【じごく耳】基本的人権は~現在及び将来の国民に対し侵すことのできない永久の権利として信託されたものである

国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

昨夏の電力不足は嘘だったの?違うシナリオの存在

2012年01月24日 | ☆ツブヤキ・つぶやき☆

 東京電力柏崎刈羽原子力発電所5号機が定期検査の為、本日24日夕方から原子炉を止める作業に入ったとのこと。(NHK

ニュースから)

 これで、東京電力管内で運転中の原発は1基だけになり、日本にある原発54基中50基が止まるとなる。これに伴って節電

お願いが東電から出されたが、ちょっと微妙だった。夏の節電お願の時とは内容が微妙に変化したのだ。「原発停止に伴

無理のない程度に節電をお願いする」って!?『無理のない程度』の“程度”が各個人で違うに決まってるのに・・・微妙だ・・・

☆「全国で約1割の不足に陥る」と公表した昨夏の政府試算について「供給不足にはならない」という別の未公表のシナリオが政

府内に存在したことが、分かった。↓ (なるほど!こういう事があるから!だったのね)

http://mainichi.jp/select/science/news/20120123ddm001010064000c.html 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*疑惑*断腸の思い・・・

2012年01月10日 | 社会

 1月3日午後2時45分頃、三重県南伊勢町古和浦の同町議・上村康広さん(64才)が、牛舎の駐車場のワンボックス車内で胸

から血を流しているのを親族が見つけ、119番した。胸に銃で撃たれた痕があり、病院に搬送されたが、死亡が確認された。

伊勢署によると、車外に散弾銃が落ちており、運転席側のドアは開いたままだった。外から撃たれた形跡はなく、天井に散弾

の痕があった為暴発した可能性もあるとみて、事件と事故の両面で調べている。上村さんは午前10時半ごろ、「カラスを駆除す

る」と妻に伝え、自宅を出発した。牛舎は上村さんの所有で、自宅から650メートル離れている。上村さんは旧南島町(現南伊

勢町)時代の1991年から町議を務め、通算7期目。無所属で議長経験もある。(中日新聞より)

*********************************

 

☆上村康弘氏は、三重県の芦浜原発建設計画に反対してきた中心人物だ。

 

芦浜原発建設阻止の経緯

☆1963年 中部電力、熊野灘への原子力発電所建設計画を公表

☆1964年 芦浜地区を候補地と決定

☆1966年 『長島事件』地元漁業関係者が衆議院科学技術振興対策特別委員会の視察阻止(中曽根康弘氏が巡視艇に乗っ

       て芦浜を視察する計画)等、反対運動が高まる

☆1967年 田中覚知事が計画を棚上げ

☆1977年 国は芦浜地区を要対策重要電源に指定

☆1984年 三重県は、原発関連の予算を計上、県議会も立地調査推進を決議

☆1994年 南島町古和浦漁協と紀勢町錦漁協も調査の受け入れに同意(各漁協で対応異なる)

☆1996年 南島町芦浜原発阻止闘争本部は反対署名(81万2335名)を北川正恭知事に提

☆1997年 県議会は調査と建設の冷却期間を求めていた南島町の請願を全会一致で採択。県は中部電力に立地予定地から

      の社員引き上げを正式に要請し、1999年まで冷却期間となった

☆1999年 北川知事、国内やドイツの原発を視察。南島町、紀勢町から意見聴取を行う

☆2000年 北川正恭知事は県議会で「計画の推進は現状では困難、白紙に戻すべきと
表明。

       理由;計画発表から37年もの間地元住民を苦しめてきたのは県にも責任があり、『電源立地にかかる四原則三条     

       件』を満たしていない。県民の53%、南島町民の86%が原発に反対(紀勢町は原発推進派が上回る)

       知事の発言を受け、中部電力・太田宏次社長は計画を白紙に戻すことを表明。

***********************************

 上村康弘氏は、2011年6月5日『原子力発電を考える~原発を止めた町から~』(名古屋生活クラブ主催)という講演会をして

いる。この方がいなければ、自然エネルギーだけで電気は十分足りている地域に、人々の生活と命を根底から覆し脅かす原発

が芦浜に建設されたかもしれない。それ程、原発建設阻止に尽力した方だ。自ら亡くなること等、あり得ない。記事には、“暴

発”の可能性が書かれていたが、それもおかしい。散弾銃は、獲物の大きさによって弾を変える。カラス退治であれば、小粒の

弾を使う筈で、胸に受けた銃弾の跡に関して『銃で撃たれた跡』としか書かれていない。天井には、散弾の跡があると発表され

ているにも関らず・・だ。それに、散弾銃の弾は、発射されてから破裂して散るのに、弾が胸と天井の別方向に当った等と云う奇

跡が起きたとでも言いたいのだろうか?私の知人が子供の頃、猟友会の人の散弾銃を触っていて『暴発』させてしまった事があ

る。自らが、その銃に触れていて『暴発』したら、銃口を覗き込むような事が無い限り、弾は己の方へ発射しない。銃口の向いて

いる方向か、銃そのもの付近で弾が出るという。とても、信じがたい“暴発”の可能性。車外から車内に向けて“暴発?”したので

あれば、銃弾跡に納得もいくが。当局には、しっかりと検証をして貰いたい。芦浜原発建設阻止に尽力された方がこんな形で

亡くなられ、悔しくて悔しくてやりきれない。断腸の思いである。

 上村さんのご冥福を心よりお祈り致します。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*本年も どうぞよろしく お願い申し上げます*

2012年01月01日 | 日記

   謹んで 初春のお慶びを 申し上げます

 奈良・東大寺の鐘の音を聞いて、無事に何とか年を越す事ができました。

 今年は、あの梵鐘が放つ無限の響きに負けないような雑言を書いていくつもりでおります。

お暇潰しに 是非お出でください。本年も宜しくお願い致します。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする