間で交わされたものです
ジェフリー・パイアット、現在も務めている国務省の高官ですが、彼とヌーランドが政権交代に付いて話し合っていました
「次の政府は、誰にしよう?」「この人を選んだら?」と話し合いました
そして「いや、クリチコはダメだ」「ヤツェニックが適任だ」と 「そうだ、ヤツェニックにしよう」「そ
してバイデンに来てもらって❝よくやった❞と褒めてもらおう」とまで話していました(略)
こうして、彼らは、新しい政府を作り上げました
その直後に私もウクライナに招待されることになりましたが、その背景について何も知らないままでした
到着してから、如何に米国がこの件に関与していたかを非常に不快な形で説明されたのです
つまり、米国は「さあNATOを本格的に拡大するぞ」と宣言しました
プーチンは「止めてくれ、NATOは拡大しないと約束した筈だ」と繰り返し訴えてきたのです
ちなみに言い忘れましたが、2004年には、エストニア、ラトビア、リストニア、ブルガリア、ルーマニア、
スロバキア、スロベニアがNATOに加盟し、これで更に7か国が「1インチたりとも東に拡大しない」という約
束を破り、加盟したわけです(略)
米国は「NATOをロシア国境まで拡大するな」という基本的な要請を拒否し続けました
しかも 条約を破棄した後にミサイルシステムまで配備しています
2019年には、中距離核戦力全廃条約、2017年にはイランとの核合意である包括的共同作業計画(JCPOA:
Joinnt Comprehensive Plan of Action)からも脱退しました(略)
2021年12月15日、プーチンは、ロシアと米国の安全保障協定案を提示しました(インターネットで確認できます)
その基本的な内容は「NATOの拡大なし」です
その翌週、私は、ホワイトハウスに電話して交渉に応じるように懇願しました
プーチンはこの戦争を避ける為の提案をしたのです
しかし 彼らは『ジェフ、大丈夫だ、戦争にならないよ』
「NATOは、拡大しないと発表すればいい」
『心配ない、NATOは拡大しない』と言うばかりでした
「~何故、発表しないんだ?」
すると彼は『我々の方針は、オープンドア政策(門戸開放政策)だ』これは、ジェイク・サリバン
軍事基地を好きな所に置いて この世界の平和を期待する権利はありません
私達が其処に行き「ミサイルシステムを設置する権利がある」といった❝門戸開放政策❞など存在しません
そんな権利は、何処にもありません
私達は、1823年にこう宣言しました「ヨーロッパ諸国は西半球に足を踏み入れるな」
これがモンロー主義です
*モンロー主義(Monroe Doctrine)は、アメリカ合衆国がヨーロッパ諸国に対して、アメリカ大陸とヨー
ロッパ大陸間の相互不干渉を提唱したことを指す。 第5代アメリカ合衆国大統領ジェームズ・モンローが、
1823年に議会で行った7番目の年次教書演説で発表した。
それから 特別軍事作戦が始まり、5日後にゼレンスキーが『分かった、分かった、中立にする』と言い、私
は、アンカラに飛んでトルコの交渉者達と話し合いました
何が起きているかを正確に知りたかったからです
そこで何が起こっていたかというと幾つかの合意事項で合意に達していた
その後、米国と英国が『絶対ダメだ、お前達は戦い続けろ。我々は、支援するが前線には立たない。お前達
はみんな死ぬだろう。でも私達は、お前達の後ろ盾になる』と言いながら彼らを前線に送り続けたのです
ボリス・ジョンソンがキエフび飛び『勇気を出せ』と言って以来、ウクライナ人60万人が亡くなったのです
本当に恐ろしい話です(略)
毎日のように 言われているようなヒトラーのような狂人がこちらに向かって来て、あれもこれも侵害しヨ
ーロッパを征服しようとしているわけではないのです
これは、完全にデタラメな偽りの歴史であり、アメリカ政府の作り話に過ぎません(略)
私は、2022年に ニューヨークタイムズに長年書き続けていたコラムを完全に排除されました
これを送りました
ちなみにオンラインでは、文字制限はありません
彼らは、700字まで掲載出来るのに 私が実際に目撃した戦争に700字でさえ掲載しなかったのです(略)
私達は、向こうに対して仕掛けたのです
そして 私達は、中国と台湾に対して干渉するのを止めるべきです
それは、私達の関わるべき問題ではありません (以上)
☆2019年にランド研究所は、「ロシアの拡張」という論文を出している。
これにバイデンは追随した論文を書いている。「Hou do we annoy Russia?」
これは、どうやってロシアを苛立たせるか?という意味。ロシアを崩壊させるということ。
⭐ニホンの為政者、マスコミが如何にいい加減な報道をしているかが良くわかります🤭